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『魔王さま』と『勇者』と家なき子。

「ううむ。随分と荒れているというか、荒廃しているなあ」

 魔王さまが望遠鏡を覗きながら、そんな言葉を零す。

「それは、魔王さまの心の話ですか? であれば、ようやく真実に目覚められたかと」

「お前、はったおすぞ」

「七割は冗談ですよ。二割は本気ですが」

「残り一割はなんだ? 優しさか何かか?」

「憐憫ですよ」

「お前。ちくちく私を言葉の暴力で攻撃してくるな」

「気のせいです」

 魔王さまと僕は下らないやりとりをする。渓谷の抜けた先にある高台ににまで登った時の事だ。

 渓谷の先は樹木は少なく。勇者をストーキングすることに生きがいを見いだしている魔王さまにとっては、有利な立地だった。

 勇者達御一行よりも先に渓谷に辿り着いていた魔王さまと僕は、渓谷で数日間時間つぶしをした。

 基本的には、魔王さまの思いつきに僕が付き合っているだけなのだが、これが幸いだったのか、勇者達は無事、魔王さまと僕を追い抜いて、旅を進めている。

 結果を言えば、魔王さまは勇者の背後から、勇者を眺めるといういつものポジションに収まった。

 この世界の天気というのはどうも気分屋のようで、先ほどまで晴天だったのに、渓谷を抜けた瞬間、空に雲がかかり曇天模様が広がっている。

 この空は、悪い方に七変化する魔王さまの気分と友達なのだろうか?

 その下らない考えが正解なら、個人的には非情に困る。

 魔王さまの気分は、生物としての機微が皆無だ。通常、生物の精神状態というものは、白か黒かではなく、その中間のグレーゾーンの濃淡の中から生まれる筈だ。

 しかし、残念ながら、僕の上司であり、高邁な精神の持ち主である魔王さまは違う。

 魔王さまは、その高尚な精神ゆえに、自分の感情は白か黒のどれかであり、その中間はない、という信念を周囲の迷惑を顧みず貫いてくる。

 さて、この曇天模様はどちらに転ぶのか。僕としては、僕に被害に遭わない結果であって欲しいのだけど。

「どうした? 私の顔をじろじろ見て」

「いえ。勇者のストーキングも再開できたのに、妙に顔色が暗いというかなんというか」

 僕は言葉尻弱く返事をした。

「見て見ろ。あの子が通ろうとしている。村だか集落だか分からない場所を」

 僕は、魔王さまの言葉に従うように目を細め、前方を見やる。賢明に前方を見てみるが、望遠鏡を使用している魔王さまと、僕の視力では超えがたい壁があるので、魔王さまが視界に入れている光景は見えない。

「申し訳ありません。幸いなことに、魔王さまの見ている景色は僕には見えないようです」

「ちっ。じゃあ、これを貸してやるから、私の目線の先を見ろ」

 魔王さまは、ぶつくさと文句を言い、僕に勇者観察用の望遠鏡を寄越した。

 僕はしぶしぶ望遠鏡を受け取る。どうせ見たくもない風景が広がっているのだろう。

 いつものパターンだ。この望遠鏡を覗けば、僕にとっては破局への一手が始まる。

 僕は諦観するように、望遠鏡を覗き、魔王さまが今まで見ていたであろう光景を確認する。

 そこには、案の定というか、やはり勇者達がいた。ここまえは予定調和だ。勇者達御一行は無視して、僕は勇者の周囲を見渡す。

 たしかに、お粗末な村があった。かなり荒廃しているが辛うじて村、という区分に踏みとどまっている。

 掘っ立て小屋のような建物が無秩序に乱立している。人通りはあまり多くはなく。その代わり、酒瓶片手に壁に背を預けている者や、地面を寝床と勘違いしているように横臥している人間が目に入る。

 端的に言えば、荒くれ者たちが素人作業ででっち上げたような、村だった。

 この無秩序な世界にも、これほど、未来の見えない村があるとは。

「たしかに……」僕は望遠鏡を魔王さまに返却し「今まで訪れた村とか街などとは比較にならないほど、荒廃していますね」

「そうだろう」魔王さまも僕に同意する。「どいつもこいつも、目が死んだ魚のようだ」

「そうですね。勇者を見失った魔王さまみたいです」

「なんなんだお前」魔王さまはいきり立つ。「今日はやけに不機嫌だな。腹ぺこか?」

「どうせ。これから不機嫌になりそうな予感があるんで、向こう十回分不機嫌になっているだけです」

 僕は魔王さまに嫌味を言う。

 すでに、二、三個は僕が不機嫌になる伏線が張られているのだから、これぐらいは許されるだろう。

「しかし。あんな村とも言えない無法者の集合地に、聖女になったあの子が入って大丈夫か?」

「今、見ましたけど、勇者達もこの村は素通りする感じですね。さすがに身ぐるみ剥がされたくはないんでしょう」

「身ぐるみを剥がす!?」魔王さまが素っ頓狂な声を出す。「そんな可能性があるのか」

「魔王さま。ご自身の事を考えて見て下さい。こんな、ならず者だらけの中に、そこそこの装備というか服装をした人間が迷い込んだら、普通、追い剥ぎぐらいするでしょ。この世界に法律なんてないわけだし」

 事実だった。この世界はどういう理屈で成り立っているのかは見当すらつかない、というかつきたくもないが、人間であれ、人外であれ、個々の情緒と良心や倫理観によって維持されているとしか思えないきらいがある。

 しかしながら、魔王さまのように、親の腹の中に常識と良心を置き忘れてきたような存在もいるのも、事実だ。

 だが、魔王さまも、魔王さまのストーカーである紅い女性、そして僕のストーカーである金髪の少女に神樹さんも、ある意味、一線はこえてはいない。

 いや、普通に考えれば余裕で一線を越えているのだが、他者に害を及ぼすような真似はしていない。

 今までの説明のつかないストーキングロートを見てもそれは明らかだ。感謝される事はあっても、恨まれるような事は、ほとんどしていない。

 一線を越えたとしても、それは、可逆的な案件ばかりだ。

 この村はどうだろう、と考える。おそらくではあるが、この村にいる者達は躊躇なく他者を襲う。それこそ自分の欲望の赴くままに。

 つまるところ、秩序というものがないのだ。他者には無関心だが、自分の欲望には忠実。

 そういう奴らが集まったのが、この村なのだろう。

「おいっ。どうする」

 魔王さまが僕に、訊ねてくる。

「どうするって」魔王さまの問いかけに。僕は一考する。「まあ、魔王さまがいるわけですから、勇者達が、あの村を通り抜けるまで、いつも通り見守るのが得策かと」

「もし。あの村の下郎の誰かが、あの子に指一本でも触れようとしたら、私はどうすればいい? 先回りして言うが、そいつらを『回復薬』なしで八つ裂きにする自信があるぞ」

「何言ってんですか? そうならない為に魔王さまは、勇者をストーキングしてるんでしょ。僕も先回りして言わせて貰いますけど、僕が勇者達……魔王さまにとっとは勇者だけでいいか。ともあれ、僕が影ながら勇者を護衛すればいいだけの話かと」

 本音をいえばそれすら煩わしいが、魔王さまの体に流れる、いらんことしいの血がざわめく事を阻止できるなら、これが一番の案と思われた。

「むう。それはそうなんだが」魔王さまは懊悩するように腕を組む。「あの子とお前が、私より接近するのは……なんかヤダ」

「この永遠の駄々っ子めっ」僕は毒づく。「じゃあ、どうするんですか?」

 魔王さまには申し訳ないが、物理的な接近を無視するならば、僕は魔王さまあよりも勇者と近しい存在になる。

 なにせ、魔王さまの代わりに勇者の文通相手になり、勇者の本名まで知っているのだから。

 しかし、この真実は墓場まで持っていかねばならぬ。もし、魔王さまにこの事実が露見しようものなら、その妬みそねみは恨みに昇華され、さらにその感情は雪だるま式に増していく。そして、一度でも膨らんだ雪だるまは、永遠に消えることはない。

「では、どうしたものか」

 僕の悩みとは別の方向性で魔王さまは悩んでいる。

「そこまで悩むなら、魔王さまが直接勇者を護衛すればいいのでは?」

 僕は無理だとは思いつつ提言する。

 魔王さまが、勇者を無事護衛出来る可能性は、ウミガメが無事に大人になる確率より低い。

 仮に勇者がならず者に絡まれでもしたら、魔王さまは感情の赴くままに、殺意満点の魔法を乱発するに違いない。そうなれば、勇者はともかくとして、その仲間達はもれなく魔王さまの魔法の犠牲になる。

 そういう細やかな作業に向かないから、僕が、端女のように働かされるわけなのだし。

 僕が悶々と考えを巡らせていると、魔王さまが「ん?」と不穏な声を出した。

「どうしたんですか?」

「なんか。ガキが虐められてる」

 おそらくあの無法地帯の村での事を言っているのだろうが、魔王さまの説明では、全てを把握することができない。

「出来れば訊きたくないのですが。どういう意味ですか」

「私の返事を貰いたいか?」

「変な感染病の次に貰いたくないです」

 魔王さまは「そうか、お前の自由意志はどうでもいい」と元も子もない言葉を吐き、再度、僕に望遠鏡を寄越してくる。

 僕は、嫌々、魔王さまから望遠鏡を受け取り、村の様子を確認した。

 僕の目には、すさんだ村の建物の陰にあるゴミ箱を漁る子供と柄の悪そうな男の姿が映る。

 何か食べ物でも探っていたのだろう。それを、見とがめられたのか、柄の悪い男が子供を無慈悲に足蹴にしていた。

 子供は地面に膝をつき、自分の体を守るように頭を抱えていていた。

 柄の悪い男は、身を丸める子供を容赦なく踏み続けている。

 子供の体の至る所から血が流れ、見ていて気持ちいいものではない。

「あの子供がどうしたんです?」

「なんで、あのガキはあの醜悪な男に暴力を受けているんだ?」

「おそらくですけど」と僕は想像する。「たぶん、あの男の家のゴミを漁っているところを見つかったからじゃないんですか?」

「なんでゴミの掃きだめみたいな連中が作った村で、ガキが、あんな暴力を振るわれている?」

「さあ」僕は肩をすくめる。「単純に、あのゴミも自分の所有物だと思って、それを侵害している子供に怒ったとかじゃないんですか?」

 本当にこの世界では珍しい事だ、と僕も動揺する。

「ゴミが捨てたゴミを漁ったガキがなんで、暴力を受けているんだ?」

 質問の多い魔王さまだ、と僕は思うが、魔王さまが質問を重ねる事に、魔王様の顔色が怒気を孕んだものになっている事にも疑問を覚える。

「たぶん鬱屈したストレスのはけ口として、サンドバック代わりしているのかと」

「それに、だ」魔王さまが拳を握りこむ。「あのガキはなんでゴミを漁らねばならんのだ? そして、何故あれほど痩せ細っている?」

「ゴミを漁っている理由は、廃棄された食べ物を手に入れる為かと。痩せている理由は、あの子供には食事を与えてくれる者がいないと邪推します。これさっきも同じような事言いましたが」

 僕は機械的に、魔王さまの質問に答える。誰がどうみても、そうとしか思えない。今、柄の悪い男に暴力を受けている子供は明らかに栄養不全だ。そんな子供が他者のゴミを漁るなど、親がいるなら、育児放棄。親がいないなら家なき子としか推理できない。

「おいっ」

 魔王さまが、もはや内に針を含んだ、という婉曲な言い回しなど通用しないような、鋭い声を投げてくる。

「なんです?」

「背後の下郎二人は今、何をしている」

「ううんと。そうですね紅い女性はいつも通り魔王さまをストーキングしていますね。金髪の少女は渓谷の川で魚を釣っているみたいです」

 僕は、神経を集中させて、二人のストーカーの動きを探り、報告した。

「そうか。で、お前は今、どのくらいの食料を持っている?」

 唐突な魔王さまの質問に、僕は小声で「ほとんどないですね」と正直に答える。

「なんでだっ」

「胸に手を当ててみてください。魔王さまの訳の分からない『ストーカー面接』のせいで時間を食われたせいです。だから、今、魔王さまと僕の手元にある食料は燻製した肉ぐらいですよ。あと調味料とか」

「それは、温かい食べ物なのか?」

「いや、携帯用の食料なので、冷たいままで食べます。非常食みたいな物です」

「なんでだ?」

「すでにここ数分で、繰り返しの会話が三回ほどありましたが、それは魔王さまが『ストーカー面接』とかいう前代未聞の暴挙に出たからでしょ」僕は素直に異義を申し立てる。「あんな無駄な時間がなければ、もう少し渓谷でマシな食材を手に入れる事だってできましたよ」

 なんでいきなり村の子供の話題から、食料の話題にシフトしたんだ。魔王さまの落ち着きのなさだけはある意味一貫している。

「ふむ。しかし、金髪の下郎が魚を釣っているということは……なんとかなるか……おいっ急ぐぞ」

「急ぐ?」

「決まってるだろっ。あのガキを助けに行くぞ」

「はあっ。魔王さまがですか?」

 魔王さまの口から出る言葉に、僕は自分の耳を疑った。勇者以外の者にはほとんど興味を示さない魔王さまが、顔なじみでもない存在を助けるなんて、かなり珍しいケースだ。

 以前にも居酒屋で似たような事があったが、あの時とは状況が違う。視界の中に勇者がいるという条件で、居酒屋の給仕の女性を助けただけだ。

 つまるところ、ストーキングの延長の末、居酒屋の給仕の女性を助けたにすぎない。

 今の状況とは全く違う。あの子供を助けるということは、一時的とはいえ勇者から完全に意識を逸らすことになる。

 魔王さまは何を考えている。

 僕の考えを他所に、魔王さまは「おいっ。紅い下郎っ」と紅い女性を呼びつけた。

 自分のストーカーを呼び出すことに、違和感すら感じていない僕も僕だし魔王さまも魔王さまだし、それに応じる紅い女性も紅い女性だ。

 紅い女性は「お呼びですか? 主様」という声と共に上空から姿を現す。

「君凄いね」僕は感嘆の声を上げた。「つい数日前に、魔王さまから地平線の向こう側まで流刑されたばかりじゃないか。もう、戻ってきたんだ」

「ふふ」紅い女性は僕を嘲笑するように笑う。「俺にかかれば、地平線の向こう側に行って帰って来るなど、稚戯に等しい」

 地平線の向こう側なるものが比喩である以上、どこまで行って帰ってきたのかは、僕の知るところではないが、その根性だけは認めたい。

「よしっ。紅い下郎」

「はいっ」

「全速力で、釣りに興じている金髪を連れてこいっ。金髪が釣った魚も一緒にな」

「仰せのままに」

 紅い女性は、魔王さまに頭を下げるとすぐに翼を広げて、飛んでいく。

「あいつ、結構優秀ですよねえ」

「ふん」魔王さまが不機嫌そうに鼻を鳴らす。「燃えない下郎か燃える下郎かの違いだな。金髪も同じだ」

「そういうもんですかねえ」魔王さまは不機嫌なわけではなく、ただ照れ隠しをしているのではないか、と僕は面白味を感じる。

「何をニヤニヤと私を見ている?」

「いやなんでも。あ、早速帰ってきたみたいですよ」

 僕は自分の感情をごまかすように、上空を指指した。

 上空からこちらに向かってくるのは、金髪の少女を抱えた、紅い女性だ。金髪の少女の手には釣り道具とバケツが握られており、本当に釣りの最中に拉致されて来たようだ。

 紅い女性は、魔王さまの前まで降り立つと「連れて参りました」と金髪の少女を放り投げた。金髪の少女は「あいたっ」と小さく声を上げ、尻から地面に落ちる。

「ごくろっ」

「はい。ありがとうございます」紅い女性は恍惚とした表情を浮かべる。

「では、次の任務だ。これは最重要任務だぞ。心してかかれ」

「はっ」

「私のあの子を……」

「勇者は魔王さまのものではありませんけどね」

「う、うるさい。来世的な話だ」

「そこはせめて将来的でしょう?」

「おいっ。主さまの金魚のフン。主様の言葉に茶々を入れるなっ」紅い女性は僕を面罵し「それで、俺は何をすれば?」と魔王さまに向き直る。

「紅い下郎は、あの子を護衛しろ」魔王さまはそう言うが早いか、ありがたみも糞もない『回復薬』を胸元から数個取り出し、紅い女性に渡す。「あの子に近づく不埒な輩は問答無用で消し炭にしていい」

「了解しました。それでは」

 紅い女性は歯切れ良く返事をすると、再度、上空へ飛行し村の方へ飛んでいく。

「なんというか。あの人、魔王さまの部下っていうか下僕って感じですね」

「違うな。便利な奴、だ」

「それはそれで酷いと思いますけど」僕は魔王さまにジト目を向ける。「それで、これからどうするんですか?」

「さっきも言ったろ。あのガキをとっとと助けに行くぞ。おいっ。金髪の下郎」

「へ? は、はい」

 金髪の少女は混乱を隠さず、返事をした。

「魚は釣れたか?」

「え、えと。その。はい。川魚が五匹ほど、つ、釣れました」

「ならよしっ」魔王さまは満足気に頷く。「おいっお前」

「なんですか? 魔王さま」

「お前はその金髪の下郎と釣れた魚を持って、私についてこい。お前なら私の足についてこられるだろう?」

「はあ。別に良いですけど。僕の後ろにいる神樹さんはどうします」

 僕は、僕の三歩後ろに控えている、蔓のような髪で体を隠す妖艶な女性を見る。その表情からはどのよな感情を抱いているのか分からないが、こちらの同行をつぶさに見守っている。

「そこの緑も連れてこい。どうせ、お前が動けば、緑もついてくるんだ。私の目の届く範囲にいる方が、まあ、まだマシだしな」

「はいはい」

 僕は魔王さまの言われるがまま、金髪の少女と、神樹さんを両脇に抱えた。

「お、王子様!? い、いきなり何をするんです」

 金髪の少女は、狼狽しながら、僕の脇でジタバタと暴れた。

「…………」神樹さんは、沈黙を守りなされるがままだ。

「二人とも悪いね。これも上司命令なんで」

「行くぞ」

 魔王さまが号令と共に、走り出す。

「はいはい」

 僕も二人を脇に抱え、魔王さまの背中を追いかけた。足に力を入れ、地面を踏みしめる。草と土を踏みつける感触が僕の足に伝わり、空気が僕の頬を撫でてくる。

「ち、ちょっ。王子様、は、速いですっ」

「…………」

「ちょっとだけ我慢して」僕は言い訳がましく二人を説得した。「このぐらいの早さで走らないと、魔王さまについていけないんだ」

 魔王さまの背中を見ながら、僕はある疑問を抱えていた。

 魔王さまの思考のパターンからすると、色々とおかしい。村の子供を助けたいなら、僕に命令すればいいだけの話だ。その間、魔王さまは遠くから勇者をストーキングしていればいい。

 なのに何故、紅い女性を勇者の護衛につけるのだ。それに、村の子供を助けるのに、どういう動機があって金髪の少女が必要なのか。

 分からない事だらけだ。

 完全に合理性を欠いている。

 どうにも納得がいかない。腹の中にべっとりと澱のようなものが張り付いているような気分だ。

 僕が魔王さまの真意を考えている間に、魔王さまは村を囲む木で組んだ塀を乗り越え、まっすぐに村の子供の元へと向かっていく。

「魔王さま。あんまり目立つような真似はしないで下さいよ」 

 無理難題な懇願だと思いながら、僕は魔王さまに声を飛ばした。

「目立たんさ。あのガキを痛めつける下郎を成敗するだけだ」

「それを目立つというのでは?」

 そんな事を言っている間にも、魔王さまは、すでに村の子供を足蹴にするならず者の前に立っていた。僕はならず者の見た目を子細に観察する。

 望遠鏡で見るよりはでかいな。それが僕が抱いた最初の感想だ。禿頭で、筋肉質な体躯。さらに無駄にわざとらしく鋭くした目、第一印象だけで、自分の優位性を誇示したがるタイプだ。

 直情的で、感情と体が直列つなぎで動く類いの存在だ。まだ、冬眠から目覚めた野獣の方が理性があるように思えた。

 言うなれば、中身がないのだ。

 だけれども、その中身も主義も誇りもない男でも、子供に対しては脅威ではある。

 なにせ、子供にとっては、力でねじ伏せられる上、報復する手段もないのだから。それに守ってくれる存在もいない。

 ところがどっこい、この男は目をつけられる相手に恵まれなかった。

 なにせ、この男が敵にまわしたのは魔王さまだ。

 ならず者が、地面にしゃがみ込む子供に追撃を与えようとした時だった。魔王さまは、ならず者に対して「おい、貴様」と静かに、されど、空気を突き抜けさせるような声を発した。

 魔王さまの声に反応するように、ならず者は動きを止め、魔王さまを睨み付ける。

「なんだ。お前」

 ならず者が低く威嚇するように言う。

 獅子は一匹の子ウサギを狩るのにも全力を尽くすというが、このならず者は自分の事を獅子だと勘違いしているようだ。

 無知は罪だな、と僕はつくづく思う。魔王さまに目をつけられた時点で、子ウサギはならず者で決定だ。

「そこの木偶の坊。なんで、そこのガキをいたぶっている?」

「はあ!」ならず者が威嚇するように大声を出す。「お前に、何の関係があるんだ!」

「質問をしているのは私だ。答えろ」

 魔王さまが眼光を鋭くして、ならず者を見やった。華奢な体躯の女性から発せられたとは思えない威圧感がそこにはある。

「なんか。格が違うなあ」

「ま、魔王さん。こ、怖いです」

「…………」

「まあ、僕らは魔王さまを観察しておこう。どうせ秒で終わる」

 僕の言葉通り、ほんの一瞬で事は終わった。

 ならず者が、魔王さまに手を振りかざした瞬間、ならず者の巨大な体が吹っ飛んだ。吹っ飛び、そして、掘っ立て小屋の壁にめり込み、沈黙した。

 小説や物語の展開なのであれば、ならず者が魔王さまの美貌に、よこしまな感情を向け魔王さまを襲う展開などもあり得るのだろうが、魔王さま相手にそんな展開は望めない。

 魔王さまの頭には、ならず者を瞬殺することしか頭にはないからだ。

 さきほどの質問も、質問ではなく「今からお前を血祭りに上げる」という意思表示でしかないのだ。その段階で、ならず者には挽回のチャンスもセーフティネットも存在しない。

 始まる前から終わりが見えている。

「お見事です。魔王さま」

 僕は、おざなりに魔王さまを讃える。

「ふん。こんなゴミとゲスが融合したようなカスに私が遅れをとるわけがない」

「いえ、よく手加減できましたね。という意味で褒めているんです」僕は言いながら、ならず者を見やる。「ギリギリのラインですが生きてますね。どうします? 『回復薬』を使いますか?」

「はあ? なんでこんなゲスに貴重な『回復薬』を使わなくてはならんのだ。放置だ放置」

 その貴重な『回復薬』を湯水のように使っているお方の台詞とは思えないが、その判断は僕も同意するにやぶさかではない。

「となると、ですね。『回復薬』を使うのはこの子供ですか」

「当たり前だ」

 魔王さまは、ふんぞり返りながら胸元から『回復薬』を取り出し、地面にうずくまる子供にかけた。

 村の子供は、しばらくの沈黙の後、顔を上げて自分の両手を見る。

 顔を上げた子供を見て、僕はようやくこの子が女の子だと気づく。栄養不全の体にボサボサに伸びた髪で分からなかったが、どうやら、魔王さまが助けたのは年端もいかぬ幼女だったようだ。

 年の頃は五、六歳だろうか。

「あれ……。体が痛くない……」子供が自分の体をさすりながら独りごちる。「なんで?」

「ふふん」魔王さまは子供に見せびらかすように『回復薬』を子供に見せた。「これがあれば、大抵の事は何とかなる。実際に体験しただろう。

「えと。あなたが、僕を助けてくれたんですか?」

「聞こえが良い表現だとそうなるな。私は、気に食わないゴミを排除しただけだ」

 子供は力なく立ち上がると、魔王さまにぺこりと頭を下げた。

「助けてくれてありがとうございます」

「礼などいい。なんでガキはゴミ箱を漁っていたんだ。親はいるのか?」

 魔王さまの言葉に、よくもまあ、ずけずけと他者のパーソナルスペースに踏み込むなあ、と僕は尊敬する。

「いえ。親はいません。僕は捨て子だったので……帰る家もないです」

 答えなくてもいいのに、子供は罪悪感を自ら背負ったような表情で言う。

「なるほどな。ならガキは家なき子というわけか」

「うぅ」突如として涙を流したのは金髪の少女だ。「わ、私もあなたの気持ちは分かります。わ、私だって王子様を追いかけているせいで、故郷に帰れなくて」

「それは君の判断だろ。僕としては帰りたければ帰って貰った方がいいんですけど? ご両親的にも」

「そ、それは嫌です」

「…………」

 神樹さんも僕に無言の圧力をかけてくる。

「神樹さんも、元いた森に帰った方がいいと思うけど」

 神樹さんは、無言で首を横に振った。

「一体、何なんだこの状況。魔王さま、この子供を助けたんですから、僕らもこの場を去りますよ」

 僕の提案に魔王さまは「あぁ!」という声と共に、僕を睨んでくる。「まだ、終わってないだろ」

「いや。もう終わってますよね」

「はあ。頭痛が痛い」

「そんな、前へ前進みたいな言葉を使わないで下さい」

「お前に足りない物を私が見せてやる。その為に、このガキを助けたんだ。とりあえずガキは私が運ぶとして、もう少し静かな所まで移動するぞ」

「なんでこの子達もここに連れてきたんですか?」

 僕は脇に抱えっぱなしの、金髪の少女と神樹さんを見下ろしながら質問をする。

「このガキに我々に敵意がないと示す為だ」魔王さまは子供を肩で担ぎながら言う。「とにかく、もう一度渓谷近くまで戻るぞ。あそこなら綺麗な水もあるしな」

「行ったり来たり、なんとも落ち着きがない」

「五月蠅いっ。行くぞ」

 魔王さまはそう言うが早いか、子供を担いだまま元来た道を走り出す。子供は「わっ」と小さい悲鳴を上げると、魔王さまと共に僕達から離れていく。

「だぁ。もう」僕はやけくそ気味に声を出し「二人とも、もう一度戻るよ」と足に力を込め走り出す。

 一体全体、魔王さまはどうしたいのか意味が分からない。僕に見せたい物って何だ。

 疑問が疑問を呼び、混乱の大渋滞を起こす。

 生物という物は、考え事をしていると時間の感覚が鈍くなるらしい。僕が気づいた時には、さきほどいた渓谷に程近い川辺に到着していた。

 魔王さまに担がれた子供は、自分は走っていないのに疲労困憊といった様子で、目を回している。

 僕の両脇にいる金髪の少女と神樹さんも一緒だった。

 僕は、金髪の少女と神樹さんをおろし、川辺に寝かした。そして、魔王さまから子供を受け取り、二人と同様に川辺に下ろす。

「おいっ。お前ら起きろっ」

 はっきりとした輪郭を持った声を出したのは、魔王さまだ。

 魔王さまの言葉に反応するように、川辺に倒れる者達が、各々に目をさます。

「こ、ここはどこですか」と金髪の少女。

「…………?」無言の疑問は神樹さんだ。

「いててっ。何が起こって」と子供。

「はいっ。ちゅうもーく!」

 魔王さまが、何かしらの引率者のように大声を出した。

 お次は何だ?

 僕は身構える。

 それは周りの者達も同様なようで、この状況を誰も把握できていないようだ。ここが戦場であれば、司令官を失った僕らは全員が戦死している。

 幸いなのはここが戦場でないことで、幸いでないのは司令官が魔王さまということだ。

 優秀な敵よりも、無能な味方の方が脅威だと聞いたことがあるが、その無能な味方が絶対的権力のある司令官かつ絶対的な力を有しているのだから、目も当てられない。

 まるで、陪審員と執行人のダブルヘッダーが眼前に現れた気分になる。

 僕らが固唾をのんで、魔王さまの一挙手一投足に警戒していると、魔王さまは金髪の少女に目を向ける「おいっ。そこの金髪の下郎」と声を飛ばした。。

「は、はいっ」金髪の少女はおどおどと返事をする。

「お前。そこの川で、このガキを洗濯してこい。念入りにな」

「洗濯とか言わない」僕は思わず魔王さまをたしなめる。「普通は体を洗え、でしょ」

「結果が全てだ、過程は問わん」

「問えよ」

「ともあれ。金髪の下郎にはこのガキを綺麗にしろ。出来るな?」

「え? え、はい。で、出来ます」

「ならよしっ。では行けいっ」

「は、はい!」金髪の女性は「さ、さあ。行きましょう。い、生きる為に、い、行きましょう」と何かしらの哲学に引っかかりそうな台詞を口にし、「さ、さあ。お姉ちゃんと一緒に川で体を綺麗にしましょう」と言って、子供の手を引き僕らの目のつかない所まで歩いて行く。

「え、ちょっと」

 子供は金髪の少女に引っ張られる形で、金髪の少女と共に姿を消した。

「ふむ。あいつ達はいなくなったな」

「いなくなったっていうか、この場から追い払ったのは魔王さまですけどね」

「細かい事を言うな。今のところ作戦通りだ」

 その作戦の全容を知りたいのだ、と僕は思うのは僕の器が小さい事の証明なのだろうか。

「今のところって事は、次の作戦があるんですか?」

「当たり前だ。お前、今から料理しろ」

「料理?」突拍子もない魔王さまの言葉に、僕は目を細める。「なんで?」

「それが計画だからだ。それ以上でもそれ以下でもない。さっきお前、食料は非常食しかないって言っていただろう」

「言いましたね」

「だったらそこに良い材料があるじゃないか」

 魔王さまは、金髪の少女が持っていたバケツを指指した。中には、金髪の少女が釣った魚が五匹ほど入っている。

「これを使って、僕に料理をしろと?」

「ああ。その通りだ。さあ。やれ。今すぐやれ」

「まあ、出来なくはないですけど」

 僕は手持ちの食材や香辛料を考え、この魚をどう調理するかを考える。塩はある。酒もある。豆からつくった調味料もある。あとは、動物の乳からからつくった固形の食品もある。

 あとないものは……。

「ん? どうした。何か必要なものがあるのか?」

「まあ。あればいいなっていう物はありますけど」

「それは何だ?」

「できればキノコとかあれば、料理にうま味は加わりますね」そこまで考え僕は神樹さんを見た。「ねえ神樹さん」

 神樹さんは僕の声に反応するように、僕に目を向け、首を傾げる。元々、森の守り神だった神樹さんであれば、僕の依頼ぐらい簡単に達成できそうに思われた。

「この渓谷に生えている食べられるキノコとかって、採って来れる?」

「…………」

 神樹さんは、無言のまま首肯した。

「では行けいっ。緑!」

 神樹さんは、魔王さまの言葉には反応を示さず、器用に自身の蔦ような髪を利用して、渓谷を登り森の中へ入っていく。

「よし」魔王さまはどういう感情から来たか分からないが、腕を組みふんぞりかえる。

「何が、よし。何ですか?」

「後はお前が料理をするだけだ」

「その、するだけっていうのが一番しんどいんですが」

「私にやって貰いたい事はあるか?」

「もう、話が全然通じない」僕はげんなりと独りごち「そうですね。魔王さまに出来そうな事と言えば……」と渓谷の川辺を見渡した。「あの辺りの岩を熱しておいて下さい」

「熱する? 溶かさなくてもいいのか?」

「熱するだけで良いです。できれば赤くなるまで。そうすれば、料理の後、川の水を引いてお湯もできるんで入浴もできます。

「おおっ。一石二鳥だな」

「いいですか。破壊じゃなくて熱するんですよ」

「ようは、あの辺の石や岩を燃やす感じでいいんだろう?」

「そうです」

 僕は、魔王さまに肯定する。森での調理の時は、火種が木の枝しかなかったが、その場合、魔王さまの手にかかれば、一瞬で消し炭になる。だが、岩などの鉱物であればさすがに消失はしないだろう。

 僕は自分にそう言い聞かせ、調理に入る。鞄の中からナイフとまな板を取りだし、金髪の少女が釣ってきた魚をバケツから捕りだし、素早くさばく。

 三枚おろしにするとして、人数から考えると、三匹おろせば良さそうだが、どうせ、魔王さまの事だから空気も読まずに無遠慮に食べまくるだろう。

「だったら、魚全部調理しちゃうか」

 了見を定めた僕は、全ての魚をさばき、そして調味料の配合を始める。

 まずは、さばいた魚に塩を振り、十分ほど置いて魚の水分を取る。

 その間に、酒、砂糖、豆から作った調味料を加え混ぜれば基礎は完了だ。

 手持ちの紙で魚の水分と臭みを取りながら、魔王さまの様子を窺う。魔王さまにしては、良い塩梅で川辺の石や岩を赤く焼き上げている事に感心と安堵を抱いた。

 僕は鞄から銀色の紙を取り出した。鉄を薄く伸ばした物だ。人間の腕力でも折り曲げられるし、料理の使い勝手もいいので重宝している。

 僕は手の紙を大きく広げ、そこに油を少量広げた。その上に、裁いた魚の切り身を並べる。

 あとは、神樹さんが、キノコを持って帰って来てくれるのを待つだけだ。

「おおい。岩の火力はこんなものでいいのか?」

 魔王さまが僕に語りかけてきた。魔王さまの手によって焼かれた石や岩は、綺麗に焼かれている。

「そのぐらいでいいです。というかそれ以上、焼かないで下さい」

「というか。お前は今、何の料理をつくっているのだ?」

「ええと。簡単に言えば、魚に調味料をかけた蒸し焼きです。この場合はただの焼きですけど」

「お前。そんな手の込んだ物、私に作った事あったか?」

「いつもつくってますよ。今日は時間があるから、いつもより一ミリぐらい手を加えましたけど」

 魔王さまがいつもいつも、無茶な命令をしなければ、これぐらいの料理は準備できる用意はあった。それを断固として阻止してくるのは魔王さまなので、文句を言われる筋合いはない。

 さて、金髪の少女と子供、そして神樹さん。どちらが早く帰って来るのか、と僕は考える。どちらでもいいが、料理の段取り的には神樹さんの方が早く帰ってきてくれれば助かるのだが。

 僕の希望が天に届いたのか、もしくは天が魔王さまに見方したのかは分からないが、先に帰ってきたのは神樹さんだった。

 神樹さんは渓谷の川辺に下りて来て、僕に近づいてくる。神樹さんの手には、両手に一杯のキノコが抱えられていた。

 僕は神樹さんが持ち帰ったキノコを確認する。キノコを確認した僕は「おおっ」と目を丸くした。

 さすがは森の守り神と崇められていたことだけはある。すべて食べられるキノコだ。

「ありがとう助かったよ」

 そこで神樹さんの顔がほころんだ。普段無表情な神樹さんにしては珍しい反応だ。

 これで、料理の仕上げに入れる。

 僕が神樹さんに「そのキノコをくれるかな」と手を出した時だった。神樹さんは、キノコを守るように腰を曲げ僕に対して体をひねるような体勢をとる。

 なんだ? 何故、僕にキノコを渡してくれない。

 神樹さんは、体をひねったまま、器用に僕に頭を差し出した。表情は見えないが、どこか、はにかんでいるようにも見えなくもない。

 数秒の時間がその場に流れる。その気まずい空気を遠慮なく破ったのは、魔王さまだった。

「だあ。見ていて鬱陶しい。お前、本気で緑の考えている事が分からないのか?」

 神樹さんが考えている事?

「そんなの分かるわけないじゃないですか。キノコをとって来てくれた事にはお礼を言いましたよ?」

「だからお前は、浅いんだよ。願い事を叶えた者には、礼以外にもやることがあるだろう?」

「やること?」

「依頼者に対する報酬だ。緑の挙動を見れば分かるだろ?」

 僕は魔王さまの言葉を受け、その流れで神樹さんを見る。

 僕に対して頭を突き出している。ということは。

「これってぇ」

「今からお前が緑に行おうしている事は、一度だけ許す。でなければお前の成長に繋がらないからな」

 魔王さまは不機嫌そうに、僕の理解の埒外な台詞を口にした。

「ええと。これでいいのかな」

 僕は震える手で、神樹さんの頭を優しく撫で、改めて「ありがとう」とお礼を言った。

 神樹さんは、僕の行動に満足したのか、頭を上げ、僕を見上げた。その表情は、筋肉が弛緩するようににやけている。

「ちっ。気に食わない光景だが正解だ」

「でも僕、魔王さまの命令を完遂した時、お礼を言われたこともなければ、見返りを貰った事もありませんけど」

「お前は、私のお前だろっ。そんなもの必要ない」 

 なんなんだこの情緒不安定な魔王さまは。

 やっている事は平常運転だが、思惑だけが無軌道すぎて掴みきれない。

 僕が、どうにもやる方のない感情を持て余していると、神樹さんが僕に大量のキノコを渡してくる。

「えと。ありがとう。これで、みんなの食事が作れるよ」

 僕は受け取ったキノコをナイフで裂き、川の水で綺麗に洗う。少しぐらい水分が残っていた方が、焼きではなく、半分蒸し焼きになるので、ちょうど良い。

 僕は、洗ったキノコを魚の切り身をのせた鉄の紙の上にちりばめ、上から調合した調味料をかけ、仕上げに動物の乳から作った固形の食品をのせ、鉄の紙を折りたたみ密封した。

 本来なら人数分個別に処理するのが正解なのだろうが、人数が人数だけにかまっていられないし、結果は変わらないのだからいいだろう。

 僕は作った料理を、魔王さまが焼いた岩の上に置いた。加熱の反応を示す乾いた音が岩から響いてくる。

「これで、料理は完了なのか?」

 魔王さまが肩越しに訊ねてきた。

「あと、十五分ぐらいですかねえ」

「意外と長いな」

「そんなもんです」

 魔王さまと僕と神樹さんは、膝を曲げ、料理の出来上がるのを待つ。

「まだか?」

「もうちょっとです」

「まだか?」

「…………」

「二秒前にも言いましたけど、まだです」

 魔王さま達と、まんじりとせず、料理の完成を待っていると「お、お待たせしました」という金髪の少女の声が背中に届く。

 僕は振り返り、金髪の少女を見た。水浴びをした後であるから当然だが、金髪の少女の濡れた髪を陽光に反射させていた。金髪の少女を見やると、僕は「ほう」と驚嘆した声を出した。

 金髪の少女の脇にいたのは、ついさっきまでゴミを漁っていた子供だった。あれだけ見窄らしかった子供は、体の汚れが落ち綺麗な肌が目を引く。何よりも、ボサボサだった髪は綺麗に洗われ清潔感が増している。着ている服を除けば可愛い幼女だ。

 ボロは着てても心は錦だな、と僕は思う。

「ど、どうでしょうか?」

「ふむ。二人とも多少に小綺麗になったな」

「…………」神樹さんは頷く。

「それで、料理はまだか?」

「ちょうど今、出来ましたよ」

 僕は言いながら、熱せられた岩の上から、料理を持ち上げ、手近にある岩の上に置いた。

 魔王さま達は鉄の紙つつまれた料理を興味深そうに眺める。

 鞄から人数分の皿とフォークとスプーンを取り出し、全員の前に置いていく。

「ん?」と魔王さまが頭の上に疑問符を浮かべた。「一人分多くないか?」

「魔王さまって方は。これはまあ、一応ですよ。一応」

「そんなもんか」

「そんなもんです。じゃあ、料理を包んだ紙を開きますよ」

 僕はその言葉を出だしに使い、魚を包んだ紙を広げた。その直後、紙の中から湯気が立ち上り、魚と調味料とキノコが合わさった芳醇な香りが広がる。

「「「おおっ」」」その場の全員の言葉が重なる。

「まあ、成功かな。とりあえず、皆さんの分、取り分けますね」

 僕が料理を取り分けていると、上空から紅い女性が降りてきた。

「主様。勇者達は無事あのゴミ溜どもが生息している村を通過しました」

「そうか」

「しかし」と紅い女性は、僕が取り分けている料理を見ながら口を開く。「なにやら、美味しそうな匂いがしますね。重層的というかなんというか」

「ふふん。そうだろう」魔王さまが胸を張る。

「これはもしや、主さまがお作りになったのですか!?」 

「まあ、九割方正解だな」

 十割で違うだろ。

 僕は、料理を取り分けながら、心の中で反論する。

「さすがは、主さま」

「なるほどな。一つだけ空いた皿があったのはそういう事か。こういう事には長けているのになあ」

 魔王さまが、僕の方を執拗に目配せしてくる。

 ここは話を合わすしかないか、と僕は苦笑して、あらかじめ用意しておいた皿にも料理を取り分ける。

「なあ。紅い女性」

「なんだ。金魚のフン」

「魔王さまが、魔王さまの作った料理を食べていいってさ」

 もはや、やけくそ以外の何物でもない。目の前に流れる川のように、身を委ねるだけだ。

「本当ですか!? 主さま」

「ああ。今回はお前も役に立ってくれたしな。褒美だ」

 魔王さは何食わぬ顔で嘯く。

「ありがたき幸せ」

 感無量な所申し訳ないが、その料理は、金髪の少女が釣った魚と、神樹さんが採ってきたキノコと、僕の作業で完成した物なのだから感謝する相手が違う。

「それじゃあ、全員に料理は行き渡ったな」魔王さまが音頭をとる。「では、できたての料理を頂こう。これで私の計画は完璧なものになった」

 またこれだ。マジで魔王さまは何を考えているんだ。

「じゃあ。皆でご飯を食べましょう」

 僕は無理矢理に話を前に進める。

「まてっ」僕の善意を無下にしたのは魔王さまだ。

「どうしたんですか。魔王さま?」

「お前、この料理を最初に手をつけて良いのは誰か分かるか?」

「そりゃあ」僕はくぐもった声を出した。「そりゃあ……魔王さまじゃないんですか?」

「驚くほど的外れな答えだな。私がここまで思い描いてきた風景とは随分と違うぞ」

「はあ」僕は嘆息する。「じゃあ、答えを教えて下さいよ」

「まあ、そのぐらいは譲歩してやろう。最初にこの料理を食べる権利があるのは」

 魔王さまは、人差し指を立てゆっくりと腕を動かし、ある人物を指指す。

 魔王さまの指先にいたのは、子供だった。

「え。僕?」

 子供は麺を喰らったかのように、動揺する。

「ああ。ガキが最初に、この料理を食べなくては、私の計画がおじゃんだ」

「僕は最後でいいです」

「はあ。ガキも大概だな。いいから、その料理を食え。別に毒なんて入っていない。これは、魔王命令だ。喰え」

「は、はい」

 子供は不慣れな手つきでフォークを使って魚を切り分けると、それを口の中に運んだ。

 僕を含め、一同の視線が子供に集まる。

 おそらくではあるが、僕の料理を食べた子供の反応は、この場にいるほとんどの者が想定していたものとは距離のあるものだったに違いない。

 僕の料理を一口、口に含んだ子供はポロポロと涙を流した。

「え? あれ」と僕は混乱する。「ごめん。口に合わなかった?」

「ううん」子供は首を振る。「食べ物って、こんなに温かいんだね」

「それはできたてだからね」

「うん。僕が食べてきたのは、臭くて冷たくて、なんて言ったらいいんだろ。でも、このご飯は」子供は自分の胸に手をやった。「それ以上に、ほっとする」

「あ……」

 僕は子供の言葉を聞き、言葉を失う。

 まさか、魔王さまの計画っていうのは。

「ようやく気づいたか」魔王さまはニヤリと僕の心中を見透かすように笑った。「おいガキ。どんどん食え」

「はいっ。はいっ」

 子供は脇目もふらずに料理を口を運び、咀嚼する。

「お前は以前に、金髪の下郎に言ったよな。吊り橋なんとかという病気は『回復薬』で治るかもって」

「言いましたけども」

「『回復薬』というのは、病気や怪我を治せるが、心は癒やせない。でなければ、金髪の下郎や赤い下郎は、私やお前のストーカーを続けるわけないだろ。それが病気なら、すでにストーカーを引退している」

「だからこんなに遠回りした作戦を立てた、と」

「そういう事だ。よく分かっただろ。お前に足りないものが」

「まあねえ」

「それじゃあ、今度こそ、皆でご飯を食べようか」

 魔王さまの号令と共に、その場の全員が「頂きます!」言って食事を始める。

 その風景を眺めながら、僕は忌々しげに、魔王さまを見る。

 今回は、魔王さまの手の平で踊ろかされた。

 屈辱感はあるが、泣きながら料理を食べる子供を見る。

 なんとなく分かった。

 僕に足りないのは、他者を慮るという感情だ。

 三つ子の魂百までというが、足りない物を自覚した僕は、その点を改善できるのだろうか。

 複雑な事を考えるのは、一度、置いておこう。

 今後の僕はどうあれ、今、僕が満足すべき事は子供の反応だ。

 子供、もとい、幼女の流している涙は、決して現実に絶望してからくるものではないのだけは分かった。

 少女乃の流す涙は、僕の料理などより温かい物のように思われた。

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