実力を見誤った男の末路
「どうして暗殺者たちの動きを予測し、先回りして仕留めることができる……!? そもそも、なぜ、貴様がここまで戦えるんだ……!?」
ジークハルトが頭を抱えて唸る。
彼は目の前で展開された現実を、どうしても受け入れることができずにいた。
ジークハルトの知るノクスは、苦労とは無縁で、のほほんと育った貴族のお坊ちゃんにすぎない。
剣や魔法を嗜みとして学んでいることは知っていたが、それは単に社交の場で披露する程度の芸であり、命を賭けて戦えるような本格的な腕前など、持ちえるはずがなかった。
まして、ノクスが目の前で剣を抜いて暴力に訴えることなど、一度たりともなかった。
そのため、ジークハルトはノクスの真の実力を完全に見誤っていたのだ。
「ジークハルト、おまえが動揺するのも無理はない。俺はずっと、おまえたちの前で、暴力を恐れる意気地なしだったのだからな」
ノクスはそう言った。
だが、百回のループの中で、どれだけジークハルトに悪質な手を使われようとも、ノクスが暴力で応じなかったのは、決して臆病さからではなかった。
本当の理由は、ノクスが貴族という立場に縛られていたからだ。
卑劣な暴力に対して同じ手段で応じることは、ノクスの矜持が許さなかったのである。
いつでも正しく、まっとうな人間でありたい。
貴族とはそういうものだと、かつてのノクスは頑なに信じていた。
(間違いに気づくために百回もの死が必要だったとは。笑ってしまうほど愚かだな)
高潔な貴族の仮面をかぶりたいという思い上がりに縛られ、自ら敗北への道を選び続けていたのだ。
今振り返れば、正気を失っていたとしか言いようがない。
一歩、また一歩とノクスは前へ進む。
ノクスの眼差しは、もはや弱々しい貴族の御曹司のものではない。
地獄を這いずり続け、生き延びるために牙を研いだ獣のそれだった。
「俺はもう、貴族の理想なんぞに縋らない。ジークハルト、おまえと同じ闇に身を堕としてやった。うれしいだろう? 好きなだけ本気でぶつかりあえるぞ」
腕を広げたノクスが、にんまりと微笑む。
その姿は、死神が獲物に手を伸ばす様を彷彿させた。
ジークハルトの背筋に、ぞわりと寒気が走る。
こんな狂気じみた言動をノクスが見せたのは初めてだ。
困惑のあまり顔を歪めながら、ジークハルトはようやく理解した。
目の前の男は、自分が知っているノクス・アルヴェインではない、と――。
「くそっ……」
明らかにノクスのほうが優位にある。
そう悟ったジークハルトはなんとか形成を立て直そうと試みた。
「……まだだ! こっちには奥の手が残っている……!」
そう叫んだジークハルトは、必死な形相で詠唱した。
直後、建物の外から人々の怯えた悲鳴が聞こえてきた。
怪訝に思いながら、ノクスが眉を顰める。
ジークハルトはククッと笑いながら、窓のほうを顎で示した。
「外を見てみろ、ノクス」
ノクスが窓に視線を向けると、そこには驚くべき光景が広がっていた。
この建物は裏通りの真ん中に立っている。
その建物を中心に、半円状の巨大な結界が張られていた。
結界は、ジークハルトが先ほどの詠唱で発動させたものらしい。
裏通りで暮らす人々はその結界内に閉じ込められ、外の世界へ出られなくなっていた。
しかも、光り輝く結界の膜は、単なる半透明の壁ではなかった。
触れようとする者の皮膚を焼き、火花を散らして弾き飛ばすのだ。
「熱っ……! 皮膚が焼けやがった!」
「クソッ、これじゃあ外に出られないぞ……!」
裏通りで生きる者たちは、血に濡れた仕事にも慣れ、日常的な危険には動じない。
それでも、自分たちが完全に狩られる側の立場になったと悟り、顔色を失っていた。
「おい……誰がこんな結界を張りやがった!?」
「ふざけやがって……! 何のためだ……! 俺たちを閉じ込めてどうする気だ!」
混乱を招く状況と逃げ場のない恐怖が、裏通りの住人たちを次第に追い詰めていった。
ノクスは鋭い眼差しでジークハルトを睨みつけた。
「ジークハルト、あいつらを巻き込んで、何を企んでいる」
「ククッ。あれは予備として用意しておいた人質だ」
主導権を取り戻したと確信したジークハルトは、ほくそ笑みながら懐から小瓶を取り出した。
この小瓶は後継者のロクセーヌ伯爵から授かったものだ。
中に入った禍々しい色の液体は強化剤だという。
琥珀色の液体は瓶の中で不気味に蠢き、怪しい光を放っていた。
「……これさえあれば……俺は、貴様を倒してロクセーヌ伯爵の信頼を取り戻せるッ!」
躊躇いもなく、一気に喉へと流し込む。
ジークハルトの肉体は軋む音を立てて膨張しはじめた。
全身の血管が浮かび上がり、皮膚の下で脈打つ。
骨格が軋み、筋肉がはち切れる。
ジークハルトの体は、人の形を保てぬほどに歪み、異形の怪物へと姿を変えていった。
膨れ上がった巨体が、建物の屋根を内側から突き破る。
轟音とともに木材や瓦礫が宙を舞い、裏通り全体に破片が降りそそいだ。
地面は裂け、隆起し、近隣の家屋まで巻き込んで崩壊していく。
暴走する魔力と異形の巨体によって、街の一角そのものが破滅へと沈みかけていた。
炎と瓦礫に包まれた裏通りでは、逃げ場を失った住人たちが右往左往し、恐慌状態に陥った。
その中には、お茶会の一件で知り合った三人の借金取りや、彼らに匿わせていたセシリアの姿もある。
侯爵令嬢が絶対に近づかない場所として、借金取りたちのもとに預けたのだが、それが裏目に出てしまった。
セシリアは三人に守られながらも、怯えた顔で空を見上げている。
木片が頭に直撃して血を流す者、倒壊した壁に腕を挟まれて悲鳴を上げる者、崩れた瓦礫の下敷きになり必死に助けを求める者――。
無関係の人々を巻き込んだジークハルトの暴挙に、ノクスは舌打ちを鳴らした。
(さすがにこの者たちを放っておくわけにはいかないな。俺とジークハルトのくだらない争いに巻き込まれた被害者なのだから)
攻撃に転じたい衝動を必死に押さえ込み、防御の詠唱を紡ぐ。
瞬間、青白い光が走り、半球状の結界が裏通りの人々を包み込んだ。
炎をまとった瓦礫が降りそそぐが、障壁に当たると弾け散った。
ジークハルトの爆発的な一撃が連続して襲いかかっても、結界は微動だにしない。
「……あの人、俺たちを守ってくれてる……?」
誰かの細い声が、混乱に沈む群衆の中から響いた。
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