第二の復讐
襲撃の翌朝――。
ルヴェリエ侯爵は、朝からご機嫌だった。
彼は今、執務机の前で手を擦り合わせ、椅子に腰かけてニマニマと笑みを浮かべている。
昨夜、ジークハルトが手配した暗殺者たちが、ノクスの命を奪った。
しかも、それは事故に見せかけるよう完璧に仕組まれている。
(私に恥をかかせたノクス・アルヴェインはもうこの世にいない。なんて清々しい気分だ!)
ルヴェリエ侯爵は指先で紅茶のカップを揺らしながら、せわしない視線を扉に送った。
ルヴェリエ侯爵の期待に応えるかのように、廊下から激しい足音が駆けてくる。
――バンッ!!
勢いよく扉が開かれ、血相を変えた執事が姿を見せる。
「たいへんです、侯爵様……! 街中で、とんでもないことが……!!」
◇◇◇
王都・東地区――。
朝の陽光が、王都で最も賑わう市場通りを明るく照らしている。
果物や香辛料を並べる露店、威勢のいい呼び込み、笑い交じりの立ち話。
そんな日常の喧騒に、異変が忍び込んだのは、ほんの一瞬のことだった。
「……あれはなんだ?」
空を見上げた若者が、誰にともなく問いかけながら眉を顰める。
彼が指さした先、高く澄んだ空からは、紙片のようなものがひらひらと舞い落ちてくる。
「なにか降ってきたぞ!? ……ビラか?」
「派手な宣伝ねえ。新しい劇団の告知かしら?」
風に乗って舞い散るビラは、無数にある。
しかもそれは、空の間から突然現れていた。
誰もが魔術の仕業だと直感した。
しかし、術者の姿はどこにも見当たらない。
人々は不気味さより先に、好奇心をそそられ、面白がりはじめた。
「おーい、こっちにも来たぞ!」
「珍しいな、魔導広告ってやつか?」
人々は手を伸ばし、空から舞い落ちるビラを興味本位で受け取っていく。
だが――。
「……え?」
ビラを手にした男が、動きを止めた。
その顔から、みるみる血の気が引いていく。
「な、なんだよ、これ……」
震える指先で、ビラを握り締めたまま、男は声を失った。
男と同じように、ビラに目を落とした人々の表情は、次々と凍りついていった。
「うそだろ……? ルヴェリエ侯爵が……!?」
「このビラにかかれてることって本当なの……?」
「これはとんでもないスキャンダルだぞ……!」
瞬く間に、騒ぎは広がっていった。
奇妙なことに、地面に舞い落ちたビラは、ひとりでに動き出すと、意志を持つ生き物のように宙を滑り、建物の壁へと吸い寄せられていった。
「な、なんだ……!? ビラが勝手に……!」
ビラは一枚、また一枚と壁にぺたぺた張りついていく。
誰かが慌てて剥がそうとしたが――。
「う……動かない……?」
ビラは石材に焼きついた刻印のように、びくともしない。
それどころか、撤去されるのを拒むかのように魔力の反応すら放っていた。
張り付いたビラは次々と増殖し、ついには東地区のあらゆる壁を埋め尽くしてしまった。
まるで街そのものが、巨大な暴露文書と化したかのような光景だ。
こんな大掛かりで奇怪な魔法、誰も見たことがなかった。
とんでもない魔力の持ち主の犯行であることは確かだ。
しかし、人々をもっとも驚かせたのは、ビラに書かれている内容のほうだった。
ビラの中央には、ルヴェリエ侯爵家の財務帳簿の写しが大きく掲げられていた。
そこには、武器商人の名とともに、ルヴェリエ侯爵の名がはっきりと並んでいた。
契約書の抜粋、金の流れ、署名欄——これらすべてが、侯爵家が武器の密輸で巨額の利益を得ていた証拠を決定的に示していた。
密売の収益として記された金額は、誰もが目を疑うほどの桁だった。
「ルヴェリエ侯爵も……武器の密売に関わってたってことか……?」
「じゃあ……武器商人を殺したのって、実は侯爵なんじゃ……?」
「全部の罪をあの商人に押しつけて……自分は利益だけむさぼってたってことか! あり得る……!」
根拠なき憶測が憎悪を伴って膨れ上がり、群衆の中で独り歩きをはじめる。
次々と飛び交う声は、もはや真偽を確かめようともしていない。
もはや事実そのものは重要ではなくなっていた。
騒ぎは瞬く間に広がり、三十分も経たぬうちに東地区全体が噂に包まれた。
その喧噪のただなか、一台の馬車が市場の入口に横づけされた。
窓の隙間から顔を覗かせたのはルヴェリエ侯爵だ。
ルヴェリエ侯爵はビラを目にするなり、馬車の中で喚いた。
「急いで、あのビラをすべて剥がしてこい!!」
怒号を浴びた馭者は、青ざめながら飛び出していった。
しかし、壁にへばりついたビラは、爪で引こうが刃で裂こうが、相変わらずびくともしない。
「……まったく剥がれません!!」
御者が馬車を振り返りながら叫ぶ。
ルヴェリエ侯爵は歯噛みし、舌打ちを鳴らした。
「くそっ……! 魔法か……!! 一体誰がこんなことを……!! ……まさか、あの男か……!? あいつは生きているのかッ!?」
激怒しながら声を荒げると、群衆の何人かがルヴェリエ侯爵の存在に気づいた。
ざわめきの矛先が自分に向かいかけたのを察し、ルヴェリエ侯爵は慌ててカーテンを引き下ろした。
暗がりに身を隠しながら、唇を強く噛みしめる。
「なぜ私が、民の目を避けてコソコソせねばならんのだ……!」
握りしめた拳が、わなわなと震える。
そのとき――。
ガチャリ、と馬車の扉が無遠慮に開かれた。
「……っ!」
侯爵はぎょっとして顔を上げた。
そこに立っていたのは、ルヴェリエ侯爵が今一番顔を見たくなかった相手――ノクス・アルヴェインだった。
「き、貴様……!」
ルヴェリエ侯爵の声が裏返る。
ノクスは薄く笑みを浮かべると、当然のように馬車へと乗り込んできた。
「やあ、ルヴェリエ侯爵。ここで二人きり、膝を突き合わせて話をしないか?」
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