90:怪しい男
「あの大使、調子狂うんですけど…」
「何でオスカー様はこんな時にぎっくり腰になるんですかぁ」
使節団の到着から王宮の外朝を案内したり、会談したりと大忙しのジュリアス。そして見習いの身分ながらも、人手不足のために彼の補佐に回っているフィオナ。
2人は王太子の私室を訪れて愚痴をこぼしていた。
どうやら王の補佐官、オスカーが使節団の数名と騎士団を訪問した際に『昔は私も結構な剣の使い手だった』などと言って無理矢理模擬戦に参加した結果、ぎっくり腰になったそうだ。
もう若くないのに、自分は若いと思っている老人ほど怖いものはない。
ジュリアスはそう語る。
「なあ、それは今ここで言わねばならんことか?」
布団から顔だけ出したギルバートは、少し苛立ったようにベッド脇に立つ2人を見る。
窓の外はまだ薄暗く、朝日は登りきっていない。
「お前ら、一応言っておくが俺は王太子だからな。王族だからな。王位継承権第一位だからな」
外の衛兵は何をしているのか。なぜこうも簡単に王太子の私室へ人を通すのか。
ギルバートは後で彼らをシメようと心に決めた。
「今日から学園の視察が始まるので情報共有しようと思っただけです。僕らはこれからすぐに陛下のところへ行かねばなりませんので」
「ので!」
「いやいや、もっともらしく言ってるけど別に書面に起こして執務室に置いといてくれたら目を通しておくからな?わざわざこんな朝早くからここに来る理由なんてないからな?」
彼らがわざわざ朝っぱらから報告に来る必要性など皆無だ。
ギルバートはさっさと出て行けとでも言うように、しっしっと手を振った。
「んー」
布団の中でももぞもぞと何かが動く。
「あ、やべ」
咄嗟にそう口から出てしまったギルバート。
ジュリアスはそこに何かいる事を察し、勢いよく布団をめくった。
「殿下…」
「…一応結婚前ですよね?」
2人は呆れ顔で布団の下から出てきた義理の家族を見下ろす。
「べ、別に何もしてないからな」
一応弁解するが、婚約者を自室のベッドに連れ込んでおいてそれは説得力がない。
フィオナは、まだ寝息を立てるトウカの捲れ上がった白いワンピースの裾を直した。
「何かしてたら問題です!」
「そう思うだろう?実は別に問題はないんだよ、フィオナ」
「え?そうなのですか?」
「婚前交渉は『望ましくない』というだけで、禁止ではないんだよ」
あくまでも努力目標のようなもので、守る義務はない。
ただ、ギルバートが王族という立場であることを考えると節度は守るべきだとジュリアスは主張する。
「現に陛下も結婚前に手を出したとか出さなかったとか」
「蛙の子は蛙というやつですか?」
「正解」
「だから手は出してないって言ってるだろうが!」
あくまでも事後認定して話し出す2人に、ギルバートは一喝した。
すると、彼の大きな声で目が覚めたトウカは、目を擦りながら体を起こした。
そしてぼーっと辺を見渡す。―
ふと、フィオナと目があったトウカはふにゃっと笑いかける。
「え?え?どうしたんですかトウカさん」
こんな無防備なトウカを見たことがないフィオナは、顔を真っ赤にした。
「寝ぼけてるだけ」
「寝起きこんな感じなんだ…」
「可愛いだろ」
「可愛い…」
ギルバートはトウカを後ろからぎゅーっと抱きしめた。トウカは顔だけ後ろに向けると、彼の首筋に擦り寄りそのまま再び寝息をたで始める。
その様子をジュリアスは半眼で眺めていた。
「…そういえばそうでしたね」
この義妹は寝起きが悪かったということを思い出したのだ。
「…おい、何故お前がこいつの寝起きを知っている」
「朝まで一緒に飲んだことありますからね」
「…は?」
「そんな怖い顔しないでくださいよ。不可抗力です」
嫉妬丸出しで睨みつけてくるギルバートに抗議するように、深く長いため息をついたジュリアスはパンパンと二回手を叩いて話を切り替えた。
「はい、もうイチャイチャしながらで良いので聞いてくださいね。報告しますよ」
「待て待て、先にトウカを起こそう。こいつも聞いとくべきだろ」
「報告書は作っているので問題ありません」
今起こすと恥ずかしさでトウカが死ぬからと、ジュリアスは話を続ける。
報告書があるなら早朝からの訪問など不要ではないかとギルバートは激しく抗議したが、口頭での伝達事項があると彼は言う。
「何だよ、口頭での連絡事項って」
「まずは、全権大使殿についてですが、陛下より『彼に関しては特別警戒する必要はない』とのお達しです」
「いや…、そういうわけにもいかないだろう」
確かにアオイは裏表のなさそうな雰囲気があるが、全権大使に任命される人間がそんな単純なやつなわけがない。
しかし、エドワードは彼をただの人畜無害の青年だと判断したらしい。
「彼が大使になったのは、こちらの警戒心を解くためだと陛下は仰っていました。むしろ警戒するべきは彼の副官です。上手くアオイ殿をフォローしてこちらに探りを入れてきています」
「…わかった。気をつけておく」
「で、次。これが1番怖いんですけど、ミザリ・ヒューズ中将が王宮で不審な動きをしています」
ジュリアスは怖い顔をして言う。
ミザリはハルトの補佐として共に王宮に泊まっているが、どうにも彼の動きが怪しいそうだ。
「あの人はいつも不審な動きしかしてないだろう」
「たしかに彼は変人で有名ですが、そうでなく…。なんというか、毎日行く当てもなくふらふらと王宮内を歩き回っているそうなのです」
ミザリを監視している騎士からの報告によると、彼は毎日ひとりで王宮内を探るように歩き回っては使用人たちに声をかけて回っているらしい。
散歩にしては不自然だ。そして何より日々会食やらで忙しくしているハルトの側についていないことが一番おかしいとジュリアスは言う。
「明らかに何か企んでいます。くれぐれも罠に嵌まらぬよう注意してください」
「俺、あの人何考えてるのかわからなくて苦手なんだよな…」
「それ、多分みんな同じです」
フィオナは同意するように激しく頷いた。
ジュリアスは主人の腕の中で目を閉じている義妹をじーっと見つめる。
そしてフッと笑みをこぼした。
「どうした?ジュリアス」
「…聞いていただろう?トウカ。君も気をつけなさいよ」
「え?」
ギルバートは腕の中にいるトウカに目をやった。
すると、彼女の白い髪の隙間から見える耳は真っ赤に染まっていた。
「起きてたのか?」
「起きてたんですね、トウカさん」
反応がない。
どうやら話の途中で完全に目覚めた彼女は目を覚ますタイミングを逃したらしい。
「話は以上です。行こうか、フィオナ」
「あ、はい!」
「トウカ。節度は守れよー」
からかい口調でそう言い残して去っていった義兄の名を呟き、いずれ社会的に抹殺してやると誓いを立てた頃、帝国の方角から朝日が顔を出した。




