プロローグ「世話係」
彼女はあの眩しい笑みを浮かべながら、静かに眠った。血の痕が残る口元、傷だらけの体。彼女はずっと一人で戦っていたのだ。それを知らず、のうのうと生きてきた自分が憎い。
アデラはデサイアの体を優しく横たわらせ、目の前で立ちはだかる一人の男を睨み付ける。デサイアを利用し、殺害したのは彼だ。彼が全ての元凶だ。
「デサイア・・・大丈夫。あなたの仇は、必ず私がとるから」
眠ってしまったデサイアの安らかな表情を一瞥して、誓う。
「惜しいな。なぜその『出来損ない』のために死を選ぶ。貴様が私に敵わないことなど、疾うに気付いているはずだ」
銀色の長髪の男が、呆れたように首を横へ振る。
「私はアデラ。魔王ガイザスと魔姫フェルメナの娘にして、デサイアの妹。そして――」
アデラが右手を宙へ翳す。すると、上空に突如として巨大な紫色の魔方陣が出現した。
「シュレイザー。あなたを殺す者」
その台詞を聞いた男は、歪に笑った。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
今見た光景はかつての記憶を映し出した夢だ。アデラは目を覚ますと同時にゆっくりと体を起こす。すぐ隣、同じベッドに眠るダイアの姿がある。
「ん~」
ダイアが寝言を発した。ベッドの掛け布団がめくれてしまったからだろう。アデラはゆっくりと布団をかけてやり、音を立てないよう慎重にベッドを降りた。
デサイア、キョーネ、ティアー。お父さん、お母さん。
アデラは頭の中で名前を呼ぶ。皆彼女にとってかけがえのない存在だった。思い出す度に胸が痛む。ティアーを除き、皆亡くなってしまったのだ。
アデラは家を出て花畑の中を進む。薄暗い景色。夜が明けたばかりの時間の寒さが肌を刺す。砂漠がある方角とは真反対の方角に小川があり、アデラはそこで顔を洗った。携行していた布巾で顔を拭いた後、家に戻る。戻ると、寝惚けた顔のダイアが、ベッドの上で体を起こしていた。
「アデラ様・・・今日は珍しく早起きなんですね」
「うん。ダイアはよく眠れた?」
「はい。それはもうぐっすりと」
ダイアが欠伸をしながらベッドから降りる。
「顔を洗ってきます」
「うん。行ってらっしゃい」
眠たげな表情のまま、ダイアは家を出て行った。一人になったアデラは、ふと棚の奥にしまっているチェス盤のことを思い出した。衝動に駆られるまま、アデラは棚へ手を伸ばす。幾つも本を積み上げた奥に、チェス盤と駒を入れた袋が置いてある。古びたそれらが、かつて友人と共に遊んだ記憶を呼び起こしたのだ。
『猖狂の魔女』キョーネ。彼女の姿が、この部屋の中にある気がしてならなかった。
「アデラ、今日こそは決着を付けさせてもらうわよ!」
彼女はいつもそう言って、アデラへ勝負を挑み、敗北を繰り返した。負けず嫌いな性根が、一回でも勝利するまで諦めないという選択肢を取ったようで、何度も勝負を挑んできた。
――彼女が、人間との戦争で命を落とすまでは。
アデラはチェス盤を手に取り、じっと眺める。保存状態は良かったようで、木でできたそれは埃を被り、シミや汚れが付着しているだけで済んでいる。
キョーネが生きていたのは千年以上も前。月日がどれだけ流れて行っても、このチェス盤は朽ちることなく残ってくれていた。
「アデラ様、それは・・・?」
戻って来たダイアがじっとチェス盤を見つめる。
「チェス。昔、友達とよく遊んだの」
「そうなんですね・・・なら、私とやりませんか」
「ダイアと?」
「はい」
ダイアがアデラを見据えている。アデラは息をゆっくりと吸い込み、口を開く。
「いいよ」
「やった」
二人は居間の方へ行き、中央にある椅子へ腰かけた。テーブルの上にどっとチェス盤を置き、駒を並べていく。
「ルールは分かる?」
「あまり詳しくは・・・」
「それなら教える」
アデラは駒の中から最も大きなものを指で摘み取った。
「これはキング。お互いにこの駒を守りながら、相手を追い詰めていくの。この駒をどちらかが取れば、その人の勝ち。簡単でしょ」
アデラは次々と駒の説明をしていく。クイーン、ルーク、ビショップ、ナイト、ボーン。
「細かいルールは置いて、取り敢えずやってみよう」
「はい・・・!」
二人はそれからチェスを始める。
進めていく内に、アデラは心の中に温かく弾む感情を覚えた。
かつてキョーネとチェスをしたあの日々を思い出す。あの日を想起させる胸の高鳴りがやまない。
アデラはダイアを見て薄く微笑む。
「チェックメイト」
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
いつものように、花々へ水をやる。今日はなぜか花の元気がなく、どことなく萎れている気がした。アデラは屈み、近くの花を眺める。
「どうしたの・・・?」
もちろん返答があるわけがない。アデラは如雨露をぎゅっと握りしめて家の方へ戻る。
「夜ご飯できましたよ」
「ありがとう」
ダイアが来てから、アデラの暮らしは充実したものになった。食事だけではなく掃除まで、身の回りの世話を尽くしてくれる。その代わりアデラは花や鶏の面倒を見ている。
ウツグから預かって、アデラはダイアの体を調べるような真似はしなかった。記憶を覗き、ウツグの計画の支障となるために記憶は抹消したが、それ以上のことはしていない。
『魔王』の意識を有しているのだから、魂を調べるなり実験に利用するなりなんなりと自由だったが、それでもアデラは彼女をただの世話係として置いた。
それに何の意味があるのかは分からないが、アデラはそれで良かったのだと、心の底から思っている。
「それじゃあ夕食を・・・」
ダイアがそう言いかけたところで、ふと、アデラは異変を察知した。ダイアを家に残して慌てて外に出る。すると、家のすぐ近くに空間の裂け目が生じていた。ワープホールだ。アデラとダイアがいるこの空間へやって来れる者は限られている。おそらく、現れるのは――。
「アデラ、久しぶりね」
「ウツグ・・・」
やはりウツグが姿を現した。アデラは頬を強張らせる。
「ダイアの調子はどうかしら。上手く利用できた?」
「うん」
「なるほど。それは良かったわ」
ウツグはアデラの元へ歩み寄ると共に、艶やかな笑みを浮かべた。
「アデラ、突然の話なんだけど計画に変更点が生じたのだ。それで今、ダイアを急ぎ回収に来たのよ」
「ダイアを回収・・・」
この時が来るのは分かっていた。なにせ、すでにウツグと約束した七年の歳月が過ぎているのだから。
アデラはウツグの言った台詞を繰り返すように呟く。彼女はダイアのいる生活に慣れてしまった。今更、ダイアを連れて行くと言われると喪失感のようなものを感じる。
「もしかして、情が湧いたの?」
「いや・・・別にそういう訳じゃない」
「あの子はただの道具よ? いい? 私の計画だけに使用する、ただの道具。彼の『妹』であるという要素は、誰にとっても代えがたいものだわ」
ウツグがそう言って家の方へ歩いて行く。
「待って・・・!」
珍しくアデラが大声を出した。
「最後に、あの子と少し話をさせて」
「話・・・? まあいいわ。終わったら言ってちょうだい」
ウツグの返事を聞いたアデラはほっと一息つく。花畑に生えた花を一輪だけ摘み取り、家の中へ。家の中で大人しく座って待っていた彼女の元へ急ぐ。
「もう、急に飛び出したかと思えば、一体どうしたんですか!」
「ごめんね」
「ん、どうしたんですか? アデラさん、そんな悲しそうな顔をして・・・」
アデラは初めて自覚した。自分は今、悲しそうな表情を浮かべていたのか。
「ごめんね。ダイア・・・今日であなたとの生活はお終い」
「一体何を言っているんですか?」
「ごめんね・・・」
困惑した顔をするダイアを振り切って、アデラは彼女の額に手を翳した。淡く白い光が現れる。途端にダイアは意識を失った。
彼女の服のポケットへ摘み取った花を入れ、優しく抱きかかえる。
「終わったよ」
「早かったわね」
ダイアを宙に浮かばせて、ウツグへと渡す。
ダイアは安らかな顔をして眠っている。アデラはダイアの記憶を再び消したのだ。それは、アデラとダイアが共に生活した記憶・・・。
アデラは言葉にならない情動に心を支配された。
「さよなら、ダイア」
ウツグがワープホールの中へ消える。同時にダイアの姿もワープホールの中へと行ってしまった。
一人残されたアデラは家へ帰る。家の中に、ダイアが作ってくれた夕食の香りが立ち込めていた。
「ダイア・・・」
アデラはその場に膝から崩れ落ちた。
「私は・・・どうして・・・」
少女のか細い声が、静かな部屋の中で木霊した。




