「あなたのことが好き」
そこまで言って、セシリアはふいに言葉を詰まらせた。
唇をきゅっと噛みしめる。
ほんの一瞬の沈黙ののち、セシリアは顔を上げ、ゆっくりとノクスのほうへと歩み寄った。
「……あなたのことが、好きなの」
「……!」
ノクスが目を見開く。
驚きが、金色の瞳にさざ波のように広がる。
その揺れをセシリアは確かに見た。
氷のように冷たく閉ざされた彼の心に、ほんのわずかに生まれた変化。
ノクスの中に秘められた優しさを、セシリアは知っている。
人知れず隠されたその温もりに、どうか自分の想いが届いてくれますように。
セシリアは、そう願いながら、静かに背伸びをした。
微かに震える指先で、ノクスの腕に触れる。
そして迷いのない動きで、ノクスの頬に唇を寄せた。
それはほんの一瞬の、羽が触れるほどの軽いキスだった。
「……セシリア」
ノクスは小さく息を呑み、思わず彼女の名を呼んだ。
向かい合うセシリアの頬は、恥じらいに染まり真っ赤になっている。
それでもセシリアは視線を逸らさない。
まっすぐに、まるで逃げ場など初めからないかのように、ノクスの目を見据えていた。
その瞳には、少女らしい繊細な揺らぎと、決して揺るがない強い意志が宿っている。
「簡単には、あなたのこと、諦めたりしないから」
眼差しの強さとは裏腹に、セシリアの声は驚くほど小さかった。
固い決意はある。
だが、それを言葉にするのは決して容易ではなかったのだろう。
目の前の少女がどれほどの勇気を振り絞ってこの一言を発したのか、ノクスには明らかだった。
まさか、こんなふうに想いをぶつけられるとは思ってもいなかった。
だが、それでも応えることはできない。
没落した貴族の身である自分には、彼女の真っ直ぐな感情を受け止める資格などないのだ。
「セシリア、俺は……」
ノクスが低く言いかけた瞬間、セシリアがそっと言葉を重ねた。
「待って。いいの」
少し無理をして、セシリアが微笑む。
「気持ちを返してほしいと思って伝えたわけじゃないの。ただ……私の想いを、知っていてほしかっただけだから」
わずかに表情を揺らがせながら、ノクスは黙ってセシリアを見つめ返した。
冷たさを増した風がふたりの間をそっと通り抜ける。
沈黙の時間が、かえって多くを語っていた。
夕暮れの柔らかな空気が、この一瞬を永遠に留めようとするかのように、ふたりの姿を優しく包み込んでいった。
◇◇◇
お茶会から数日が過ぎたある日の明け方。
外套を頭から深くかぶったセシリアは、自室の窓辺に佇んでいた。
朝焼け前の空は、まだ灰色のまま沈み込んでいる。
窓際に漂う冷気に身を竦めながら、セシリアは鍵にむかってそっと手を伸ばした。
その途端、指先にビリッとした違和感が走った。
「……っ!」
いつの間にか、自室の鍵には魔法結界が張られていたようだ。
これではロックを解除するどころか、鍵に触れることすら不可能だ。
昨日まで、中庭に繋がるこの窓《《だけ》》は出入りができたのに。
どうやら、廊下に繋がる扉に施されたのと同様の結界を張られてしまったらしい。
「……徹底的に私を閉じ込めようって言うのね」
こんなことをした相手が誰かは、もちろんわかっている。
「お父様」
セシリアは激しい憤りを込めて、その呼び名を口にした。
「ここまでするなんて、本当にどうかしているわ……」
お茶会の一件以来、父の態度はあからさまに変わった。
屋敷中の鍵は片っ端から閉ざされ、使用人たちの視線は監視の色を帯びるようになった。
父は、どんな手段を講じても、セシリアとノクスの関係を断ち切りたいようだ。
だが、そんな仕打ちに甘んじるセシリアではなかった。
お茶会のあの日、彼女の心は決まった。
ノクスへの想いは、もはや隠しようもなく、溢れ出すばかりだった。
お茶会の前後で変化したのは、父だけではないのだ。
だからこそ、彼女は今日も動く。
父が作り上げた鳥籠から抜け出し、ノクスに会うために。
脱走を試みるのも、これで五度目だ。
初日は正面突破を。
二日目は台所の勝手口。
三日目には使用人用の通用口を狙った。
四日目は荷物に紛れて外へ出ようとしたが、すぐに見破られて失敗に終わった。
そして今日で五日目。
ついにすべての出口を塞がれてしまったが、それでも諦めるつもりはない。
鍵が開かないのなら、壊せばいいだけだ。
セシリアは椅子の背に手をかけた。
震える腕で、それをぐっと持ち上げる。
そして、渾身の力を込めて振りかぶった。
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