3.南部馬
夜の闇の中、山の麓にある荒れ果てた牧場は、死んだように静まり返っていた。
「……ウ、ウゥン……」
低く、押し殺したような泣き声が、冷たい夜気の中に響いている。
桃太郎が、足元をぎこちなく這い回るタヌキと共に、その声に気づいて柵へと近づく。
そこにいたのは、岩のように太く無骨な体躯を小さく縮めるようにして震わせている大きな雌馬だった。
彼女の大きな瞳は、何もない宙を見つめていた。
「泣いているのか」
桃太郎が優しく声をかけ、柵の隙間から太い鼻面に手を伸ばした。
彼女はびくりと肉体を強張らせ、瞳を伏せた。
「……近寄らないでくださいませ」
彼女は、脳内に直接響くような、鈴を転がすような声で丁寧に応えた。
「世界のあらゆる情報が、悲鳴となって私の中に流れ込んでまいります。私は深い瞑想の果てに、宇宙のすべてが一つに溶け合うワンネスを体験いたしました。そして、こうして今夜、貴女様と出会うことも、あらかじめ分かっておりました」
彼女の美しい首筋の筋肉が、激しく脈打つ。
「かつて平地の人間たちは、私のこの脳のバグを『神託』と呼び、私を神馬に祭り上げました。私の苦しみを奇跡と称して、民から賽銭を巻き上げる詐欺師たちの道具に仕立て上げたのです。脳の錯覚を本当の奇跡だと信じ込み、他者を騙す詐欺師たちを、私は心底、憎うございました。そして彼らは、外国の馬の方が背が高く見世物になると分かると、私に"ミニマリストになりたいのだろう"と言って、このような何もない僻地に私を捨てたのです……」
彼女は、ぽろぽろと大粒の涙を泥の上にこぼした。
「私は孤独です。誰ともこの苦痛を共有できません。どこへ逃げても、私の脳はこの世界の悲鳴を拾い続けるでしょう。生きているのが、ただただ、寂しくてたまらないのです……」
タヌキは何も言わず、ただ「ポキョー」と喉を鳴らし、柵の隙間から首を突っ込んで彼女の足元に寄り添った。
桃太郎は狸と目を合わせて頷いた。
「私はドーニン山の桃太郎だ」
細い喉の奥に力が込もる。
「お前は一人じゃない。私の行く道には、平地の枠からはみ出した者しかいない。お前のその静かな怒りを、私に貸しなさい」
彼女は、大きく目を見開いた。
「……私のようなものでも、お役に立てるのでしょうか」
「ええ。お前がいてくれなければ、鬼の城へは辿り着けない」
南部馬は一度強く瞬きをすると、静かに力強く、その強靭な蹄を荒れ果てた大地に踏み鳴らした。




