89:帝国の全権大使はどうかしている
空には雲がかかって、月も星も見えない夜。
人工的な明かりだけを頼りに、歓迎の宴が始まった。
色とりどりの帝国の伝統的な衣装に身を包んだ王国の貴族達が、夜の庭園に花を添える。
庭に並べられた帝国と王国のそれぞれの郷土料理は両国の友好関係を表し、特設ステージで賑やかな音楽に合わせて舞を披露する踊り子は両国の末長い関係を祈願しているらしい。
何も知らない使者と何も知らない王国の貴族達は、その料理や舞を話のきっかけにして穏やかに交流を楽しんでいた。
帝国の味に音。
あの小さな宮の周辺しか、帝国のことを知らないのにどこか懐かしい空間にトウカは少しぼーっとしていた。
貴族達を侍らせ社交に勤しむギルバートの隣で、特にすることもなく大人しく控えているしかない彼女は少し暇なのかも知れない。
ギルバートはそんなトウカの手をぎゅっと握り、そして小声で告げる。
「おい、来るぞ。気合い入れろよ」
その声にハッとしたトウカは彼の手を一瞬握り返すと、すぐにその手を離し深呼吸してピンと背筋を伸ばした。
視界の端に映るのは、前方からこちらに歩いてくる王弟ハルトと使節団の全権大使、そしておかっぱ頭の薄気味悪い男ミザリだ。
徐々に近づいてくる王弟の存在に気づいた貴族達は、少しずつ静かにギルバートのそばを離れる。
触らぬ神に祟りなし、だ。
「久しぶりだね、ギルバート」
先に声をかけてきたのはハルトの方だった。
「お久しぶりです、叔父上」
ギルバートは爽やかな笑顔で挨拶を返す。
そして、隣のハルトの隣に控えるミザリにも視線を向けた。
「中将もお久しぶりですね」
「ええ、昨年末の国防会議以来ですかね?お久しぶりです」
至極形式的な挨拶を交わす3人。
互いに笑顔を貼り付けているが、その空間だけ空気が張り詰めていた。
トウカはギルバートの半歩後ろで軽く頭を下げる。
ハルトは一緒チラッと彼女の方を見たが、すぐにギルバートへと視線を戻した。
「そうだ、改めて紹介するよ。こちら、皇帝陛下の側近を務めていらっしゃるアオイ殿だ」
紹介されたアオイはやや緊張した様子で、一歩前へと出る。
「…アオイ・レイシスと申します」
「ギルバートです。よろしく」
他国の王太子を前に緊張気味のアオイはギルバートから差し出された手を取り、とりあえず握手を交わした。
(大丈夫か?この人)
キョロキョロと定まらない目線に、モゴモゴとした喋り方。威厳などまるで皆無だ。
緊張を解そうと軽い雑談をするが、辿々しく相槌を打つだけ。
ギルバートは、この外交など全くもって出来なさそうな男が少し心配になる。
隣で様子を見ていたハルトは小さくため息をついて、仕方がないとでもいうように酒を勧めた。
「そんなに緊張しなくとも大丈夫ですよ。さっき陛下のところに挨拶した時は平気だったじゃないですか」
「す、すみません…」
アオイは素直に酒を受け取ると、ふーっと深呼吸した。ハルトはそんな彼の背中をさする。
ギルバートは先程の彼らの会話が気になった。
それはつまり、王に会うより王太子に会う方が緊張するということ。
(あり得ない)
自慢できることではないが、ギルバートにエドワードのような威圧感はないし、アオイのことを言えないくらいに威厳もない。
そんな自分相手に緊張するなどあり得ない。となると…。
ギルバートはチラリとトウカの方を見た。
(おそらく緊張の理由はこちらだろう)
アオイの挙動不審の原因は、トウカが探している姫君かどうかを見極めねばならないという緊張感。
皇帝が来る前に見極めておかねばならないのだろうか。
彼がそこまで緊張しなければならない理由はわからないが、ギルバートは徐に口を開いた。
「珍しい髪色でしょう?」
「…へ?」
唐突に、怪しく微笑みながら、そう尋ねてくるギルバート。
アオイは無意識に間抜けな返事をしてしまい、慌てて口を塞ぐ。
「かの一族を思い出しますか?」
「い、いえ…その…」
「ご安心ください。彼女は生まれも育ちもエフェニアですから。帝国に敵意などありませんよ」
ギルバートは、暗にスメラギの一族ではないと主張する。
アオイは咄嗟のことで返す言葉が出てこない。
そんな彼に少し親近感を覚えつつ、ギルバートは柔らかい笑みを浮かべてトウカに視線を送った。
「紹介します。私の補佐官、トウカ・グレイルです」
その言葉を合図に、トウカは一歩前へと出るとアオイに対し淑女の礼を取る。
「トウカ・グレイルと申します。以後お見知り置きを」
「アオイ、です。よろしくお願いします…」
アオイは動揺しつつもトウカに手を差し出す。トウカは素直にその手を取り、握手を交わした。
それから数名の帝国の使者を交え、しばし談笑する流れになったのたが、トウカもギルバートも気が気ではなかった。
その原因は全権大使アオイである。
この男、トウカの出身地や年齢、いつから城に上がったかなど、彼女の経歴を探るように聞いてくる。
たが、どの質問もオブラートに包むことなく直球勝負なのだ。
本当に全権大使かと疑いたくなるほどに腹芸が下手すぎる。というか全くもって出来ていない。
トウカはエドワードの作った設定通りに当たり障りのない回答をするが、内心はずっとこう思っていた。
(こいつ、大丈夫か?)
後々にわかることだが、この時、隣で彼の話を聞くギルバートも、ハルトやミザリでさえも同じことを思っていたらしい。
「あ、あの」
「はい、何でしょう」
ギルバートが他の使者たちと話している今のうちに…、とでも思ったのだろうか。
アオイは意を決したようにトウカに尋ねた。
「トウカさんはお姫様ですか?」
「…は?」
あまりの衝撃にトウカはそれまで貼り付けていた笑顔の仮面を外した。
その声が聞こえていたギルバートは勢いよく振り返り、ハルトとミザリはあんぐりと口を開けていた。
(こいつ…)
馬鹿だ。ど直球にも程がある。
トウカは瞬時に笑顔の仮面を付け直すと、やや強めの口調で言う。
「何のお話でしょう?」
彼女の放つオーラに気圧され、アオイは小さく「ひぃ」と声を漏らした。
化け物か何かを見たような顔だ。女性相手に失礼極まりない。
小動物のように小刻みに震えるアオイの目を、トウカはジッと見据えた。
アオイは彼女の鋭い眼光に負けて目を逸らす。
「す、すみません。変なことを聞きました」
「いえ、大丈夫です。けれどどうして『お姫様』なんです?」
「それは…」
言い淀むアオイに、トウカは何か悪いことを思い立ったようにニヤリと口角を上げた。
「あ、もしかして口説いてました?」
からかい口調でそう返すトウカに、アオイは顔の前でブンブンと手を振りながら本気で否定する。
「え!?ち、ちちち違います違います!!」
「あら残念。てっきり『私のお姫様になってください』という意味かと」
「か、揶揄わないでくださいぃ…」
プシューッと赤くなり俯くアオイに、トウカはクスッと笑みをこぼした。
何とも揶揄いがいのある男だ。成人男性だと思えないほどにピュアだ。
どんな温室で育てたらこんな男が育つのか甚だ疑問である。
トウカは心の底からこう思った。
(調教したい…)
「調教すんなよ」
ギルバートはトウカの背後にそっと近寄り、耳打ちした。
「…思考を読まないでください」
「お前の考えていることなどすぐわかる」
態度はオドオドとしているが、この裏表が無さそうなところも腹芸が全く出来ないど直球なところも、出会った頃のギルバートにそっくりだ。
顔を真っ赤にしたアオイは、少し水をもらってくるとその場を離れた。
ハルトとミザリも流石に心配なのか、彼の後を追う。
ギルバートはその背中を見て、ポツリと呟いた。
「俺、あんな感じだったか?」
親近感を覚えたのは、腹芸もろくに出来ないど直球だった頃の自分と重なって見えたからだと気づいたのだろう。
トウカは軽く首を左右振る。
「殿下の場合はあそこまで可愛くなかったです。王族らしく振る舞おうとして、態度が尊大だったので。あの頃の殿下は…」
「あ、ごめん。やっぱ語らないで」
「昔話…お嫌いですか?」
「…あまり好きではないな」
それは可愛い昔話ではなく、ただの黒歴史だ。
「何故皇帝は彼を大使にしたのでしょう」
「何か意図があってのことだと思うか?」
「意図がなければアレを任命しないでしょう」
「…そうだな」
「相手の警戒を説くため…とか?」
トウカは半眼で遠くに見える全権大使の姿を眺めた。
そこではジュリアスにペコペコと頭を下げて何かを話している。
「あ、ワインこぼしました」
「…確かに警戒は解けそうだ。妙に庇護欲をそそられる」
「わかります」
小動物を愛でるような視線をアオイに送るトウカ。
ギルバートはその横顔をジッと眺め、小さく呟いた。
「…好きになるなよ」
そう言って口を尖らせる隣の男を見て、トウカは深く長いため息をついた。
そして8センチヒールで彼の足を踏みつける。
「いって!」
しゃがみ込み痛がるギルバートを見下ろしながら、トウカはハッキリと言った。
「今更あなた以外を好きになるわけないでしょうが」
ギルバートから見える彼女の頬は少し赤かった。
「…結婚してぇ」
「はいはい。ほら、仕事しますよ」
使者との交流も王太子の立派な仕事だ。
トウカはギルバートの手首を掴んで立ち上がらせると、彼と共に人混みの中に消えていった。




