手折る蕾、掌の温もり
「……あ…」
地面に突き刺した剥き出しの肉が地面と擦れた時、
「あ__あ゛ああああ!!」
ぼくの身体は痛みを思い出した。
痛い。
ただひたすらに、ぼくの全身を痛みが貫いていく。
痛みに耐えきれなくなったぼくは、気付かないうちにうつ伏せに倒れていた。
「テメェの思い違いは、その三つ」
スクルージが何かを言っている。
「まあなんだ、最初から死ぬ以外の選択肢はねぇんだよ」
聞こえてはいるが、聞き取ることはもう出来なかった。
視界がチカチカと明滅する。
痛みで意識を失い、痛みによって無理矢理起こされる。
血だらけの全身を洗い流すように汗が噴き出してきた。
「あ゛あ!!あ゛っ__」
それでも止まらない叫びを遮るかのように、痙攣する胃からせり上がってきたものが口を塞いだ。
「う…お゛ぇ」
口の中から放たれたそれらは地面の血だまりに広がって、転がるぼくの顔に、身体に纏わりついた。
「きったねぇな…」
スクルージは足元の石をいくつか手に取る。
「で…俺の攻撃を全部、どうするって?」
そう言いながら手に取った石を一つぼくに投げつけてきた。
ぼくに投げつけた石は膜に守られた右足に当たり地面に落ちる。
石は黒いモヤを纏い、そのモヤはぼくの右足と繋がっていた。
『紗殻離落』
「ぐっ…!!うう!!」
光の膜が消し飛び、剥き出しになった右足の怪我が痛みを思い出す。
潰れた左脚には及ばないが、それでも叫ぶには十分な痛み。
「武器でも魔法でも、何だって?」
スクルージは石を投げつける。
避けられなかった石が、右の胸に当たった。
『紗殻離落』
「あ゛…ぐっ!!」
「忘骨がガキをいつまでも殺せねぇから、何だって?」
スクルージは石を投げつける。
左足の裂けた肉に当たった。
「__っ!!」
頭に当たる寸前、左腕で庇った。
「あー、惜しい」
『紗殻離落』
「ぐ…がっ!あ…!!」
膜で防ぐと、剥ぎ取られる。
生身に当たると傷口を抉られる。
何度も、何度も。
ぼくを剥き出しにしていく。
何度も、何度も。
癒えきらない傷をさらに広げていく。
何度も、何度も。
永遠のように続いてぼくを苦しめ続けた。
「__力もねぇクセに吠えんなや、ガキ」
石が飛んでこなくなった頃、スクルージが呟いた。
「あ…ぐ……」
膜は頭と脇腹以外、全て剥がされてしまった。
右肩と左脚の断面から絶え間なく死の拍動が伝わってくる。
「弱いクセに『自分なら何とか出来る』とか『自分が何とかしなきゃ』とか息巻いて勘違いするクソなんだよ、お前は」
左手と右足も、投げられた石を防いだ時に変形してしまった。
恐らくまともに動くことはもう出来ない。
「ううっ!ぐっ…!」
痛みに悶えながら、それでもぼくはズリズリと這い始めた。
「__は?」
その行動を見たスクルージから、怒気を孕んだ唸りが漏れたのが聞こえた。
構わずぼくは身体を押し進める。
痛みで混乱した頭は、確かに告げている。
少しでも、少しでも__そうすれば、何とかなる。
…何とかなる?
父が来ないこの状況で、なぜ?
痛みに支配されている思考に、ただ浮かんでいる謎の言葉。
「リア、ナ…」
『リアナの元に辿り着けば何とかしてやる』
ぼくは頭に浮かぶ謎の言葉に従うように、ただ身体を押し進めた。
身体は悲鳴をあげている。
それでも動きは止めない。
身体が、そうすべきと分かっている身体がリアナの元に少しずつ近づいていく。
「リア、ナ__」
あと少し。
もう少しでリアナの元に__
「__気持ち悪ぃんだよ、さっきから」
滲み出た怒りを隠すことなく吐き出したスクルージは、言葉と共にドス黒い魔力を噴出させてリアナの全身を包み込んだ。
「何も出来ねぇって、言って分かんねぇのか?」
「っ…やめ…!」
「やめるわけねぇだろ、クソが」
『紗殻離落』
言葉と裏腹にパン、という軽い音を立てた魔力は、リアナを包んでいた膜を全て剥がして霧散した。
「ん…」
リアナが意識を取り戻した。
「__痛っ……」
切り裂かれたその痛みを、ゆっくりと脳が認識していく。
吸えない空気の辛さを、ゆっくりと脳が認識していく。
「__あっ…」
そして、脳が全てを認識し終わった頃、
「あっ…!ああ!!……っ!!」
リアナは言葉にならない叫びと共に、もがき苦しみ始めた。
全身から伝わる痛みを押し殺すように、自分の身体を抱き込む。
それでも殺しきれない苦しみが、彼女を支配し身体を震わせている。
「リアナ…!リアナ!!」
「っ…カイっ……!いたい…っなんで……!」
その様子を見たスクルージは肩を竦めてリアナへと近寄る。
「こっちも変わってねぇか。ま、好都合だけどよ」
ケラケラ、と笑い声が聞こえてきた。
ようやくお気に入りのオモチャを見つけたような、そんな嬉しそうな声。
「リアナ、だっけか?」
スクルージはリアナの首を後ろから掴んだ。
「テメェに選ばせてやるよ」
「い、いやっ…やだ…っ」
抵抗する力のないリアナはそのまま引きずられていく。
踏ん張ろうとした足は地面を擦ることなく、完全に身体は持ち上げられた。
「やだ、っ…おろして__」
そして、リアナはぼくと目があった。
あちこちが無くなって、ぐちゃぐちゃになったぼくと。
「ひっ__」
「黙って聞け。そんで、さっさと選べ」
目の前で起こっている状況をようやく理解したリアナの顔を覗き込んで、スクルージは愉悦を滲ませる。
心なしか恍惚とした表情になったスクルージは、リアナをぼくに近づけて告げた。
「一人だけにしてやる、テメェが決めろ」
「…えっ?」
「お前かそこの死にかけのガキ、殺すのをどっちか一人だけにしてやるって言ってんだよ」
「いや…」
「嫌じゃねぇよ。ほら、早く選べよ」
「殺さ、ないで…どっちも……」
はぁ、とため息をついたスクルージは掴んでいる腕をブンと振ってリアナをぼくに投げた。
投げられたリアナを受け止めようと体勢を整えようとして、地面に付いた腕が潰れていることを思い出す。
「ぐうっ!!」
ぼくは構わず潰れた腕をバネに身体を仰向けにした。
そのまま飛んでくるリアナを抱き込むように受け止める。
「グッ…!」
潰れた腕で受け止めたため思わず苦悶の声を漏らしたが、『今回は』上手く受け止められた。
「カイ…っ」
「いつもの『嵐』も、役に立つんだね…はは…」
そう言いながらぼくはそっとリアナの頭を撫でた。
「あっ…」
恐怖と苦しさで歪んでいたリアナの顔が、少しだけ緩む。
その顔を見て、ぼくも全身の痛みが少し引いたような気がした。
「ったく、つまんねえつまんねえ。ガキ同士乳繰りあって何が楽しいんだか」
「…さっきから、つまらないとか楽しいとか…勝手なことばっかり言うなよ」
「ん、そんな事言ってたか?分かんねぇや」
ボゴッという音を鳴らして地面から棍棒が離れる。
スクルージはそれを肩に担いでニヤッと笑った。
「…ぼくはいいから、リアナは助けて」
「っ!カイ!やだよ、そんなの!」
抱きしめられたままリアナがぼくの服を掴む。
「分かるだろ?ここで殺されなくても、ぼくはもう__」
「いや!…嫌だよ、カイ…」
血で濡れた服を涙で洗いながら、リアナは更に強くぼくの服を握りしめる。
力強く、しっかりと。
「リアナ…?」
ぼくはその様子を見て、もう一度頭を撫でる。
声に反応したリアナが顔を上げてぼくを見た。
先程より血色の良い顔。
その顔を見て、ぼくは思い出す。
『リアナの元に辿り着けば何とかしてやる』
先程まで浮かんでいたその言葉はもう聞こえてこない。
その代わりに、今は違う言葉が浮かんでいる。
だが、ぼくはその言葉が指示していることを理解出来なかった。
浮かぶ言葉が何なのか、分からないからだ。
ぼくは頭に浮かぶ見た事のない言葉を、それでも何とか理解しようと思考を続けていた。
「__どっちも殺さないで!!」
そんなぼくの思考を、リアナの鋭い声が遮った。
ぼくが謎の言葉について考えているうちに、話が進んでいたようだ。
「…私達を、殺さないで…」
「…それが、お前が出した決断か?」
「そう…私の決断、です…」
小刻みに震える身体をぐっと抑えて、リアナは必死にスクルージに訴えた。
「お願い、します…」
「__しゃーねぇなぁ」
はぁ、とスクルージは息を鳴らした。
「二人で生きて帰りたいんだよな?」
「う、うん…」
「そりゃそうだ。そのガキも『自分も』大事だもんな?」
「そう!だから、私達を見逃して!」
「ああ、そうだな。分かった分かった__」
『見逃して』
その言葉を聞いたスクルージがニヤッとした。
「__お前が隣にいる奴のために命も張れねえってのがな」
「…えっ?」
「そっちのガキは『自分は死んでいいから、リアナは助けてくれ』って何度も言ったけどな?冷たい奴だなー、お前」
スクルージの言葉にハッとしたリアナは、ぼくの方を見て顔を青くしていく。
「ちっ違…私は、ただ…!」
「薄情だよなー。ぐっちゃぐちゃになるまで散々守ってくれたのによ。私は生き残りたいですってか?」
リアナはぼくとスクルージを交互に見て、脂汗を浮かべながら肩で息をし始めた。
「私は、ただ…カイと、一緒に…」
「分かってる…分かってるから!」
「は?一緒に?結局そう言って助かりたいだけじゃねぇか。お前にとってそのガキは『自分の命を張る』程のもんじゃねぇって事で良いんだな?」
「もうやめろ!!スクルージ!!」
「やめねぇよ。こんな楽しい事、やめる方がバカだぜ?
__おい、決断から逃げんなや。こっち向け」
その言葉でリアナが恐る恐る振り向くと、ぼく達に向けて三本の指を立てた腕を突き出してきた。
「相手を止める力もねぇ。守られるだけで自分で何かをしようともしねぇ。なのに自分の言い分は通してぇ。俺は誰も殺せなくて、逃げた二人はハッピーってか?ふざけんじゃねぇよ。
__三つ数える。それまでに決めろ」
「決めるって、何を…」
「バカか?どっちが死ぬかを、だよ。当たり前だろ」
「そんな!そんな事言われても、私…!」
「決めねぇなら二人とも殺す。お前の決断力の無さにそっちのガキも巻き込まれるだけだ。ほら、いくぞ」
スクルージは手の甲をこちらに見せた状態でカウントを始めた。
「さーん__」
無慈悲に数え始められたカウント。
それを聞いて、リアナはぼくの方を振り向いた。
「リアナ。分かるだろ…ぼくは、もう…」
ぼくの言葉でリアナの視線が動く。
左脚、脇腹、右肩、そして頭。
ぼくがぼくを切り捨てる決断をした理由を、リアナは目を逸らす事なく見た。
「カイ、ごめん…ごめんね…こんなになるまで、守ってくれたんだよね」
「そんなの、当たり前だろ」
ぼくは少し微笑んでリアナの頭をくしゃっと撫でた。
「大切な家族で、好きな人__家で言ったのは、嘘じゃないから」
「にぃーーい__」
「おい!!ぼくが殺されてやるって言ってるだろ!!」
スクルージはぼくの言葉を無視して親指を閉じてゆく。
ぼくの決断はどうしても聞き入れてもらえないらしい。
「くそっ…」
どこまでも卑劣な男だ。
だが、何も出来ないぼく達はこいつの言う通りにするしかない。
「リアナ、辛いとは思うけどぼくを__」
「カイ、ありがとね」
リアナはそう言って頭に乗せられたぼくの手を握って、自分の頬に当てた。
少しだけ目を閉じて、当てた手の方へ首を傾ける。
一筋の涙が顔を伝ってぼくの手へと溢れた。
「いーーぃちぃ__」
「ありがとって…何を言って__」
「__ねえ、スクルージ。聞かせて」
ぼくの言葉より先にスクルージの方を見たリアナ。
振り向く一瞬見えたその顔が意味するものを、今のぼくは良く知っていた。
「…もしカイを選んでも、このままじゃ死んじゃう。だからカイを選んだら、あなたの付けたこのケガをなんとかしてくれる?」
「何言ってるんだリアナ…」
「ねえ、それくらい答えてよ。聞いたら、私もちゃんと決めるから」
「リアナ、ダメだ!!」
リアナは覚悟を決めてしまった。
いや、スクルージによって決めさせられてしまった。
そんなリアナにスクルージが言う事なんて、ぼくにでも分かる。
「__ま、壊す魔法があるなら当然その逆もあるわな」
残された中指をこちらに向けたまま、スクルージはそう言った。
「それを使えばそのガキも助かる。特別に欠損部分もサービスしてやるよ」
「…信じていいの?」
「ああ、嘘はつかねぇ。『誓う』ぜ」
スクルージが『誓う』と言った瞬間、場の空気が一段重くなった。
何故かは分からない。
だが、この男の『誓う』という言葉はとても重いものなのだと、強制的に理解させられた。
「…分かった」
リアナもそれを感じたのだろう。
一言呟いた後、再びぼくの方へ振り向いた。
「カイ、ごめんね。最後に…いいかな?」
「ダメだよ…!最後だなんて、そんな…」
彼女を止める言葉を必死に考える。
そんなぼくをリアナはそっと抱きしめた。
「リア__」
そして何とか繋ぎ止めようとぼくが開いた口を、彼女の唇が塞いだ。
音が、痛みが、思考が。
全て消えていくのを感じた。
一秒か、二秒くらい。
そんな永遠の時間が、リアナとの間で流れた。
「ぷはっ…」
茫然とするぼくから少し惜しそうに唇を離したリアナの息継ぎの音で、永遠の時間が終わる。
見上げたリアナは優しい目でぼくを見ていた。
とても優しい__ぼくを守るような目で、ぼくを見ていた。
「…もうちょっと大人になってから、しようと思ってたんだけどな…あはは」
「…なんだよ、それ…」
「大人になれないんじゃ仕方ないよね。今しなきゃ、きっと死んでも後悔してたから」
「だめだよ…リアナ!行かないで!!」
ぼくの言葉に少し困ったような笑いを浮かべている。
「えー何、もう一回?さすがに恥ずかしいんだけど」
「違う…違うよ!ぼくはリアナに死んで欲しくないから…だから…!」
「…そこはもう一回って言って引き止めるとこだよ、ホントにもう…」
リアナはそう言うと、泣きそうな顔を不自然な笑顔で隠しながらぼくから離れた。
傷ついた足でしっかりと地面を踏み締めて、ぼくに背を向ける。
「リアナ!!」
「__私も、大好きだったよ。カイ」
リアナはそう言って離れていった。
スクルージの元へと__リアナを殺す、男の元へと。
「…何で…」
ぼくに奴を倒す力があれば。
ぼくにリアナを守れる力があれば。
こんな事にはならなかったのに。
ぼくに、戦う力があれば__この『頭に響く言葉』に耳を傾けなくても済んだのに。
「ふざけるなよ…それじゃ、遅いんだよ…」
リアナがくれたキスで聞こえ出した、頭の中に浮かぶ言葉の通りに聞こえるこの声。
意地悪そうな声がぼくに囁く。
『今を犠牲に、時を待て』
遠くなっていくリアナの背中。
追う術を失ったぼくは、ただそれを見ていることしか出来なかった。




