84: トグサ・アシュタールの娘(3)
ゼンに売られたトウカは、エフェニア王国の北の城の地下で、意外にも優雅な生活を送っていた。
日の当たらない地下牢にもかかわらず、フカフカのベッドやソファ。センスの良い高級家具に、簡易クローゼットにはずらりと並んだ帝国のドレス。たくさんのぬいぐるみと、見たこともないようなおもちゃに宝石の数々。
食事は1日3回きちんと温かいものが用意され、毎日湯浴みもさせてもらえる。
帝国での生活よりはるかに快適で、とても売られた女の受けられる待遇ではなかった。
何故こんなにも大事にしてくれるのかと聞けば、『トウカは神の子だから』と言う。トウカにはハルトの言うことがよくわからなかったが、奴隷のように扱われるよりはマシだろうとそれ以上追求しなかった。
ハルトは毎日夜になると、トウカに会いにくる。チェスなどのボードゲームを一緒に楽しんだ後、眠くなるまで彼との対話を楽しむのがルーティーンとなっていた。
ハルトとはくだらない話もたくさんしたが、彼のする話の大半はエフェニア王国についての話だった。
『お兄さんを殺すの?』
ある日の夜、トウカはチェスを打ちながらハルトに尋ねた。
すると、彼は薄く笑みを浮かべて
『今すぐじゃないよ。いずれはって話』
と言った。
トウカには何故玉座を狙うのか理解できなかった。
ハルトから聞く話では、兄王エドワードがその地位について15年余りで、エフェニア王国は劇的に発展していた。
エドワードは外交に力を入れ、積極的に他国の文化文明を取り入れた。
城は実力主義を導入し、才のあるものはその身分問わず平民であろうと重用するようになったし、大臣クラスの貴族たちで開かれる議会にも平民からの意見を積極的に採用している。
また各領地に通達し、市井にも学校を作ることも義務付けた。今はまだ学費が高く、裕福な家庭の子どもしか学びの機会を手にする事ができていないが、いずれは望めば誰でも学びの機会を手にすることができるよう変えていくつもりらしい。初等教育のみ義務化することも考えているそうだ。
『貴方のお兄さん、良い王様だと思うわ』
トウカは、軽蔑の目でハルトを見る。
王エドワードの政治に欠点は無く、そんな王を殺すなど私利私欲のためとしか思えない。
しかし、ハルトは険しい顔をして否定した。
『兄上が目指す国は『王などいらない国』だ。民が自ら考え自ら行動し、政治を行う民主主義国家だ。これがどれほど恐ろしい事か、お前ならわかるだろう?』
ハルトは奥歯をギリっと鳴らした。
『知恵をつけた民はいずれこの国に混乱を巻き起こす。優秀な王に統治されているからこの国は平和でいられるんだ』
トウカはただただ黙ってハルトの話に耳を傾けた。
確かに、民による民のための政治といえば聞こえは良いが、そこから予測される未来はそう明るいものではない。争いを生み、独裁者を生み出すこともあるだろう。
エフェニア王国は、現在優秀な王に守られて平和を謳歌している。わざわざそれを乱すような事などしなくても良いとハルトは主張する。
『兄上が意見を変えてくれるのなら、私は兄上と手を取りあって国を盛り上げていきたいのだけどね』
そう言うハルトの表情はどこか悲しそうに見えた。
何となく、その表情がいつかのゼンに見えて、トウカはそっと彼の頭を撫でた。
エフェニアに来てから4ヶ月ほど経った頃。久しぶりに王都を訪れていたハルトは、そこで『もう兄とは分かり合えない』とそう悟ったらしい。
北に帰ってきて早々、トウカの元を訪れ、クーデターの計画を立てるよう指示を出してきた。
しかし、この4ヶ月程で大体の国の状況を把握した彼女は言う。
『ハルに勝機はないわ』
民は現王を支持しており追随しないだろうし、ハルトの味方は主にエドワードの改革に反対している保守的な貴族達で国をひっくり返したあと、彼らの力だけでエフェニア王国を率いていけるとは思えない。
少なくとも今は時期ではない。それよりも、寧ろこの国のためを思うのならクーデターよりも別の方法を取る方がずっと良い。
『話し合いの場を設けてはどう?』
トウカはそう尋ねた。
話し合いで分かり合えないはずはない。トウカは心のどこかでずっとそう思っていた。
ハルトは北の国境に面したこの土地を、自ら軍を動かし守っていたし、何より彼はいつも、国民の『人としての最低限の権利』を守る事は王族の義務であると、いつもトウカに説いている。
どう考えてもハルトはこの国を大切に思っていた。そして施策を見るにおそらく民を思う気持ちは、エドワードも同じだ。
ハルトの思いを無駄にしないためにも、トウカはハルトとの和解を提案した。
しかし。
『私と兄上は分かり合えないよ。絶対』
ハルトは憎しみを宿した目で頑なにそう言った。
彼が言うには、エドワードの息子は大層出来が悪く、王都ではエドワードに近しい貴族からも、次期国王にはハルトを据えた方が良いのではないかという声が出てきているらしい。
しかし、エドワードはそれを強く否定しているそうだ。
『ギルバートを見限るのはまだ早い』と、そう言っているらしい。
『兄上は子を持ってから変わってしまわれた』
ハルトは小さく呟いた。
北の国境を任されるまでは政策について対立することはあれど、エドワードはハルトの意見を汲み、毎度深く議論を重ねてきた。
ハルトはずっと優秀な兄エドワードを尊敬していた。
だが、エドワードは子が産まれてからあまりハルトの意見には耳を傾けなくなったらしい。
王子の頭の出来が疑われ始めた頃、北の国境を任されていた貴族が亡くなったこともあり、ハルトは北に行くように言われた。
王都でまだまだやることがあったのに、北へと追いやられたハルトは『厄介払いされたのだ』と思ったそうだ。
憎みながらもどこか寂しそうに兄のことを話す彼に、トウカは何も言えなくなってしまった。
『…できるだけ頑張ってみる。けれど、完璧な策ができるまでどうか動かないで。今はまだその時じゃないわ』
そう言って、トウカは結局ハルトの指示に従い、いくつかのエドワードの弑逆する計画案を練ることとなった。それだけでなく、エドワードよりも息子のギルバートを暗殺することも考えた。
だが、やはりどの案も確実とは言えず、何よりクーデターを起こした後のことを考えると、ハルトが大事にするこの国にとってよくない結果になる。
トウカはその都度ハルトに兄との対話を求めた。
けれど。
『大丈夫だ。トウカがいれば、国民が何も考えずとも安定した生活が送れる』
ハルトはトウカの手を取って微笑んだ。
スメラギの予測は予知に等しい。
トウカの能力は、自分を律して私利私欲のために使わなければ、災いから国を守って守ってくれる。ハルトはそう語った。
『お前は私の味方をしてくれるかい?』
自分がスメラギだという自覚のないトウカは
自分ではハルトの役に立てないと思ったが、捨てられた自分をこんなにも求めてくれるのならと大きく頷いた。
その日。
昼間にもかかわらず、ハルトが突然地下へとやってきた。
『裏切ったのか!お前は私を裏切ったのか!』
『…え?何の話?ねえ、ハル?』
『お前は私の味方だとそう言っていたじゃないか!』
『そうよ。その通りよ?ねえ、どうしたの?』
『どうしただと?白々しい!宰相が視察に来る。お前が呼んだらしいな!』
ハルトは怒り狂ったように、トウカに詰め寄る。
彼が言うには、トウカが世話役のメイドを通じて秘密裏に王都にいるエドワードへと助けを求めたらしい。
しかし、トウカにそんな事をした記憶はなかった。
誤解だ。そんなことはしていない。そう主張するが、トウカの声はハルトに届かない。
『兄上はギルバートの妻にお前を据えるつもりだと言っているらしい。確かにお前がいれば、あのギルバートでも王になれる。兄上の考えそうな事だ』
『そ、そんなの知らない!』
『お前は私の首を差し出して、未来の王妃になろうと言うのか!許さない!許さない!お前が私を裏切るのは許さない!』
『落ち着いて!?私はそんな事知らない!』
『お前は私のものだ。私が帝国から買った、私の物だ。誰にも渡さない!』
トウカの胸ぐらを掴み、怒りをぶつけるハルト。その後ろから、黒い外套を着て頭からフード被った男が囁く。
『ハルト殿下。取られる前に手に入れてしまいましょう。スメラギの子どもといえど、それは女です』
その男はニヤリと口角を上げた。
トウカには、そこから先の記憶がない。
気がついたら、やたらと顔の怖いおじさんに抱き抱えられていた。
***
「…と、まあこんな感じです」
軽い口調で重い話をし終えたトウカは、チラリと玉座を見上げる。
すると、ジュリアスもエドワードも顔色が悪かった。
あのクーデターの裏側もハルトとの半年間の生活も、彼らにはよほど想定外のものだったらしい。
「これはあくまでも私から見た5年前の出来事ですので事実と異なる部分も多いかと」
「ああ、わかっている」
「伝えておくべき事はお伝えしました。何かご質問があれば…」
「…さ、宰相は知っていたのか」
エドワードは顔を伏せながら、小さく呟いた。
おそらく、宰相は全てを知っていたが、一部を伏せて報告したのだろう。
「閣下がどこまで陛下に話したのかはわかりませんが、もし話していないことがあるとするならばそれはきっと、私のためです。私がそう頼みましたから…。責めるならどうぞ私を」
トウカはあの時、宰相に対し涙を流しながら『誰にも言わないで』と懇願した。
同じ年頃の娘がいるせいだろうか、宰相はトウカの願いを聞き入れ、彼女が受けた屈辱を報告しなかった。
「誰のことも責める気はない。気になっただけだ。お前はただの被害者であるし、宰相だって、それが彼ににできる精一杯だったのだろう」
トウカの身の上を考えると、婦女暴行の被害者としてそれを公にし、ハルトを取り締まる事は難しい。宰相は、ならばせめて彼女の名誉は守りたいとそう思ったのかもしれない。
エドワードは小さく息を吐くと、玉座を降り、トウカの前まで来ると深々と頭を下げた。
「トウカ、すまなかった」
トウカは一瞬だけ驚いたように目を見開き、そして険しい顔をした。
「…王が簡単に頭を下げるべきではありません」
「これはアレの兄としての謝罪だ」
「…何に対する謝罪かは存じませんが、それは受け取れません」
キッパリとそう言い放つ彼女に、エドワードは気まずそうに笑いながら顔を上げる。
「…そうだな。悪かった。これは俺の自己満足だ。気にするな」
「では聞かなかったことにします」
「ああ。そうしてくれ」
謝られたからと言って、許せるものではない。ましてや当事者でもない男からの謝罪など、受け取っても仕方がない。
エドワードはまたすぐ王の顔をして、玉座に戻った。
そして、背を向けたまま、強くそう宣言する。
「前も言ったが、私はお前を帝国へ渡すつもりはない」
「私ももう戻るつもりはありません」
皇帝が何故自分を探しているのか、その理由はわからないが戻ったところで、処刑か利用されるかのどちらかだ。
ギルバートと生きると決めたトウカに戻る理由はない。
「ならばわかるな?お前は今回『守られる立場』だ。くれぐれも無茶はするな。護衛がいても決して気を抜くな。常に誰かと行動を共にしろ」
「はい」
「帝国もそうだが、ハルトとその周辺には特に注意しろ。あちらの派閥のリストは頭に入っているな?」
「もちろんです」
「対策についてはこちらで考える。わかったら下がれ」
「御意」
トウカは深く頭を下げ、謁見の間を後にした。
***
謁見の間を出たトウカは、前室にあるソファで正座しながらウトウトしているギルバートを叩き起こした。
「おはようございます」
「…おはよう。いや、寝ていないけどな、別に」
「何も言っていませんよ」
「…そうだな」
この部屋の前でこんなふうに居眠りできる人間などこの男くらいだろう。トウカは呆れたようにため息をついた。
「後で陛下にした話と同じ話をしますから、今度はちゃんと聞いてくださいね」
大きなあくびをしながら前室を出ようとするギルバートに念押しする。
次ふざけたら今度こそ物理的に罰を加えてやるつもりだ。
しかし当のギルバートは、
「知っておかなければならないことだけ簡潔に教えてくれ」
と面倒くさそうに返した。
「気を遣わないでください」
「気を遣ってるわけじゃない。俺は頭が弱いから多くを覚えられないのでな」
含みのある笑みでそう言う彼に、トウカは冷たい視線を送る。
「…そういえばそうですね」
「そこはもう少し『そんな事ないよ』とか言うところだろ」
「自分の能力を把握していることを褒めたんですよ。褒め言葉です」
「お前の褒め言葉はわかりにくいな」
「わかりやすく褒めるとすぐに調子乗るでしょう」
「ははっ。間違いない」
ギルバートはケラケラと笑う。
全部を話す必要はない。知られたくないことは伏せていい。暗にそう言う彼にトウカの胸は少し熱くなった。




