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いつもと変わらない、いつもと違う場所


 ぼく達は門を潜って、いよいよ街の外に足を踏み入れた。

 この先は思い浮かぶ過去の記憶の無い、正真正銘初めての領域だ。


「大丈夫だとは思うけど、ちょっとでもしんどいと思ったら言ってね」

 少し後ろを歩く父から声を受けた。

 万が一ぼく達が音もなく倒れてしまった時の保険で、しばらく後ろを歩くらしい。



 そのまま数分歩いた。

 いつも通り歩いているので、門からもだいぶ距離がある場所まで辿り着いている。

 

「…ねえ、カイ?」

 隣で歩くリアナがぼくを呼ぶ。

 言葉の感じを察するに、内心は多分同じことを思っているんだろう。

 


「何?」

「私の言いたいこと、分かるよね?」


「ああ、まあ…ぼくも多分同じこと、思ってるだろうからね…」


 

 この辺りまで来ると顕著に呼吸炉からの酸素の減衰が始まると言われている。

 探索者以外の人間は簡易呼吸器を使用しなければ、まともに歩く事も出来ないはずだ。

 当然それをぼく達は頭に入れてここまで来た。

 

 でも空気は問題なく吸える。

 それどころか、照明が少ないが明るさもそこまで変わらないように見えた。


「いや、まあ魔法のおかげなんだろうけどさ__あ、なんか動物がいる」


 リアナは辺りをキョロキョロと見ながら、初めての街の外をなんとか楽しもうと必死になっている。

 門を抜けた先からは外灯が点々とあるだけで、実際はもっと暗いんだと思う。


 でも、ぼく達はそれを感じる事が出来なかった。

 


「…何もないだけで、街と変わらなくない?」

 あちこちを見たり胸一杯に空気を取り込んだりしていたリアナが、とうとうその言葉を口にだした。


「なんか、拍子抜けだね…」

 その言葉に思わずぼくも同意の頷きをする。

 ぼく達がキョロキョロと忙しなく動いているのを後ろから見ていた父は、思わずはは…と声を漏らした。

 

「特に問題ないなら、良いんじゃないかな…?」

「特に問題が無いのが問題なのっ!」

 


 空気が吸えない、目の前を照らす光もない。

 だから街の外は危険だ__ぼく達はそう教えられている。

 今回の初めての探索で、少しでもそれを味わえるとぼくとリアナは少なからず思っていた。


 だが、実際に出てみるとそれらの問題が全くなかった。

 普通に考えればそれはいい事なのだろう。

 


「なんか、街とは違うんだ!って感じが全くないのもちょっと…」

「そうだよねー…これじゃ、何もない道を歩いてるだけだから…正直つまんないかも」

 

 だがぼく達はそんな危険溢れる世界を、探索者と同じ目線で歩けるのだと思いながらここまで来た。

 正直問題ない事は今のぼく達にとって問題だ。


 訳の分からない事を言っているのは重々分かってはいるが、ぼく達は少しガッカリしてしまった。


 

 そんなぼく達のぼやきを受け取った父がうーん、と唸って頭を掻いた。


「まあ、この調子で帰ったらそれはそれで良くないか…」

 父の呟きを耳聡く聞き取ったリアナは途端に元気になる。


「そう!このまま何も無いままだと、私『達』こっそり街の外に出ちゃうかも!」

「何だよ『達』って!ぼくは別に__」

 

 

「__じゃあちょっとだけ、体験してみる?」

 思いがけない巻き添えに否定の声を上げたその時、父から提案が飛んだ。


「えっ…大丈夫なの?」

「…二人次第かな」


 サラッと恐ろしい事を言う父だが、リアナはそんな事お構いなしだ。


「したい!してみたいよね?カイ!」

 一度興味に火がついた彼女は止められない。

 ぼくはため息をつき父を見上げる。

 

「危なくなったらすぐ止めてね?」

「ああ、もちろん。でも__」

 言葉を続けながら父がぼく達に手を向ける。

 

「教えた通り、自分で守る事もちゃんと考えてね」

 

 

 父の言葉が終わった瞬間、


「__っ!」

「ゲホッ!何、これ__」


 風景が、空気が、闇に溶けた。


 

 肺が鉛のように重くなるのを感じる。

 それと同時に視界は急に閉じ、隣にいるはずのリアナが輪郭を残して闇に消えた。


 息がしにくい。

 何も見えない。

 暗い、苦しい__怖い。


「__カ、イ…」

 リアナも同じ様子で、たまらずぼくにしがみつく。

 どうやらぼくより更に辛いらしく、既に息も絶え絶えな様子だ。


「リアナ…っ呼吸器だ、呼吸器を…出して」


『万が一僕の魔法が途切れた時は、まず呼吸器を使う事。その後、なるべく安全な所に隠れて』

 ぼくは街を出る前に父に言われたことを思い出した。

 言葉に反応してリアナは自身のリュックに手を伸ばすが、パニックになっているようで固く閉じているリュックを開けられないでいる。


 その様子を見て、先に呼吸器を取り出したぼくはリアナの口元にそっと呼吸器のマスクを当てた。


「ごめんね、ぼくのだけど…」

 リアナは言葉が終わらないうちにぼくの手ごとマスクを押し当て荒い呼吸を繰り返し始める。

 革製の柔らかいマスク越しにぼくの指が頬あたりに食い込んだのを感じた。


「ハッハッ…ゲホッ!」

 それでも構わずリアナは必死の形相で空気を吸い続ける。

 

 ぼくもそろそろ呼吸が辛くなってきた。

 そう感じてリアナの呼吸器をリュックから取り出そうとした時、

 

「__そう、それを忘れないで。まず呼吸器で呼吸を整える事。それから次の行動を考えて」

 父のそう言うのと同時にぼく達の吸える空気が戻ってきた。

 

 霧が晴れたように視界も広がっていく。

 それまで輪郭のみだったリアナの、涙を浮かべた顔がぼくの目に飛び込んできた。


 目をギュッと閉じている為、呼吸が戻った事もまわりが見えるようになった事すらまだ分かっていない様子だ。


「リアナ、もう元に戻ったから大丈夫だよ。

 ぼくがそう言って肩を叩くと、涙目のリアナがぼくにしがみついたまま上目でこちらを見てきた。


「…ホン、ト…?」

「うん、もう大丈夫」

 ぼくは少しわざとらしく大きく息を吸い込み、リアナに周りを見るように促した。


 周囲が見渡せるようになった事を確認したリアナは、最後に呼吸器から空気を大きく吸い込む。

 そのままマスクを口から少し外した所で、

「あっ…」

 と言葉を漏らしてそっと付け直した。


「どうしたの?もう空気は戻って__」

「…このまま、借りててもいい?」

 

 ぼくの手から本体ごと呼吸器をひったくったリアナは、そのまま後ろを向いて自分のリュックを開く。

 モゾモゾと動いて何かをした後、ぼくのものとは違う可愛いキャラクターのシールが貼られた呼吸器をぼくの前に差し出してきた。

 

「…街に帰るまで、私の使って」

 そう言ってリアナはぼくに呼吸器を手渡す。


「別にいいのに…」

「私が嫌なのっ!もう、そのくらい分かってよ!」


「私が嫌って…ぼくが使うんだからいいのに。ね、お父さん?」

「ん?ああ、えっと…女の子だからね。そういうの、気になるんじゃないかな?」

 妙に歯切れの悪い回答をした父は、そのままマスクをハンカチで拭っているリアナに声をかけた。


「リアナちゃんごめんね、もう少し早く戻すべきだったね」

「ううん…私こそ、言いつけ守れなくてごめんなさい」

 

 リアナの様子を見て父はホッとした顔を浮かべている。


「カイは大丈夫だった?」

「しんどかったに決まってるよ…」

 

 

 おそらく十秒程度魔法を弱めただけなのだろう。

 だが、ぼく達にはそれがすごく長い時間に感じた。

 

 空気が吸えなくなったわけではない。

 吸った空気の中の生きる為に必要なものがゴソッと抜かれたような感覚と言えばいいか。

  

 平気な顔をしてここまで歩いてきたので思わず忘れていたが、本来街の外は最低限の生命活動しか許されていない死の大地だということをはっきり実感した。



「カイ、ありがとね」

 リアナが申し訳なさそうにこちらを見ている。


「ううん、大丈夫だよ」

 その顔を見てぼくはポケットからハンカチを取り出し、言葉を返しながら顔を拭った。


「それよりほら、そろそろ行こう。楽しみだね、リア__」

「ちょっと、待って。今…何を拭いたの?」

 拭き終えたハンカチをポケットに入れようとしたところで、ガッと手を掴まれる。


「何って、鼻み__あ、いや」

 ビックリしたぼくは思わず口を滑らせた。


「…ハンカチ、貸して」 

「え、でもぼくが使うハンカチが」

「私の使っていいから__あっ」

 そう言って自分のポケットに入っているハンカチを掴んだところで、自分のハンカチが今どんな状態か気付いたようだ。


「__っ!」

 リアナはもう片方のポケットにぼくのハンカチを突っ込んで、

「…諦めて。何かあったら、袖で拭いて」

そう言ってズンズンと歩きだした。



 ぼくと父はリアナから離れすぎないように少し後ろを二人で歩き始める。

 

「なんだよ…マスクだって、鼻水くらい拭けば使えるのに」

 ぼくのぼやきに父がビックリしたように反応する。


「えっ…気付いてたの?」

「ん?何が?」


「リアナちゃんがマスクを交換したの、何でか知ってたの?」

「鼻水がついたからでしょ?別に今までも気にしてなかったのに、今更変だよね」


 その言葉にあー、と言って父は何も言わなくなった。

 前を歩くリアナを見ると、恥ずかしいのかまだこちらを向かずズンズンと歩き続けている。


 ふと、リュックについたキャラクターと目が合った気がした。

『お前、コイツの事何にも分かってやれてねえんだな』

 そんなことを言われているような視線。


「ま、そんなわけないよな…」


 ぼくが誰にも聞こえないように口の中でそう呟く。

 それと同時に、キャラクターの視線がフッと解けたような気がした。

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