9「夢」
退院して初の任務。二人は難なく任務をこなした。しかし、ドミナの様子は何の変哲もなくいつも通りだったが、ルノートは任務中にも関わらず幻覚を見た。
幻覚は視界の中、スクリーンで映し出された映像のように現れた。暗殺対象を始末した後、再びデサイアが姿を現した。
『パパ』
彼女はルノートのことを呼んでいるわけではない。それくらい理解していると言うのに、体が跳ねた。
『ボクはどうすれば良かったのかな』
デサイアの瞳には、憂いと、後悔のような感情が籠っていた。
『本当はアデラと普通の「姉妹」として同じ時間を共有したかった。ただそれだけだったの』
アデラ。何度も登場する魔女の名前。
幻覚はすぐに消えたが、彼女の存在はただの幻覚ではないように感じた。本当に目の前で、自分へと語りかけてきているような錯覚、違和感――。
ルノートは任務を終えた後、ドミナと共に帰宅した。帰ってすぐ身支度を済ませ、ベッドへと横たわる。
頭の中で幻覚の景色を反芻するように思い出して、懊悩する。
ルノートは瞼に力を入れて目を瞑った。瞼の裏から透けて見える照明の光が、今は憎くて仕方ない。
「ルノート・・・」
心配そうに声のトーンを落としたドミナが側で呟いた。
「また幻覚を見たんだ。それも、任務の最中に」
彼は目を瞑ったまま、そう口にした。
「ルノート、やっぱり仕事は休もう。今のままだといつか危険な目に遭うかもしれない」
ドミナの提案を耳にしたルノートがゆっくりと目を開く。
「私も仕事を休む。お前の身に何かあった時のためだ。前みたいに突然昏睡したのもあったし、お前に無理させるわけにはいかないからな」
体を起こしたルノートの目を真っすぐと見つめ、彼女は真剣な表情をする。
「私にできることならなんだってする。もうあんな思いはしたくない」
ルノートは彼女へ目線を返して、こくりと頷いた。
ドミナはルノートの昏睡を経験した。それが脳内に深く傷を残したのだ。寂しさ、無念、悲しみ、孤独――暗い感情で浸されてしまったからこそ、そんな決意が生まれたのだろう。
ルノートとドミナは互いに想い合い、互いに心の底まで深く依存している。なぜなら二人は恋人であり、家族なのだから。
「ありがとう」
ルノートはそれだけ言って、彼女の頭を優しく撫でた。彼の隣で座っていたドミナは恥ずかしそうに下を向くと、頬を薄く染めた。
「愛してるよ、ドミナ」
「私も・・・」
顔を上げたドミナの唇を奪う。柔らかな唇の感触と甘く漏れ出た吐息、温かな体温を味わって、唇が離れた時、ルノートは彼女の体を抱き寄せた。
「久しぶりに、いいか・・・?」
ドミナは彼の耳元に唇を近付け、吐息交じりに囁く。それからドミナは彼と目を見合わせる。彼女はすでに目が蕩けていた。
ドミナは返事を聞くまでもなく、彼を押し倒した。彼女がルノートの上に覆い被さるような体勢のまま、再び二人はキスをした。今度は舌を執拗に絡め合った。
「ドミナ・・・」
うっとりとした表情のドミナを見つめながら、ルノートは靉靆を孕んだ声で彼女の名を呼んだ。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
夢だ。
久しぶりにルノートはこの景色を見た。家。かつて彼が、『家族』と暮らしていた場所。
「お兄ちゃん!」
彼のことを兄として慕ってくれた妹のダイア。彼女は学校から帰って来た兄を見て、顔をぱあっと明るくさせた。
ダイアの歳はまだ小学校に入学したばかりのルノートの二つ下。
ダイアは周りから愛されるような、そんな可愛げのある少女だった。
しかし、父が職を失った日から全ては変わる。彼は酒に明け暮れ、母とルノートへ暴力を振るった。なんとかダイアだけは守り切ったことが、二人にとって唯一の救いだった。
未だに父の暴力の痕が、ルノートの体には痣として残っている。ドミナは気にしないでいてくれるが、ルノートは年を重ねる度、徐々に体を気にするようになった。
「ダイア・・・」
前に見た過去の『夢』の世界と同じく、五感の感覚は鮮明だ。
途端に涙が込み上げてきた。急いでダイアの体を抱きしめる。
「お兄ちゃん、どうしたの・・・?」
「ごめん・・・今はこのままでいさせて」
「ん・・・うん」
不思議そうにこちらを見上げるダイア。ルノートはただひたすらに彼女のことを抱きしめていた。
「ダイア・・・」
本当に、彼女が生きていると実感してしまった。
靴を脱ぐ。母と父のおしゃれな靴たちが整然と並んでいる。ルノートは洗面所へと向かって手を洗った。洗面所にある小さな足場の上に立って手を洗っていると、ダイアがにこにことしながらその様子を眺めていた。
「これは夢なんだ・・・」
ルノートは自分に言い聞かせるように呟きながら、蛇口を閉める。タオルで手を拭いてから、ダイアの側へ行った。
また涙が溢れてきて、堪えるためにルノートは唇をぎゅっと噛み締めた。
「お兄ちゃん、うがいもしないとだよ」
「そうだった」
ルノートは彼女に言われた通り、がらがらとうがいをする。
すると突然、インターホンが鳴った。宅配便でも来たのだろうか。
「はーい!!」
「ダイア、ちょっと待って!!」
これが不審者だった場合、今の二人では対処できない。ルノートは慌ててダイアを止めようと急いだが、すでに彼女は玄関のドアを開いていた。
この家を訪れたのは一人の女性だった。白い髪、夜を切り取ったような黒いドレス。
「見つけた――」
女性はそう言って意味深に口元を歪めて笑う。
「お嬢さん、ご両親の方は今いらっしゃるかしら」
「いないよ!ママとパパはお仕事!!」
「そう・・・」
ルノートはダイアと会話する女性の姿を見ながら、緊張した体を解すように息を吸った。
あの女性は何なのだろう。凄く美人だ。だが、どことなく嫌な気配がする。
ルノートは恐る恐るダイアの近くへ向かった。
「あら」
ウツグが屈んでルノートと目線を合わせる。ダイアの側に立っていた彼は頬を強張らせた。金色の瞳が、ルノートの姿を映している。
「丁度良かったわ。二人共、私は貴方たち家族へとある手紙を届けに来たの」
ウツグは右手を広げたかと思えば、突如として手紙がその上に現れた。一瞬何が起こったのか分からなかった。
「これ、貴方たちのお父さんへ渡して」
「分かった!」
ダイアが返事をした後、女性は再び笑った。結局あの女性はそれ以上何もすることなく帰って行った。
ダイアはリビングのテーブルへ背伸びして手紙を置き、ルノートと共に二階の部屋へ向かった。
ルノートは階段を上る最中、ふと思い出す。
「こんな出来事なんてなかったはず・・・」
彼は過去にあの女性を見た記憶がない。手紙も知らない。
この夢は一体なんなのだろうか。
ルノートは考え事をしながら進む。懐かしい光景が目の前に広がると共に、思わず感動のような気持ちが胸中を占めた。
彼の部屋とその隣にダイアの部屋。ダイアは駆けて自分の部屋へ入って行った。彼女の部屋の扉には、前にクリスマスの飾り付けで使ったサンタクロースのシールが貼られたままだ。
ルノートはそれから自分の部屋の扉へ目を向けた。この扉を開いた先に、かつて自身が生活していた空間が存在する。
恐る恐るドアノブへ手をかける。ゆっくりと扉を開くと共に、部屋の窓からだろう、一気に風が吹き流れてきた。
風の勢いのあまり、ルノートは目を瞑った。
「おかえり」
玲瓏。まさにそう形容するべき、細く美しい声だった。彼女は彼の帰りを一人、この部屋で待っていたのだろう。
ルノートは目を開く。
見慣れた姿の女性が風で揺らめくカーテンの前に立っていた。彼女の長い赤髪が風に揺られている。
彼女はドミナではない。ルノートが何回も幻覚で見た――。
「会いたかった、パパ」
デサイア、彼女だった。




