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ritard. ――リタルダンド――   作者: 花厳 聖
復讐の影編 第3章「魔女」
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プロローグ「世話係」

彼女はあの眩しい笑みを浮かべながら、静かに眠った。血の痕が残る口元、傷だらけの体。彼女はずっと一人で戦っていたのだ。それを知らず、のうのうと生きてきた自分が憎い。


アデラはデサイアの体を優しく横たわらせ、目の前で立ちはだかる一人の男を睨み付ける。デサイアを利用し、殺害したのは彼だ。彼が全ての元凶だ。


「デサイア・・・大丈夫。あなたの仇は、必ず私がとるから」


眠ってしまったデサイアの安らかな表情を一瞥して、誓う。


「惜しいな。なぜその『出来損ない』のために死を選ぶ。貴様が私に敵わないことなど、()うに気付いているはずだ」


銀色の長髪の男が、呆れたように首を横へ振る。


「私はアデラ。魔王ガイザスと魔姫フェルメナの娘にして、デサイアの妹。そして――」


アデラが右手を宙へ(かざ)す。すると、上空に突如として巨大な紫色の魔方陣が出現した。


「シュレイザー。あなたを殺す者」


その台詞を聞いた男は、歪に笑った。


※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※


今見た光景はかつての記憶を映し出した夢だ。アデラは目を覚ますと同時にゆっくりと体を起こす。すぐ隣、同じベッドに眠るダイアの姿がある。


「ん~」


ダイアが寝言を発した。ベッドの掛け布団がめくれてしまったからだろう。アデラはゆっくりと布団をかけてやり、音を立てないよう慎重にベッドを降りた。


デサイア、キョーネ、ティアー。お父さん、お母さん。


アデラは頭の中で名前を呼ぶ。皆彼女にとってかけがえのない存在だった。思い出す度に胸が痛む。ティアーを除き、皆亡くなってしまったのだ。


アデラは家を出て花畑の中を進む。薄暗い景色。夜が明けたばかりの時間の寒さが肌を刺す。砂漠がある方角とは真反対の方角に小川があり、アデラはそこで顔を洗った。携行していた布巾で顔を拭いた後、家に戻る。戻ると、寝惚けた顔のダイアが、ベッドの上で体を起こしていた。


「アデラ様・・・今日は珍しく早起きなんですね」

「うん。ダイアはよく眠れた?」

「はい。それはもうぐっすりと」


ダイアが欠伸をしながらベッドから降りる。


「顔を洗ってきます」

「うん。行ってらっしゃい」


眠たげな表情のまま、ダイアは家を出て行った。一人になったアデラは、ふと棚の奥にしまっているチェス盤のことを思い出した。衝動に駆られるまま、アデラは棚へ手を伸ばす。幾つも本を積み上げた奥に、チェス盤と駒を入れた袋が置いてある。古びたそれらが、かつて友人と共に遊んだ記憶を呼び起こしたのだ。


『猖狂の魔女』キョーネ。彼女の姿が、この部屋の中にある気がしてならなかった。


「アデラ、今日こそは決着を付けさせてもらうわよ!」


彼女はいつもそう言って、アデラへ勝負を挑み、敗北を繰り返した。負けず嫌いな性根が、一回でも勝利するまで諦めないという選択肢を取ったようで、何度も勝負を挑んできた。


――彼女が、人間との戦争で命を落とすまでは。


アデラはチェス盤を手に取り、じっと眺める。保存状態は良かったようで、木でできたそれは埃を被り、シミや汚れが付着しているだけで済んでいる。


キョーネが生きていたのは千年以上も前。月日がどれだけ流れて行っても、このチェス盤は朽ちることなく残ってくれていた。


「アデラ様、それは・・・?」


戻って来たダイアがじっとチェス盤を見つめる。


「チェス。昔、友達とよく遊んだの」

「そうなんですね・・・なら、私とやりませんか」

「ダイアと?」

「はい」


ダイアがアデラを見据えている。アデラは息をゆっくりと吸い込み、口を開く。


「いいよ」

「やった」


二人は居間の方へ行き、中央にある椅子へ腰かけた。テーブルの上にどっとチェス盤を置き、駒を並べていく。


「ルールは分かる?」

「あまり詳しくは・・・」

「それなら教える」


アデラは駒の中から最も大きなものを指で摘み取った。


「これはキング。お互いにこの駒を守りながら、相手を追い詰めていくの。この駒をどちらかが取れば、その人の勝ち。簡単でしょ」


アデラは次々と駒の説明をしていく。クイーン、ルーク、ビショップ、ナイト、ボーン。


「細かいルールは置いて、取り敢えずやってみよう」

「はい・・・!」


二人はそれからチェスを始める。

進めていく内に、アデラは心の中に温かく弾む感情を覚えた。


かつてキョーネとチェスをしたあの日々を思い出す。あの日を想起させる胸の高鳴りがやまない。


アデラはダイアを見て薄く微笑む。


「チェックメイト」


※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※


いつものように、花々へ水をやる。今日はなぜか花の元気がなく、どことなく萎れている気がした。アデラは屈み、近くの花を眺める。


「どうしたの・・・?」


もちろん返答があるわけがない。アデラは如雨露をぎゅっと握りしめて家の方へ戻る。


「夜ご飯できましたよ」

「ありがとう」


ダイアが来てから、アデラの暮らしは充実したものになった。食事だけではなく掃除まで、身の回りの世話を尽くしてくれる。その代わりアデラは花や鶏の面倒を見ている。


ウツグから預かって、アデラはダイアの体を調べるような真似はしなかった。記憶を覗き、ウツグの計画の支障となるために記憶は抹消したが、それ以上のことはしていない。


『魔王』の意識を有しているのだから、魂を調べるなり実験に利用するなりなんなりと自由だったが、それでもアデラは彼女をただの世話係として置いた。


それに何の意味があるのかは分からないが、アデラはそれで良かったのだと、心の底から思っている。


「それじゃあ夕食を・・・」


ダイアがそう言いかけたところで、ふと、アデラは異変を察知した。ダイアを家に残して慌てて外に出る。すると、家のすぐ近くに空間の裂け目が生じていた。ワープホールだ。アデラとダイアがいるこの空間へやって来れる者は限られている。おそらく、現れるのは――。


「アデラ、久しぶりね」

「ウツグ・・・」


やはりウツグが姿を現した。アデラは頬を強張らせる。


「ダイアの調子はどうかしら。上手く利用できた?」

「うん」

「なるほど。それは良かったわ」


ウツグはアデラの元へ歩み寄ると共に、艶やかな笑みを浮かべた。


「アデラ、突然の話なんだけど計画に変更点が生じたのだ。それで今、ダイアを急ぎ回収に来たのよ」

「ダイアを回収・・・」


この時が来るのは分かっていた。なにせ、すでにウツグと約束した七年の歳月が過ぎているのだから。


アデラはウツグの言った台詞を繰り返すように呟く。彼女はダイアのいる生活に慣れてしまった。今更、ダイアを連れて行くと言われると喪失感のようなものを感じる。


「もしかして、情が湧いたの?」

「いや・・・別にそういう訳じゃない」

「あの子はただの道具よ? いい? 私の計画だけに使用する、ただの道具。彼の『妹』であるという要素は、誰にとっても代えがたいものだわ」


ウツグがそう言って家の方へ歩いて行く。


「待って・・・!」


珍しくアデラが大声を出した。


「最後に、あの子と少し話をさせて」

「話・・・? まあいいわ。終わったら言ってちょうだい」


ウツグの返事を聞いたアデラはほっと一息つく。花畑に生えた花を一輪だけ摘み取り、家の中へ。家の中で大人しく座って待っていた彼女の元へ急ぐ。


「もう、急に飛び出したかと思えば、一体どうしたんですか!」

「ごめんね」

「ん、どうしたんですか? アデラさん、そんな悲しそうな顔をして・・・」


アデラは初めて自覚した。自分は今、悲しそうな表情を浮かべていたのか。


「ごめんね。ダイア・・・今日であなたとの生活はお終い」

「一体何を言っているんですか?」

「ごめんね・・・」


困惑した顔をするダイアを振り切って、アデラは彼女の額に手を翳した。淡く白い光が現れる。途端にダイアは意識を失った。


彼女の服のポケットへ摘み取った花を入れ、優しく抱きかかえる。


「終わったよ」

「早かったわね」


ダイアを宙に浮かばせて、ウツグへと渡す。


ダイアは安らかな顔をして眠っている。アデラはダイアの記憶を再び消したのだ。それは、アデラとダイアが共に生活した記憶・・・。


アデラは言葉にならない情動に心を支配された。


「さよなら、ダイア」


ウツグがワープホールの中へ消える。同時にダイアの姿もワープホールの中へと行ってしまった。


一人残されたアデラは家へ帰る。家の中に、ダイアが作ってくれた夕食の香りが立ち込めていた。


「ダイア・・・」


アデラはその場に膝から崩れ落ちた。


「私は・・・どうして・・・」


少女のか細い声が、静かな部屋の中で木霊した。

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