10.襲撃
時を少し遡る。
午前十一時五十七分。
警察署の裏の茂み。
桃太郎は立ったまま目を閉じていた。
誰も時計を見ていない。
誰も合図を待っていない。
タヌキは既に単独行動で建物に侵入し、換気口の格子を外している。
南部馬は耳を伏せたまま地面へ意識を沈めている。
「来るよ」
オニヤンマが言う。
「もうそろそろですわ」
南部馬が答える。
オニヤンマは太陽を見ていた。
南部馬は風を聞いていた。
タヌキは建物の呼吸を数えていた。
そして桃太郎は、その全てを一枚の動く絵として見ていた。
誰の合図もなく、オニヤンマが上空を旋回しはじめる。
その足には匂い袋がぶら下げられている。
ツバキとサザンカの匂いが風へ乗り、近くの茂みがざわついた。
茂みから音もなく黒い影が雲のように沸き立つ。
チャドクガの群れだった。
「行くわよ!」
オニヤンマが空へ飛び上がる。
蛾の群れが後を追う。
まるで空そのものが剥がれ落ちたようだった。
同じ頃、タヌキは裏口の配電盤へ手を伸ばしていた。
金属音、火花。
建物内の電気が消えた。
南部馬が蹄を踏み鳴らすと、振動が壁へ走り、建物が軋む。
換気口の奥で風向きが反転した。
「逆流成功です」
タヌキが呟く。
配電盤から吹き出す煙、外の土埃、蛾の群れが署内へ流れ込む。
桃太郎は正門の前に移動し、静かに警察署を見上げた。
停電、怒号、混乱。
それらが一つの音となって彼女の耳へ届く。
桃太郎は微笑んだ。
「さぁ、鬼退治だ」




