8「退院後」
「おいおい」
ランが捕らえられてしまったことを知ったブルースが頭を抱える。彼ら『特殊警備隊』は現在、ランの部隊を失い、ランを人質にされてしまった。相手は『夜の蜘蛛』。『特殊警備隊』が調査を進めていたエリヴェック家誕生日会惨殺事件の犯人が所属している。
そんな『夜の蜘蛛』を名乗る組織から、『特殊警備隊』へ一通のメールが届いた。文面にはランの状況、そして交渉を持ちかける内容が記されていた。交渉としては、ずばり彼らの行動に協力しろとのこと。
警備隊の本部に手紙のことは伝えているが、返事はまだない。
マリは大きく溜め息を吐いた。
「まさか、ランが失敗するとは思いませんでした」
「僕もだよ」
『特殊警備隊』は今、混迷状態にある。『アルペシア』や『夜の蜘蛛』についての情報を掴むことはできたが、それどころではない。
「本部の返答を待つしかないですね」
「そうだねぇ。僕たちが今何か行動したところで、むしろランが危険になりそうだし――」
ブルースは口に棒付き飴を咥える。
「でもあなたはいつも通りの態度ですね」
「僕だって一応心配しているさ。あんな連中に捕まったが最後、拷問でもされていないかってね」
「一応・・・」
マリはブルースを睨み付ける。だが、ブルースはそれを気にした様子もない。
「どうしたものですか・・・」
マリは諦めたように天井を仰ぎ見た。憎いくらいに天井は白い。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
「『夜の蜘蛛』の仕業か・・・」
バー『パルシェ』。その控え室でユエムが呟いた。彼は現在、協力関係にあった『掃除屋』の組織が次々と壊滅していく状況に危機感を感じていた。
最近になって名前を広げてきた『夜の蜘蛛』と呼ばれる謎の組織が犯人だ。
「警備隊の動きは止まったようだが・・・」
不意に部屋の中で風が吹いた。彼は部屋を見回す。すると、白い髪の女がいた。
彼女の名はウツグ。『復讐の女神』として知られている。
「ウツグ様・・・」
「今日は貴方に話があって来たの」
「話ですか」
「ええ」
ウツグが左手を広げた。掌から赤黒い光が現れる。光は宙へ浮かび上がっていく。
「ようやく『魔王』の意識が目覚め始めたわ」
「そうですか・・・ようやくですね」
「本当にこの時を待ち望んでいたわ。後は、分かっているわね」
「はい」
ウツグは満足げに微笑んだ後、光と共に姿を消した。
一人この場に残ったユエムが、控え室を出る。
「ルノート・・・」
彼は小さく、その名を呼んだ。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
退院してから初めて家へ帰ったルノート。アパートに『入居者募集』という張り紙がされてあり、それがクレシアとリアネルの死を暗示している。
ルノートは返ってすぐドミナと共に食事をした。ドミナが作ったのは簡単な野菜の炒め物と味噌汁だった。それを茶碗一杯に入れた白米と味わう。
味は薄かった。いつも料理を作るのはルノートで、ドミナは滅多に料理をしないのだ。
「美味しい?」
ドミナがルノートに問いかけてくる。
「うん、美味しいよ」
ルノートはすぐに返事をして、箸で摘まんだ料理を口にまで運んで咀嚼する。
彼の様子を、何か言いたげな目をしたドミナが見つめていた。
「やっぱり、お前かクレシアさんが作った料理の方が美味しいな」
ドミナがそう言って目の前にある料理を眺める。
「私のなんかじゃ・・・」
暗い表情の彼女へ、
「ドミナ、ありがとう。だから『私のなんか』なんて言わないで。君が僕のために作ってくれただけで嬉しいし、なにより君がくれた『幸せ』の味がするからね」
ルノートは優しく言った。
「そっか・・・えへへ、そうなのか・・・」
彼の言葉を聞いたドミナがはにかんだような笑みを零した。
ルノートもまた笑みが零れる。
「体の調子はどう?」
「私か・・・? 一人になると幻聴が聞こえるけど、お前といると何も聞こえない。だから大丈夫だ」
「それなら良かった」
ドミナはルノートの目を真っすぐと見てこう尋ねる。
「お前は大丈夫なのか? 退院してから、何か体に異変とかないか?」
尋ねられた瞬間だった。
『パパ?』
幻覚だ。声がルノートのすぐ側から聞こえてくる。子供の声、病室で聞いた二人の少女の。
『起きて』
『パパー!』
何度も執拗に呼びかけられるので、たまらず隣へ目線をやった。アデラとデサイアが、そこにいた。
「どうした」
ルノートの様子をおかしく思ったドミナが尋ねる。彼女はいつになく心配した表情をして、じっと彼の様子を見つめている。
「ごめん、なんでもないよ」
「病院の時から様子がおかしいぞ。本当に大丈夫なんだろうな」
「本当に大丈夫だって」
今になって、ルノートは思い出した。ドミナは彼に幻聴や体調のことを、いつも相談してくれる。それだと言うのに、自分は何を隠しているのだと。
ルノートは彼女に打ち明けようと思い、彼女の方を向いて口を開いた。だが声が出なかった。
それは――。
『お父さん』
「ルノート?」
ドミナとデサイアの姿が重なって見えたのだ。
デサイアは成長した姿をしている。ドミナとそんなに年も変わらないように見える。稚さを残した美貌、金色の瞳がこちらを映している。はっきりと、本当にそこに存在するかのように。
ルノートは固唾を飲んだ。恐る恐るドミナの頬へ手を伸ばした。
「ん?」
ドミナが不思議そうに彼を見る。しかし、それは幻覚のデサイアも同じ。
「いきなりどうした」
『お父さんってば、くすぐったいよ』
彼女は本当に幻覚なのだろうか。ルノートが触れたその時、彼女は反応を示した。
「そんな・・・これはただの幻覚じゃないのか・・・」
ルノートは小さく呟く。
「おい、何か言ったらどうだ・・・!」
ドミナが彼の手を掴んでぐいと引っ張った。直後、テーブルの上に乗っていた皿へ彼の体がぶつかる。
ルノートははっと我に返った。
ドミナと重なっていたデサイアの姿はどこにもない。あるのは、目の前で表情を険しくしたドミナの姿と、皿からこぼれた料理だけ。
「ドミナ・・・ごめん・・・」
「謝るな。一体何があったのか話してくれ」
「分かった」
流石にこのまま黙っているわけにもいかない。幻覚が現実と干渉してくるようになったのだから。
それからルノートはドミナへ幻覚のことを説明した。魔王と呼ばれる男性、その娘である二人の少女、ローズ、魔姫、病室で見えた花畑、今起きたこと。
「幻覚、か・・・それも行動に反応を示すような・・・」
話を聞き終えたドミナが顎に手を当てて考える。
「ルノートが昏睡していたこととなんらかの繋がりがありそうだな」
「ドミナも幻聴が聞こえるんだよね。僕のもそれに関係あるかな」
「分からん・・・でも、私の場合はお前の側にいれば何も聞こえない。だから、もしかしたら関係があるかもしれない」
ふと、ルノートはとある仮説を思いついた。ドミナは彼の側にいれば幻聴を聞かない。そして、ルノートはその逆で、彼女の側を離れれば幻覚を見ないのではないだろうか。
だが、それはできない。離れれば最後、ドミナが幻聴に苦しむのだ。
苦しむのは、自分だけでいいとルノートは思った。
「とにかく、今は何も分からないな。一旦食事を済ませよう」
「そうだね。まだ様子見だね」
ドミナの発言を耳に、ルノートは決意する。必ずやこの幻覚の真相を突き止めて見せると。




