侵入者、その正体は――
リリィの頬には、ほんのりと朱が差していた。
必死に「怒っているふう」を装っているが、その目元は嬉しさを隠しきれていない。
「わかった。約束する。一日一度だ」
「……それでも多いですけどね」
そっぽを向いたリリィの口元が、かすかに綻ぶ。
その様子を見て、ノクスの胸に静かな安堵が広がった。
「……でも。ちゃんと帰ってきてくれて、よかった」
「――ああ。ただいま、リリィ」
その言葉に、リリィの肩からふっと力が抜けた。
涙をこらえるように瞬きをして、それでも笑顔を浮かべる。
「おかえりなさい、ノクス様」
そう言うと、リリィは弾むような声で「夕食の準備をしますね!」と告げ、小走りで厨房へ向かった。
軽やかな足音が遠ざかっていく。
彼女はきっと、久々にノクスのための料理を作れることが嬉しいのだろう。
リリィの姿が見えなくなったあと、ノクスはバロッツォへ視線を戻した。
「バロッツォ、ごくろうだった。十日後にまた頼む。報酬は上乗せしておく」
革袋を放ると、バロッツォは慌てて受け取り、目を丸くした。
「へへっ、こいつはありがてえ! さすが旦那、太っ腹だ!」
だが次の瞬間、彼の顔がわずかに強張った。
帽子のつばを指でいじりながら、ためらうように口を開く。
「……その、今日の件ですが。裏通りの連中には、どうか……」
「心配するな」
ノクスは淡々と答えた。
「誰にも話さない。おまえが余計なことをしない限りはな」
その一言に、バロッツォの顔から血の気が引いた。
「も、もちろんですとも! 命に代えても秘密は守ります!」
「それが賢明だ」
その冷ややかな一言に、バロッツォは背筋を伸ばして何度も頭を下げ、
逃げるように屋敷を出ていった。
ノクスは静かに息を吐いた。
(ああいう連中は恐怖でしか動かん……だが、使えるうちは使う)
ふと、微かなスープの香りが漂ってきた。
リリィが台所で忙しくしているのだろう。
その光景を思い浮かべると、心の緊張が少し緩んだ。
(……もう、あんな顔はさせたくない)
そう思いながら、ノクスは保存食の木箱を抱えて屋敷の保管庫へ向かった。
扉を開けた途端、かすかな埃の匂いが混じる。
棚は空っぽで、静まり返っている。
木箱を置いた、その瞬間。
――カサッ。
ノクスの背筋が反射的にこわばる。
(……何かいる)
動く音より早く、ノクスは身を翻した。
影へ一歩踏み込み、伸ばした手で侵入者の腕を掴み上げ、石壁へ叩きつける。
「誰の差し金だ?」
低い声が保管庫の闇を震わせた。
次の瞬間、その顔が見えた。
「……え?」
ノクスの眉がわずかに上がる。
そこにいたのは、見間違えようのない人物だった。
月光を思わせる金の髪。
青の瞳に、涙のような光。
気高さと痛みを併せ持った表情。
「……セシリア」
ノクスの喉がかすかに鳴る。
かつての婚約者。
そして、もう二度と会うはずのなかった令嬢が、なぜかこの屋敷の暗がりに立っていた――。
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