ノクスの操り人形
「む? 本当に違うのか? ノクスの旦那のことはなんとも想っていないと? 特別な好意を寄せているように見えたのは、俺たちの節穴だったってことか?」
入れ墨の男が悪戯っぽく問い返す。
「その部分はそのぉ……ちがっ……わないけど……」
小さく俯きながら、ようやく絞り出すように返すセシリアの声は、ほとんど囁きに近かった。
顔に傷のある男が堪えきれずに明るい笑い声を立てる。
「……ぷっ。初々しくていいねえ。いくら照れくさくても好意を否定するのは嫌だと思うほど、旦那に入れあげてるってわけだ」
「も、もうっ! からかわないでちょうだいっ!!」
羞恥のあまり涙目になりながら、セシリアが叫ぶ。
「……こら、おまえたち。その辺にしといてやれ」
ノクスはやれやれという様子で割って入った。
「打てば響くセシリアをからかうのが楽しいのはわかるが、ほどほどにしておけ」
「ちょっと! ノクスまで何よ!」
セシリアは、ノクスまで含めて全員を睨みつけると、林檎のような顔でぷりぷりと怒ってみせた。
その必死な様子があまりに可愛らしく、顔を見合わせた三人の男たちは堪えきれずに吹き出した。
「ははっ、まるで夫婦漫才だな!」
「……っ、もう、知らないっ!」
羞恥心が限界に達したセシリアは、むくれたように腕を組み、ぷいと顔を背けた。
けれど、その仕草とは裏腹に、セシリアには、張り詰めていたものがほどけたような柔らかさが滲んでいた。
裏社会の人間は得体が知れず、冷酷で、常に怒鳴り声を上げているものだと思ってきた。しかし、実際に言葉を交わしてみると、彼ら三人の印象は大きく違っていた。
あれほど恐ろしいと思っていた人たちなのに、今は不思議と少しも怖くなかった。
少し無神経で図々しいところはあるものの、三人はどこか憎めない。
率直で妙に人間味にあふれる彼らに対して、セシリアは次第に親しみを覚えていった。
何より、彼らはノクスの力となってセシリアを救ってくれた存在なのだ。
気を取り直すように、セシリアは一歩前へと出た。
「……こほん」
咳払いひとつ。
居住まいを正してから、改めて三人の男たちに向き直る。
セシリアの眼差しには、貴族の令嬢らしい気品と、心からの誠意が宿っていた。
「あなたたちにも、きちんとお礼を言わせてください。今回のこと、力を貸してくださって、本当にありがとうございました」
あまりに真摯に告げられたその言葉に、三人は思わず目を見開いた。
「い、いや……べ、別に……」
「そんな改まられても……なぁ……?」
「お、おう……」
さっきまでの軽口は消え、三人揃ってしどろもどろになる。
貴族の、それも令嬢からこんな風に感謝される日が来るなんて、誰一人として想像していなかった。
まるで生まれて初めて褒められた子供のように、無骨な男たちの目元に、微かな照れが浮かぶ。
しかしその直後、一人が突然、我に返ったように手のひらを振った。
「いやいや、待った待った。嬢ちゃん、そんな感謝されるような立派なこと、俺らしてねぇからな?」
「そうそう、俺らの意思で動いたわけでもねえのに」
「俺らは、ノクスの旦那の操り人形みたいなもんだったからな」
セシリアが驚いたように瞬きし、思わず訊き返す。
「え? 操り人形?」
男はちょっとバツが悪そうに頭を掻いた。
「ぶっちゃけるとよ、俺ら、最初はノクスの旦那に脅されて参加したんだわ。『協力しなきゃ、お前らの過去の悪行を全部バラすぞ』ってね。あのときは本気で震え上がったぜ……」
「ほんとに、旦那の調査力はただものじゃないんだ。昔の裏仕事の記録から、自分たちでさえどこに埋めたか忘れかけてた証拠まで、きっちり押さえてきやがった」
「もはや脅しのレベルじゃなくてな。生き霊に呪われてる気分だったぜ、マジで……。逆らったら冗談抜きで人生終わるって思って、『はい、喜んで協力します』ってな」
へらへらと笑う三人だが、ノクスへの恐怖心が完全には消えていないのか、その笑いには苦味が混じっていた。
セシリアはまばたきをしながら、じわりとノクスのほうを振り返った。
ノクスはというと、明らかに会話の内容を聞いていたはずなのに、どこまでも無表情を装い、これ見よがしにそっぽを向いていた。
セシリアは、三人の男たちとノクスの顔を交互に見比べた。
見た目や口調は粗野だが、先ほどからのやり取りを聞くかぎり、三人は冷酷な人物という印象とは程遠い。
不器用ながらも人間味があり、どこか憎めない雰囲気すら漂わせていた。
とはいえ、彼らが闇の人間であることに変わりはない。
裏社会の報復や復讐は、ひどく残酷で容赦のないものだと聞く。
そのような相手を脅したなんて、ノクスは大丈夫なのだろうか。
そんなセシリアの不安を察したのか、三人の男たちは慌てて補足した。
「いやいや、誤解すんなよ、お嬢さん」
顔に傷のある男が、両手を軽く振って弁解する。
「たしかに最初は脅されたけどよ、今となっちゃノクスの旦那に文句なんてねぇから」
「ああ。そもそも、俺たちも困ってたんだ。アデルの野郎、全然借金を返さねぇし、催促してもすっとぼけやがってな」
猫背の男が吐き捨てるように言う。
「それにまあ、あの鼻持ちならねぇ貴族連中がぽかんと口開けてる顔見れただけでも、大満足だぜ!」
首に入れ墨を入れた男が痛快そうに言い添えた。
「なんだかんだで、俺たちは楽しませてもらったってわけだ」
顔に傷のある男を筆頭に、彼らはそれぞれ勝手気ままに笑い、思い思いの仕草で満足げな様子を見せた。
表情に嘘や後悔の色は見えない。
どうやら、本当に納得しているらしい。
その様子を見て、セシリアもようやく小さく息をついた。
胸の奥にあったわずかな不安が、すっと溶けていく。
「――さあ、もういいだろ。おまえら、解散しろ」
セシリアが納得したタイミングを見計らったのだろう、ノクスが男たちに向かって低く告げる。
ノクスの態度には、これ以上余計なことを口にされては困るという無言の圧力も滲んでいた。
三人の男たちは、先ほどまでの軽薄な様子とは打って変わって、一斉に口を閉ざした。
その目には、ノクスに対する畏敬と尊敬の念が浮かんでいる。
「へいへい、旦那。また面白ぇ仕事があったら、声かけてくださいよ」
顔に傷のある男が冗談めかして言い残す。
借金取りたちは、まるで祭りの帰りのような陽気さで手を振りながら、立ち去っていった。
さっきまでの喧騒が嘘だったかのように、彼らの足取りは軽く、背中には粗野な印象すら感じさせない晴れやかさが漂っていた。
三人の姿が夕暮れの向こうに消えるのと同時に、騒がしさの残響も風に流されていった。
夕暮れの冷たい空気が肌に触れる。
現実感の薄れた空白のような時間が、ノクスとセシリアを静かに包み込んでいた。
「それじゃあ俺も屋敷に戻るよ。と、その前に……セシリア、これで貸し借りはなしになった。もう二度と俺のところへは――」
「嫌! 絶対に嫌よ!」
ノクスの言葉を遮るように、セシリアは叫んだ。
その声には、これまでにない激情と、揺るぎない意志が込められていた。
「どんな言葉で追い払われようと、何と言われようとしても、あなたと縁を切る気なんて、私には微塵もないわ。だって、私は……」
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