焦がれる程の思いを、あなたに
ぼく達はそれから何事もなく森まで辿り着いた。
「うわぁ!これが森!?すごい、キノコだらけ!」
「森というのは探索者の通称で、正確には菌樹林と呼ばれている場所だよ」
道中、リアナの機嫌はすぐに戻った。
元々怒ってはいなかったから機嫌を取り戻すまでは大分早かったと思う。
「すごーいっ!あっちにもこっちにも、キノコ!」
「こんなにごちゃごちゃしてたら、ちょっと気持ち悪いな…」
今ではこうして何事もなく肩を並べて森について評価を語り合っている。
こういう切り替えの早さが昔と変わらないのは、正直助かるところではある。
「私、ちょっと向こう見てくる!」
「あ…おい、リアナ!」
ぼくの静止を聞かずにリアナはサッと森の中に入って行った。
「大丈夫なの…お父さん?」
「うん。森は安全だし、魔法で捕捉出来るから問題ないよ」
父はそう言いながら手頃な石に腰掛ける。
森が安全地帯だと聞いた事は無いが、父がそう言うなら問題ないのだろう。
ぼくも父の隣にあった石に座り込んだ。
改めて森の方を見ると、奥が見通せない程菌の軸が密集しているのが見える。
わずかに軸の隙間から見える先は暗く吸い込まれそうな闇を湛えていた。
「菌が大量にひしめき合っているから、菌樹林って名前なんだよ」
森をじっと見ていたぼくに父の声がかかる。
「ペリソルにもこういう場所があるの?」
「ペリソルにもあるよ。ただ、『本物の樹林』だけどね」
「本物の樹林って…じゃあ、これは本物じゃないの?」
「うん、そうだよ。ここはペリソルにある『木』が立ち並んだ森と見た目が似ているからそう名付けられているんだ」
『木』と呼ばれるものは一応ぼくも知っている。
トワイルにもぼくの身長くらいのものが生えているが、それは本来の『木』よりも低いものらしい。
ペリソルから内側の地域には大きい『木』が普通に生えているらしいが、実際に見たことはない。
「へえ…こんなでっかい木が、内側にはあるんだ」
そう言いながらぼくは近くにあった巨大な菌の軸を見た。
大人が五、六人手を繋いでようやく取り囲める程の太い軸をした菌がそびえたっている。
上を見上げると遥か遠くで軸が傘を広げているのが見えた。
「内側には木や森だけじゃない。空気や、光があるから『草原』っていう場所もあるよ」
「ああ、二人がプロポーズした場所だっけ?」
ぼくの言葉に父は、よくぞ聞いてくれたと言わんばかりにニッと笑った。
「良く覚えてるね」
「まあ、何回か聞いたからね…」
ぼくはため息をつきながら答える。
確かに『草原』という単語は何回か聞いた覚えがあった。
父が数え切れない程した母との旅の話。
その中に数回登場しているので、何回か聞いたという表現は間違いではないだろう。
「ペリソルに『ソルネ』っていう街があって、僕達はその街に向かう道中に近くの『ジェルム』という村に立ち寄ったんだ。『日が沈んだ』から今日はここで泊まろうという事でね」
内側の地域についての話を聞くのは、知らない事だらけなのでとても面白い。
「宿の部屋に入るなりヘレナが『夜にしか見られない、とっても綺麗な場所があるらしいの!』って興奮した様子で言ってきたんだ」
面白いのだが、こと内側の地域の話に限っては少し父の話が億劫になる瞬間もある。
「その後宿に戻るなりヘレナが僕の腕をグッと抱いて『上手くいきました!』って女将さんに言ってたから、多分そういう事なんだろうね」
「…」
「その時のヘレナのイタズラそうに笑う顔は、本当に愛おしかった。プロポーズの時だって__」
「…ねえ、草原の話は?」
内側の地域の話をする時、父は必ず母の話でひどく脱線を始める。
「あ、そうだった…ごめんごめん」
一つ情報を話せば五つくらい母との思い出が飛んでくる。
父の悪いとも言いがたい悪癖の一つだ。
「…その『ジェルム』っていう村に『草原』があったんだね」
「ペリソルはあちこちに植物が生えてるんだけど、『ジェルム』の『草原』は少し特殊でね。『月明かり』に反応して僅かに発光する『月光草』という草が生い茂っていたんだ」
ぼくはその悪癖を何度か注意し直そうとした。
家の中でも当たり前のようにイチャつかれて、語る話の中でさえ惚気られるなんてたまったもんじゃない。
だが、結果としてそれは失敗に終わった。
『えっと…『空』に『太陽』があって、明るくて…『夜』が来ると今度は『月』が出てきて…』
頼むから普通に話だけして欲しい__そう言った結果がこれだった。
突然ポンコツになり、教科書に出てきそうな言葉を羅列する父に思わず口をポカンと開けてしまったのを覚えている。
『ペリソルはヘレナと旅をした時にしかちゃんと見て回ってないから、どうしてもね…あはは』
こう言っては何だが、父はどちらかというと説明が下手な方だ。
それでも母との旅で見聞きした事は、体験した事のないぼくにも伝わる程細かに説明が出来た。
母が情景の中心にいる時だけ、父の話は色を持ってぼくに届けられるという事がその時はっきり分かってしまった。
「生い茂っていた…?」
「ああ…見渡す地面全部に生えてたんだ、ごめんごめん」
裏を返せば制限をしなければ父は母を中心に据えた世界をどこまでも描写してくれるという事だ。
最近はぼくが諦めてそれを聞き、分からない単語があれば都度聞くというスタイルが固定されてきた。
「__とても綺麗だった」
「はいはい、お母さんがでしょ?」
「ああ、もちろんヘレナは綺麗だ。その時も、今もね」
分かってるじゃないか、と言いながら父はぼくの肩をガシッと掴む。
止められないならせめて茶化して雰囲気を薄めようというのが、ぼくの最近の話の聞き方だ。
「でもそれだけじゃない。風に乗って揺れる『月光草』も綺麗だったし、何と言っても__」
父はそこまで言って上の方を指差した。
「__『夜』なのに辺りを照らしている『月』が特別綺麗だったみたいでね」
「…前も聞いたけど、不思議だよね。上の方が明るいなんて」
そう言いながらぼくは父の指さす上の方を見上げた。
当たり前だが、暗闇があるばかりでそこには何もない。
内側の地域にはここに『太陽』や『月』があるらしい。
『太陽』が出ている時間が昼で、『月』が出ている時間が夜と聞かされているが、未だにぼくはピンときていない。
「『夜』が明るい理由はそういえば僕も聞いた事が無いな…どこかでまた聞いておくよ」
この世界はまだ解明されていない謎が多くある。
もしかしたら、今の会話もまだ解明されていない事なのかもしれない。
「向こうの人達はこの上の事を『空』とか『天』とか呼ぶんだけどね。『夜』になるとそこに『月』や『星』が浮かぶんだ」
「『星』…確か『夜』にだけ現れる光の粒みたいなものだっけ?」
「まあ、そんな感じかな。僕もそこら辺は教材以上の知識は無いんだよね」
学者なら分かるんだろうけど、と付け加えて父は話を続ける。
「僕はヘレナに手招きされて丘の頂上にある__そう、このくらいの石に二人でもたれかかって『星』を見たんだ」
父は自身の座っている石に手を置いた。
大人二人だと、だいぶ身体を寄せ合わないともたれかかれないいくらいの石だ。
「…それで、『月』や『星』はどんな感じだったの?」
その時の様子が容易に想像出来たため、ぼくは話が脱線しないように話を先に進めた。
「…実は、あまりちゃんと見てなくてね」
「え…なんで?」
「不安だったんだ…次の日向かう『ソルネ』が、ペリソルで最後に向かう街だったから」
そこまで言って父が少し言い淀み、辺りが静寂に包まれた。
「…どういう事?」
次に語られる言葉が母に関する事なのだけは間違いない。
だが、悔しい事にぼくは話の続きが気になってしまった。
「最後の街だから、ヘレナの出身が『ソルネ』だろうって思ってたんだ。キニツァヤナは調べてないけど、あそこの人間が一人で『ノクサ』に倒れているなんて有り得ないからね」
「…うん」
「もし街で知り合いや親…記憶が無くなる前の恋人や旦那なんかに出会ったりしたら、僕とヘレナの旅はそこで終わってしまう。
__そう考えていたら『空』なんて見ていられなくてね」
父は当時の悲しさを思い出したのか、苦い顔をしてふぅとため息をついた。
「…そう思ったから、そこでプロポーズをしたの?」
悔しい。
非常に悔しいがぼくは父の話に聞き入っていた。
既に母の話しかしていないが、ここで話を止められる方が逆に気持ち悪い。
ぼくは父に続きを促した。
「…いや、する気はなかった」
「なんで!?」
「全部の街を回って、それからちゃんとプロポーズしようと思っていたんだ。後から噂を聞きつけて昔の夫が訪ねてきた、なんて事になったら嫌だからね…まあ結局、その心配は杞憂に終わった訳だけど」
ぼくは突然知らない男が家に現れて、『妻を返せ!』と言っている光景を浮かべた。
「確かに…それは嫌かも」
「だろ?だからそれまで我慢しようって、心に誓った。
__でも、むしろヘレナの方が我慢できなかったみたいでね」
父はあはは、と笑い頭を掻いた。
「僕の考えも全部分かった上でそれでも言ってきたんだ。
『私この旅が終わっても、あなたと一緒にいるから』
って、『月明かりの下』でも分かるくらい顔を赤くしてね」
「へえ…お母さんからプロポーズしたんだ」
ぼくは少し意外だった。
普段からスキンシップの多い二人ではあるが、基本最初に行動を始めるのは父だ。
プロポーズも当然父が全て行なったと思っていた。
まさか母から切り出したとは、予想外だった。
「昔の縁が『ソルネ』にあっても僕について行くっていう意思表示で、プロポーズってわけでは無かったらしいけど…カイもやっぱりそう聞こえた?」
「いや、そうにしか聞こえなかったというか…」
「…これは気付くのに、リアナちゃんの事はなんで気付かないんだろうな…」
「え、何か言った?」
父はボソッと何かを呟いたような気がしたが、小声すぎて聞き取れなかった。
「いや、何も__とにかくその言葉と表情で、ぼくは決心したってわけさ」
そう言って父はぼくに微笑む。
ぼくはその顔をじっと見て次の言葉を待った。
「…ん、どうした?」
「え…今ので終わり?」
「そうだけど?」
「…いや、プロポーズの言葉は?」
もうペリソルがどうとか、『星』や『月』がどうとか、そんな話はどうでも良くなっていた。
ここまで散々話しておいて、何と言って母と一緒になったのか聞かないのは流石に有り得ない。
悔しいが、完敗だ。
ぼくはプロポーズの言葉を催促して父を待った。
「__流石に恥ずかしいから、言わないよ」
だが、父から返ってきたのはぼくの求める答えから一番遠いものだった。
「え、なんで!?いっつもぼくに惚気話を聞かせてくるのに!」
思わぬ所で芽生えた興味を摘み取られて、ぼくは思わず父に迫った。
グイグイと迫るぼくを、肩を押さえて父は止める。
そのまま元の座っていた岩にグイッと押し返された。
「はは!カイもその時が来たらわかるさ。なんたって__」
「…『僕の息子だから』でしょ」
「そう。いつかカイが『大事な人』に気持ちを伝えた時に、僕が何て言ったか分かるんじゃないかな?」
父の言葉で、ふとリアナの事を思い出した。
「そういえば、リアナは?」
「ん?向こうの方でキノコ狩りしてるよ」
「…ぼく達、だいぶ長いこと話してたよね?」
「すごいよね。集中力があるというかなんというか…あ、戻ってきたよ」
言葉に反応して父の向いている方を見ると、地面の菌を踏み分けながらリアナが森から出てくるところだった。
「ついに見つけたよ、最高の一本!」
石に座るぼくの前に立ったリアナは、少し屈んでへへん!と言いながらぼくに手を開く。
自信ありげに出された『最高の一本』をみて、ぼくは思わず背筋をゾゾッと震わせた。
「__気持ち悪!そんなヤバイ見た目のキノコ、食べられるわけないだろ!」
開かれた手の上には、赤や紫の斑点を傘の部分に付けたキノコが置かれていた。
心なしか軸も緑がかって見えて、本当に気持ち悪い。
「えー、私はいけると思うんだけどなー?」
リアナはぼくの感覚が理解できないようで、変なの、と言いながらキノコを見つめている。
下手すれば今にも口に入れてしまいそうな彼女の様子をヒヤヒヤしながら見ていると、横から伸びた父の手がキノコをそっと摘まみ取った。
「ハロルドさん!これ、食べられるやつ!?」
「まさかとは思ったけど…このキノコ、まだ生息していたのか…」
父はキノコを持ったままリアナの方を向いてニコッと笑った。
「__すごいね、リアナちゃん」
父の言葉にリアナは深くガッツポーズを決める。
きっと彼女の頭の中ではこのレアキノコをどう食べようか、なんて思考が巡っているに違いない。
「これは『コガレタケ』っていうキノコだ。手に取った者に焦がれる程の思いをさせることから、そう名付けられた」
「焦がれる程美味しいってこと!?」
「いや…これに触れた者は皆、口を揃えて懇願するんだ。
__『触れた部分を斬り落とすか、いっそ殺してくれ』ってね。このクラスの『猛毒キノコ』は見つけ次第処分する決まりだから、まさか本物を見ることがあるとは思わなかった」
その言葉にぼくとリアナはサッと青くなった。
父は呆然としているぼく達を横目に見ながら、コガレタケと呼んだキノコを両手で覆った。
「魔法かけてなかったら今頃、パンパンに腫れ上がったリアナちゃんの腕を斬り落とさないといけなかったかもね。運がいいよ」
そう話す父の手に光が滲み始める。
光の奔流よ
彼の者を 疾く消し去れ
『射殺せ』
手の中の光が強く弾けて、ジュッという音と共にキノコが光の中に消えた。
恐らくぼく達がまだ見たことのない、父が使う攻撃系の魔法なのだろう。
なお青い顔をしているぼく達に、父は微笑みかける。
「__外の世界は魔獣だけが脅威じゃないから、探索者になるならしっかり勉強しておこうね」
もしこれが探索者になってから起こっていたら。
厚い手袋をしていて手の腫れに気付かなかったかもしれない。
先程の様子を見るに、リアナはそのまま何も知らずキノコを口にしていただろう。
__苦悶の表情を浮かべながら殺して欲しいと願うリアナを想像して、ぼくは心臓がキュッと痛くなった。
「カイ…私勉強苦手だから、お願いね」
「…努力は、する」
「私、嫌だよ。カイを殺すの」
「何でぼく!?そうなるなら、多分リアナでしょ!__」
最後の言葉が終わる頃、ぼくはふと辺りを見回した。
「どうした?カイ」
突然キョロキョロし始めたぼくに父が声をかける。
ぼくはハッと思い出し、リアナの後ろに回りこんで彼女のリュックを掴んだ。
「ちょっと、何してるの…?」
奇行にも見える行動をするぼくにリアナは引いた目をしている。
「__誰か、見てる」
そんなわけないのはよく分かっている。
ぼく達三人以外にこの森には誰もいない。
魔獣も今はいないと報告があったのは知っている。
だが確かに誰かの視線を感じる。
先程キャラクターに見つめられる感覚があったのを思い出してリアナのリュックを見たが、今はそれも感じない。
いや、そもそもさっきは何でその感覚があったのか__
「そんなわけない。さっきからずっと魔力感知は切らしてないけど、周りには僕達以外誰もいないよ」
ぼくの考えを遮るように父が言葉を出した。
「でも__」
「やめなさい、カイ。リアナちゃんが怖がってるでしょ」
リアナの方を見ると父の言う通り、辺りを警戒し始めていた。
「ねえ、カイ…誰かいるの?」
額に汗が浮かんでいる。
明確な恐怖を感じさせていることに気付き、ぼくはリアナの手を取った。
「ごめんね、リアナ。気のせいだ」
「でも…」
「お父さんも問題ないって言ってる。魔法が使えるお父さんがそう言ってるんだから大丈夫だよ」
「うん…分かった」
そう言ってリアナはぼくの手を握り返した。
「まだちょっと怖いから…落ち着くまで、手…このまま繋いでて」
「自分で言っといて何だけど、ぼくもちょっと怖かったから助かるよ」
「何それ、変なのっ」
きっと、初めての探索で臆病になっているのだろう。
あるいは、浮かれていたのかもしれない。
怖がらせる意図はなかったけど、迂闊なことを言わないように気を付けないといけない。
そんなことを考えてぼくはもう一度、表情や行動に出さないように周りを見た。
だが、もう先程感じた気配はどこにも感じなかった。




