先手を打ってやる
ルヴェリエ侯爵のビラがまかれた翌日。
屋敷での監禁をようやく解かれたセシリアは、胸の奥に抑えきれない焦りを抱きながらノクスのもとを訪れた。
「……また来たのか」
関わるなと釘を刺してあるのに、懲りもせず現れたセシリアを見て、ノクスは呆れ交じりの溜息を吐いた。
だが、結局は扉を開き、彼女を屋敷へと招き入れた。
「諦めないって言ったでしょ!」
セシリアは勢いよく言い放つと、少しだけ言いづらそうに付け足した。
「あなたは何も気にしていないかもしれないけど……一応、言っておくわ。ここ数日、顔を出せなかったのは私のせいじゃないの。父に、屋敷に閉じ込められていたのよ」
「……監禁、だって?」
ノクスが眉を顰めると、セシリアは唇を尖らせて頷いた。
「部屋に鍵をかけられて、外に出ることすら許されなかったわ」
思い出すだけで腹が立つのか、語気が自然と熱を帯びる。
「でも、じっとなんてしていられなかった。窓から抜け出そうとしたり、荷物に紛れ込んで突破しようとしたり……」
次々に言葉が零れ、気づけば早口になっていた。
彼女が説明した話から、セシリアが五度も脱走を試みたと知ったノクスは、思わず口元を緩めた。
「五回もか。しかもそんなとんでもない方法で……くくっ」
つい笑ってしまったノクスを見て、セシリアの頬が赤く染まる。
「なによ、レディらしくないって、思ってるのね?」
気まずさを隠すように視線を逸らし、そっと言い添える。
「……でも仕方ないじゃない。なりふり構っていたら、永遠にあなたに会えないままだったんだもの」
「セシリア……」
彼女の想いを拒むべきだと、理性ではわかっている。
けれど、言葉の端々からはセシリアのひたむきな気持ち伝わってきて、なかなか無下にはできなかった。
できる限りセシリアを傷つけたくない。
そう考えたせいで、ノクスの眉尻が力なく下がる。
セシリアはそんなノクスの様子を見て、慌てて両手を振った。
「ちょっとやめて! 辛気臭い顔なんてしないでよ! 前にも言ったけど、同じ気持ちを返してほしいなんて思ってないんだから」
セシリアの声色は不思議なほど軽やかで、冗談めいた響きさえ感じられた。
ノクスは小さく息を吐き、苦笑を浮かべた。
突き放そうと心に決めていたはずなのに、結局、セシリアの素直な愛情を前にすれば何もできなくなる。
なんだかんだいって、彼女の気持ちを受け止めてしまっている自分を否定できなかった。
「――でも、本当に驚いたわ。お父様が急に私を自由にするなんて。まったくお父様らしくないことだもの」
セシリアは気を遣ったのか、話題の中心をルヴェリエ侯爵の行動に移した。
「実はね、街で噂が流れてるって聞いたの。お父様と武器密輸のことが書かれたビラがまかれたらしくて。そのせいで今はてんてこ舞いらしいわ。だから、私を監禁している場合じゃなくなった……ってところかしら」
ノクスは微かに目を伏せた。
それがただの噂でないことは、ノクスが一番よく知っている。
ルヴェリエ侯爵を追い詰めたのは他ならぬ自分なのだから。
その行動に関しては、もちろん一切後悔していない。
それでも、セシリアが傷つくのは見たくなかった。
心配する権利など自分にはないとわかっていても、胸の奥に鈍い痛みが広がる。
「その件についてセシリアはどう思ってるんだ?」
慎重に言葉を選び問いかける。
「それが真実であれ噂であれ、ルヴェリエ侯爵は危うい立場にいるわけだろう?」
「……まあ、そうでしょうね」
セシリアは一拍置いて、背筋をすっと正した。
「お父様なら汚いことぐらい平気でやっていてもおかしくないわ。だから、もし噂が事実なら、その責任を取らされるのは当然だと思う。正々堂々裁かれればいいわ」
それは強がりではなく、本心からの言葉だった。
(あの腐ったルヴェリエ侯爵の娘だというのに、セシリアはどうしてこうも正義感が強いのか)
父の影に押し潰されてもおかしくない環境で育ちながら、彼女の眼差しは濁ることなく澄んでいる。
「……まあ、重たい話はこのへんにしましょう。本当はね、あなたを誘いに来たの。これからローズウッド公園に寄って、少し散歩して気分転換してこようと思うの。メイドたちの話だと、新しいジェラート屋が出ているらしいのよ。プラムのジェラートがとてもおいしいんですって。どうしても食べてみたいから寄って行くつもり。……あなたも一緒にどう? といいたいところだけれど、ノクスは甘いものはあまり好きじゃなかったわよね」
セシリアの言葉を聞きながら、ノクスははっとなった。
ジェラート屋。
公園。
お忍びの散歩。
過去のループの中で起きたセシリア誘拐事件の記憶が脳裏を過る。
その日、セシリアは「新しくできた評判のジェラート屋台に行ってみよう」と思い立った。
普段なら馬車で移動するところを、気まぐれに徒歩を選び、ローズウッド公園へ向かったらしい。
侯爵令嬢であれば当然、侍女を連れるのが常識だ。
だが、セシリアはそれを煩わしく感じ、一人きりで出かけてしまった。
その軽率さが、悲劇を招くことになる。
公園の中で待ち構えていた者たちに、セシリアは不意を突かれて攫われてしまったのだ。
その晩――。
婚約を解消して以来、縁が切れていたはずのノクスのもとに、脅迫状が届いた。
『彼女を助けたければ、指定の場所に来い』
そう記された手紙に、ノクスは従わざるを得なかった。
指定の場所に到着すると、セシリアは縛られたまま、恐怖に震える瞳でこちらを見つめていた。
そのセシリアの目の前で、突然振り下ろされた剣がノクスを切り伏せた。
鉄の匂いが空気を満たし、セシリアの悲鳴が耳を裂いた。
剣を振るったのは、他ならぬジークハルトだった。
ノクスは大量の出血で息絶え、その回の人生は幕を閉じたのだった――。
記憶の断片が繋がった瞬間、ノクスの唇にわずかな笑みが宿った。
(……あの時と同じことが起きようとしているのなら、この機会、使えるな)
「セシリア、君にひとつ頼みがある」
ノクスは企みを秘めた声でそう告げた。
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