83:トグサ・アシュタールの娘(2)
トウカはこの世に生を受けてからずっと、初老の医官とその妻に育てられた。
彼女の実母は体が弱く、彼女を産んで数年後には儚くなったらしい。故に彼女は、母の顔をあまりおぼえていない。
医官夫婦の元での生活は、少し窮屈だった。
行動範囲は小さな社のような宮とその周辺だけ。決して森の向こうへは行ってはいけないときつく言われていた。
「何故森から出ることができないのか」と何度か医官夫婦に問い詰めたこともあったが、困ったように笑うしかない彼らを見て、何となく事情がある事を察した彼女は次第に抗議することもなくなった。
医官夫婦は外に出られないトウカのためにたくさんの本を与えた。
トウカが文字を読めるようになってきたころ、宮は壁一面に本棚が設置され、そこには大衆文学だけでなく、医学書や歴史書、政治学などの学術書から、気象情報や農作物の収穫量の推移などのデータを記した書物まで多岐にわたる本が並べられた。
特にすることがないトウカはひたすらに本を読み漁った。
そして気づきはじめる。たくさんの知識をつけても自分は何も知らないということを。
自分が今どこにいるのか、自分の話す言葉はどこの国のものなのか、宮の外はどんな風になっているのか。
試しに医官夫婦に聞いてみたが、二人はまた困ったように笑うだけだった。
彼女はその笑みから『知らなくて良い事なのだ』と察し、それ以上聞くのをやめた。自然に情報が隠されていても、外に出られない自分には必要のないものなんだと無理矢理に納得した。
そんな生活が続いたある日、突然父を名乗る男がトウカの前に姿を表した。
彼女が8歳の誕生日だった。
彼は悲しそうに微笑みながら、養父である医官に命じて彼女の肩に刺青を入れた。
刺青をいれてから、少しだけトウカの生活が変化した。
今まで医官夫婦しかいなかったその宮に、医官の妻の娘がトウカに礼儀作法を教えに来るようになった。他にも何故か舞や琴の稽古を付けにくる人間が現れるようになった。
急に立ち居振る舞いを矯正されるから不思議に思ったが、本を読む以外の事ができるのは退屈しのぎになると、彼女はマナーレッスンや舞の稽古を楽しんだ。
また月に1度、父トグサと軍服を着た男も訪ねてくるようになった。
父が友人だと紹介した男は、癖のある長い黒髪を後ろで束ね軍服に身を包んでいた。
名をゼン・マクライドと言うらしい。
ゼンはトウカを『姫さん』と呼び、宮を訪れると必ずトウカに、『不良債権ばかりの国家を立て直すゲーム』をしようと誘ってきた。
『もしも姫さんが天気を予測するなら、今年の北の積雪量はどうなりそうか』
『もしも姫さんが東の公国から攻め入られたらどの様な布陣を取るか』
『もしも姫さんが南の関所の関税を上げるのなら、どう交渉するか』
『もしも姫さんが西で取れる鉱山資源を手にしたらどう活用するか』
など、必要な資料を持ってきてはそれを彼女に見せて『姫さんならどうする?』とゼンは問う。
老夫婦以外と会話する機会はそうそうないのでトウカは嬉々として、その問いに答えた。渡された情報を元にゼンとああでもないこうでもないと議論を重ねた。
ゼンは宮から帰る時には、必ず頭を撫でて褒めてくれた。そしてお供え物のように、甘いお菓子を置いていった。
トウカはそれがとても嬉しくて、彼が宮を訪れるのをとても楽しみにしていた。
そんな交流が2年ほど続いたある日。
ゼンは彼女の前に地図を広げた。
『姫さんは、もしもこの様な悲惨な状態の国でクーデターを起こすとするのならどの様に作戦を練るべきだと思いますか?できるだけ被害は最小限に抑えたい』
そう言ってゼンが地図の横に並べた資料には、腐敗した国を想定したクーデターの計画案があった。
想定されている国の内情は、彼女が読んできた本の内容にそっくりだった。
『この国やばいね』
『やばいんです。だから作り替えるんです』
『王様は何してるのかしら?クーデターを起こすより内側から変えていくのが先では?』
『頑張ったけどもう手遅れなんです』
『あらまあ。残念な王様だったのね』
トウカがそう言うと、父トグサは困ったような笑みを浮かべて『王様は王様の器ではなかったんだよ』と答えた。
『そうだなぁ。まずココとココ。あとはココは一気に潰すべきかと』
『なるほど』
『あ、でもゼンの作戦だと、この手のタイプの人たちはこっちの部隊に配置した方が良いかも。あとこの部隊はココ。あとはー、この部隊は陽動として使い捨てて、本命はこっちでこう動かすと…』
トウカはチェスボードで駒を動かす様に最善の配置を考え、何処を一番に叩くか、どうやって奇襲をかけるかなどをゼンに提案した。
彼の目はいつになく真剣だったので、彼女も渡された資料を元に真剣に答え、その日のゲームはいつにも増して白熱した。
『あとは、想定されてる国の内情を考えると他国の支援は必要かなぁ。クーデターを起こすにもこれだけの物資では心許ないかも』
『…たしかにそうですね』
ゼンはチラリと横のトグサを見る。
トグサは小さくコクリと頷いた。
『…そこは他国に当てがあることにしましょう』
『そう?じゃあ、ここの領地の私兵は先に少しずつ切り崩しておくべき。あとここは取り込んでおかないとまずい。それと…』
トウカはその後も、『あの情報が足りない』『これではだめだ』など散々にダメ出しした。
『姫さんは厳しいなぁ』
『だってクーデターなんて捨て身なことするのなら、確実に勝てる方法を取らないと』
『それもそうですね』
『あとはさ、王家側の内通者の存在は必須なんだけど…』
『内通者は既にいる設定で。それも王の行動を全て把握している人物』
その言葉に、トウカは頬を膨らませた。
『むぅー。そんな人が内通者ならもう勝ちは確実でしょ?一気に面白みがなくなっちゃいますよ。簡単すぎるわ』
『はは。それは申し訳ない。お前は困難が大きい方が好きだもんな』
『その方が燃えますもの!』
複雑そうな顔をして笑うトグサに対し、トウカはとても楽しそうに微笑んだ。
それからというもの、トウカとゼンは『クーデターを起こすなら』という想定のもと何回も議論を重ねた。時折、ゼンが他の人間を連れてくる事もあったが、トウカと対等に議論できるのは彼しかいなかった。
そして数ヶ月後、やっと完璧に勝てる策が立てれた日の帰り際、トグサは何故か涙を流しながらトウカを抱きしめた。
『愛しているよ』
何度もそう言ってキツく抱きしめた。
トウカにとっての父は養父である医官で、トグサはあくまでも気まぐれに訪れては遊んでくれる気の良いおじさんだった。
だから、まるで子を思う父のように抱きしめられた時には少し困惑した。
頭に疑問符を浮かべながら抱きしめられる彼女を見て、医官夫婦もゼンも何故か物悲しげに微笑んでいた。
その日の夜、彼女は医官夫婦と一緒に川の字で寝た。
それからさらに3ヶ月ほど経ったころ。
ゼンが1人で訪ねてきた。宮に来るときはいつもトグサと共に来ていたから、トウカは不思議に思った。
『どうしたの?』
『どうもしませんよ』
『そう?』
『ねえ、姫さん。姫さんは王様になりたいですか?』
『え?別に…。興味ない…』
『ははっ。姫さんらしいや』
『急に何?今日のゼンは少し変だわ』
『姫さん、俺は友を殺さねばなりません』
『どうして?』
『友が、尊い人だからです。殺したくないけれど、彼は殺されることを望んでる』
涙ぐみながらゼンはそう語るが、トウカには意味がよくわからなかった。
『よくわからないけど、大丈夫?お腹痛い?じい様にお薬つくってもらう?』
『いや、大丈夫です』
『そう?』
『ねえ姫さん、外に行きませんか?』
『え?お外?いいの!?』
『はい。一緒に行きましょう』
『やった!』
トウカは外に出れると飛び跳ねて喜んだ。
ゼンはそれからすぐに必要最低限の身支度をトウカにさせると、彼女が入るくらいの大きな箱を用意し、その中に彼女を入れた。
『じい様とばあ様は?』
『私たちはお仕事がありますので』
『そっか…。残念』
医官夫婦はしばらく旅行に行くだけなのに、今生の別れであるかのようにトウカをキツく抱きしめた。
『姫様。どうかお元気で』
『どうして泣くの?』
『姫様とは片時も離れたくないのです。じいもばあも寂しがりなのです』
『ふふ、変なの』
『姫様、愛しておりますよ。いつまでも』
『私もじい様とばあ様の事大好きよ』
涙を流す医官夫婦に別れを告げてから、トウカははじめて外の世界に出た。
馬車に揺られて煌びやかな街を抜けると、すぐに荒廃した大地が見えた。
何となくこれから起ころうとしている事がわかるのに、トウカは分からないフリをして外の世界をその目に焼き付けた。
時折休憩を挟みながら、たまに訪れた街で食べたことのないような粗末なご飯を食べて、馬車に揺られることおそらく10日。
行き着いた先は大きなお城だった。
『姫さん。必ず迎えにきますから、どうか待っていてください』
ゼンはそう言うと、トウカに薬を嗅がせた。
トウカは何がなんだかよくわからないまま眠りについた。
次に彼女が目を覚ました時には何故か薄暗い地下牢にいた。
そこにはいつも側にいて穏やかに微笑みかけてくれていた医官夫婦の姿も、よく遊んでくれたゼンやトグサの姿はなく、不敵な笑みを浮かべる銀髪紫眼の男がひとり立っていた。
『エフェニア王国へようこそ、お姫様』
そう言ってトウカの前に跪き、手の甲にキスを落とした銀髪紫眼の美しい男はハルトと名乗った。
『えふぇにあ?何それ』
ハルトは目の前で首を傾げるトウカを嘲笑うように、
『帝国でクーデターが起きているんだ。君の母国さ。わかる?』
『反乱軍のゼンと言う男がアシュタール皇帝の末子であり、特殊な能力を持つ君を私に引き渡したんだよ』
『その見返りに物資の支援を約束したんだ。君は売られたんだよ』
『君も君の父親も国に裏切られたのさ。ゼンという男にね。昔はそんな野心家には見えなかったのに、人は変わるものだね』
と、つらつらと語った。
トウカは興味がなさそうに『そっか』と返事をした。
本当は何となく気づいていた。
父が身分の高い人物である事も、自分に渡される本はおそらく自分が今いる国のものであることも、自分が父やゼンと話している内容が外の世界で起きている事だということも。
…父が何をしようとしているのかも。
気づいていたが、紙の上でしか世界を見た事がなかった彼女はどうにも実感が湧かずに、その違和感に気づかないフリをしていた。
『さっきの話、ひとつだけ違う部分がある。皇帝は裏切られたんじゃないわ。皇帝がゼン・マクライドにクーデターを起こさせたのよ』
『へぇ。それは興味深い話だね』
『ゼンが他国は当てがあると言ってたのは貴方のことだったのね』
『随分と冷静だね。もっと泣き喚くかと思っていたのに』
『泣き喚いたら何か変わるの?』
『変わらないね。でも興味ないの?祖国の混乱とか』
『私には関係ないものだわ』
ゼンと一緒に考えた作戦は完璧だった。勝ちは確定だ。ならその後のことなんて興味がない。
なんせ、トウカは紙の上でしか祖国を見た事がない。
動かしていた駒が生きた人間であるという感覚が彼女にはなかった。
クーデターでどれだけの人間が死ぬのか、その後にどんな事が待っているのかなんて、当時の彼女にはわからなかったのだ。
彼女にわかるのは、医官夫婦やトグサが彼女に沢山の知識を与えたのは、彼女の高い情報処理能力を利用するためだったということと、窮屈だけど穏やかだったあの日々は全て幻だったという事だけ。
トグサは腐敗した国のために、一度全てをリセットするつもりでクーデターを起こさせたのだろう。
そして、皇帝である自分の死をもって、守れなかった帝国の民に償いをしようとしたのかもしれない。
けれどそんな事、トウカにはどうでもよかった。
トウカは覇気のない目で尋ねる。
『ねえ、貴方も私を利用するの?』
『そうだよ。力を貸してくれるかい?』
『貴方はどんなゲームをするの?』
ハルトは優しく微笑んで応えた。
『ゼン・マクライドと同じさ。椅子取りゲームだよ』
覇気のない目( ˙-˙ )




