婚約破棄してきた侯爵令嬢との再会
「……セシリア」
目の前にいる彼女は、侯爵令嬢であるセシリア・ルヴェリエ。
ノクスの元婚約者で、アルヴェイン家の没落を機に、父親の侯爵を介して婚約破棄を告げてきた相手だ。
遠い存在となったはずの元婚約者が、なぜこの屋敷の保存庫に忍び込んでいたのか?
ノクスはセシリアの腕を固く掴んだまま、深い疑念を滲ませるように眉を潜めた。
驚きに目を見開いたセシリアは、ノクスの強い視線に射抜かれ身を震わせた。
薄暗い保管庫の中で、二人の息遣いだけが静かに響いた。
まさか、見つかるとは思っていなかったのか。
セシリアの頬はほんのりと紅潮しており、戸惑いと焦りの入り混じった表情が浮かんでいる。
「セシリア、こんなところで何をしていた?」
ノクスの声音には、冷たさの中にわずかな困惑が混じっていた。
セシリアがこの保存庫に忍び込んでいた理由が、本当にわからないのだ。
「おまえの父親のルヴェリエ侯爵は、娘に間者役でもさせているのか?」
もちろん本気でそんなことを思っているわけではない。
もし、本当にこの屋敷の様子を探る必要があるのなら、ルヴェリエ侯爵は躊躇なく熟練の諜報員を送り込むだろう。
だから、今の発言は《《裏切り者》》であるルヴェリエ侯爵に対する皮肉だ。
「間者なんて、ありえないわ……! 私はただ、あなたのことが……!」
セシリアは言いかけて、息を呑んだ。
言葉を選び損ねたらしい。慌てて唇を噛む仕草が、昔とまったく同じだった。
(……感情が顔に出やすいところは、相変わらずだな)
昔からこうだった。
子供のころから“理想の令嬢”を演じていたはずなのに、ノクスの前ではその仮面がすぐに崩れる。
セシリアとの婚約は、もともと両家の政略にすぎなかった。
だが、互いに顔を合わせるうちに、他人の前では見せない素のセシリアを少しずつ知っていった。
しかし、ノクスの父の冤罪が立ち上がると同時に、彼女の父ルヴェリエ侯爵はあっさり婚約を破談にさせた。
以前、ノクスの父は、ルヴェリエ侯爵が抱えていた莫大な借金を、自らの信用を担保に肩代わりしたことがあった。
しかし、ルヴェリエ侯爵の窮地を救った恩義は、あっさり水に流されてしまったわけだ。
セシリアを責める気持ちは微塵もない。
だが、ノクスの心から彼女への関心は消え去った。
そのほうがセシリアにとってもありがたいだろうと思ったし、ノクスの中でも、セシリアは完全に過去の存在になったのだ。
そんなふうに、関わりが完全に途絶えていたセシリアが、なぜこの屋敷に忍び込んできたのか。
その理由が、まったく想像つかない。
動機を探ろうとするノクスは、容赦なくセシリアを観察した。
その鋭い眼差しには、かつて二人の間に存在した信頼や親密さの欠片すら感じられない。
まるで赤の他人を見るような冷徹さを帯びていた。
セシリアは傷ついたような顔になり、わずかに目を伏せた。
噛みしめられた唇は、うっすらと赤くなっている。
だが、セシリアは深く息を吸い込むと、瞳に決意の色を宿し、ゆっくりとノクスを見つめ直した。
震える声を抑え込みながら、小さいながらも芯の通った声で告げる。
「……信じてもらえないかもしれないけれど、あなたに忠告をしに来たの。あなた、このままだと破滅してしまうわ。父の部屋の前で聞いてしまったのよ。私の父と、ロクセーヌ伯爵と、あなたの兄ジークハルト様が密談しているのを……。話題はあなたのことだった。ねえ、ノクス。あなた裏通りで一体何をしたの? 裏通りで注目を集めるあなたを放っておくのは危険すぎるから、早く対処したほうがいい、って……父たちはそう話していたのよ」
どうやら、裏通りで絡んできた喧嘩屋相手にしたことが、早速、兄であるジークハルトたちの耳に入ったようだ。
「父たちは、あなたを嵌めて冤罪を負わせようとしているようだったわ」
ノクスはその事実を告げられても、驚かなかった。
100回のループの中で、こんな展開は何度もあった。
ただ、ループ初日で、早々に事が起こるのは初めてだ。
しかも、今のように、追放に関してセシリアが忠告してきたことなど一度だってなかった。
なぜ、セシリアは再び積極的にノクスの人生に関わってきたのだろう。
「セシリア、どうしてルヴェリエ侯爵の計画をわざわざ俺に知らせに来たんだ? 父を裏切るような行動だぞ」
ノクスの問いに、セシリアは一瞬たじろいだ。
「うっ、まあ、そうだけれど……。でも、あなたは私の元婚約者なのよ? そのあなたがひどい目に遭わされるなんて……。それを知っていて、見て見ぬふりをするなんて違うと思ったのよ……!」
勢いに任せた言い分だったが、セシリアの瞳はまっすぐで、そこに偽りの色は感じられなかった。
「だからって勘違いしないでよね! べ、別に、心配で心配で仕方なかったとか、そういうんじゃないんだからっ……!」
両手を握り締め、頬を赤らめたセシリアが必死に弁解してくる。
セシリアは昔から正義感の強い性格だった。
実際、こうやって忠告に来たのも、父ルヴェリエ侯爵が汚い手で他人を陥れようとしていると知り、居ても立ってもいられなくなった結果なのだろう。
そして、その「他人」が、かつて縁のあったノクスだったからこそ、なおさら放っておけなかったわけだ。
(……本当に変わっていないんだな、セシリア)
ノクスは、どこか懐かしさすら感じながら、目の前の少女を見つめ返した。
「でも、なぜ、それでうちの貯蔵庫に侵入することになったんだ?」
「そ、それは……」
セシリアは途端にもじもじとして、ドレスの生地を弄りはじめた。
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