82: トグサ・アシュタールの娘(1)
カーテン越しに差し込む柔らかな光が朝の訪れを告げる。
ギルバートはゆっくりと目を開けた。
そして、自分の腕の中にいる愛しい人をその透き通るような碧の瞳に映す。
(…幸せすぎる)
目を細め、自分の腕の中で寝息を立てるトウカの白い髪に触れると、その手に絡ませる。そしてそのまま色白な頬に手を滑らせた。トウカはくすぐったそうに身を捩る。
その仕草があまりにも可愛らしく、ギルバートは腕の中のトウカをギュッと抱きしめた。
「あー、無理。可愛い…」
「んー?」
幸せを噛み締めるようにギルバートはボソッとつぶやいた。
その声に起こされたトウカは目を擦り、ぼーっとしたまま顔を少し上に向ける。
「あ、おはよ」
「んー」
「まだ眠い?もう少し寝るか?」
「…うーん。おきる」
まだ半分夢の中にいるトウカはギルバートの首元に顔を擦り寄せ、そしてその首筋に、頬に、耳にキスした。
まだ寝ぼけているせいだろうが、いつものような凛々しさはなく、甘えるようにすり寄ってくる彼女にギルバートの体は一気に熱くなる。
「…夢?これは夢か?え、寝てるのはむしろ俺の方なのか?」
あまりに普段と違う甘い時間に、ギルバートは混乱していた。
昨夜から彼は幸せすぎた。
想いが通じ合ったのもそうだが、あの後トウカは大人しく婚約誓約書にサインして、そのままギルバートの部屋で夕食を取った。一度は風呂に入るとか言って自分の部屋に戻ったものの、可愛いワンピースタイプの寝巻き姿で再びギルバートの部屋を訪れ、大人しく彼に抱きしめられて寝たのだ。
そう、あのトウカが文句ひとつ言わずに。顔を赤らめ恥ずかしそうにしつつも、文句ひとつ言わずに…。
一切抵抗しない彼女の姿に、ギルバートは『こいつ実はものすごく俺のこと好きなんじゃないだろうか』と有頂天である。
「なあ、寝ぼけてんの?あんま可愛い事されるとほんと、我慢できないんだけど。俺そんな鋼の理性持ってないからさ…」
ギルバートはとりあえず一旦少し離れた方が良いと言ってみたが、忠告も虚しく、寝ぼけているトウカは彼の胸に顔をピタっとくっつけるとクスクスと笑い出す。
「おと、すごい」
「誰のせいだと思ってんだよ。襲うぞコラ」
ギルバートは何とも言えない顔でトウカの頬を引っ張るも彼女はとろんとした瞳でじっと見つめ、あどけない少女のように、にっこりと微笑んだ。
その笑顔にギルバートの心臓はどくんの跳ねる。
「ごめん、無理だ。約束破る…」
ギルバートはトウカの顎に手を当てるとそのまま上を向かせ、自身の唇を近づけた。
が、しかし…。
「おっはよーございまーす!」
ギリギリのところで、勢いよく扉が開けられた。
「…ノックをしろよ、ほんと。どいつもこいつも。そろそろ怒るぞ」
この城の人間は本当に、王太子に対する態度がなっていない。
本日の当番である侍女ユイとほか二名は、主君のベッドで彼に抱きしめられるようにして眠るかつての上司の姿を目の当たりにして、一瞬固まってしまった。
「…あー、早かったですかね?すみません」
「早い遅いの問題ではないが、強いて言うなら早い」
「…顔怖いです。殿下」
幸せな時間を邪魔された主君の顔は般若のようだった。
***
その日の昼過ぎ、トウカはギルバートと共に謁見の間に来ていた。
相変わらず仰々しいほどに豪奢な玉座に腰掛けるエドワードとその横に立つジュリアスを前に、トウカは小さく息を吐く。
「トウカ。私が言うのも何だが、考え直した方が良いのではないか?」
エドワードは玉座から、自身の婚約者兼補佐官を後ろから抱きしめ、彼女の髪をいじりながらうっとりとしている息子を半目で見下していた。
「私も早まったかなとは思っています」
朝、目が覚めてからずっとこの調子で離れてくれないギルバートに、トウカは既に婚約を後悔し始めていた。
『しつこい』『離れろ』と言うと、朝は自分からひっついてきたくせにと言い返してくる。しかし当然、寝ぼけてたトウカに朝の記憶はなく…。
夢と現実がごちゃ混ぜになっているのだろうと、トウカは朝からずっと可哀想なものを見る目を彼に向けていた。
「まあ、とりあえず声が出るようになって良かった」
「その件に関してはご心配をおかけしました」
「それで、今日は何の用だ?」
「はい。ハルト殿下の事について、ご報告しておかねばならない事がございましたので」
その名に、エドワードもジュリアスもピクッと眉を顰める。
「…もう、話せるのか?」
「問題ありません。長らくお待たせいたしました」
「わかった。では聞こう」
「はい。ですがその前に陛下。コレを退室させても構いませんか」
「構わん。というかむしろ放り出してくれ」
「ありがとうございます」
トウカはエドワードに軽く頭を下げると、自分にまとわりつくギルバートの胸ぐらを掴み、扉口の方へと連行する。
「ちょ!何で!?俺も聞いとくべきことだろ!」
「聞いとくべき事だと思ったから連れてきたのに、終始浮かれ気分でいられては困るんですよ!いい加減にしろよホントに!」
謁見の間の外に放り出されたギルバートはトウカの腕にしがみつく。
しかし今の彼に大事な話をしたところで、どうせまともに理解できないのは長年の付き合いでわかっていること。
トウカは深くため息をつくと、喚くギルバートの口を噛み付くように自身の口で塞ぎ、黙らせた。
「…は?」
「しばらくそこで大人しくしていなさい」
突然のことに驚いたギルバートは、ただ呆然としたまま扉が閉まるのを見届けた。
「お待たせいたしました。アレには後で私から説明しておきますので」
トウカはシレッとした顔でエドワードの方へと戻る。
すると、ジュリアスもエドワードも腹を抱えて笑い転げていた。
「開き直ったね、トウカ」
「黙れ、ジュリアス」
「口悪いぞ、義妹よ」
「最早うちの愚息とトウカは、婚約者同士と言うよりも『ご主人様と犬』だな」
「間違いではないかと」
「多分お前と私とでは認識が逆だ」
「ちょっと意味わかんないです」
明らかに不機嫌そうなトウカをよそに、ジュリアスとエドワードは満足いくまで笑った。その後、コホンと咳払いすると本題に移るよう彼女に促した。
「まず結論から申し上げるならば、おそらくアシュタール帝国とハルト殿下は協力関係にはありません」
「…それは本当か?」
「確証はまだありませんが、少なくとも『トウカ・アシュタールに関すること』ではむしろ敵対している可能性があります」
「俄には信じがたい話だが…」
アシュタール帝国はかのクーデター以降、恩のあるハルトとは深い付き合いをしている。
お互いの国を視察したり、会談の場を設けたりして二カ国間を繋いでいるのは他でもない彼だ。
つまりアシュタール帝国とエフェニア王国の間に、ハルトはなくてはならない存在。そんな彼を帝国が敵視するとは信じ難い。
トウカは自身の左肩に触れると、服をギュッと掴んだ。
「ハルト殿下は私の肩にある帝国皇族の刺青を潰しました。これは、私がトグサ前皇帝の娘であることを証明するための大事な紋章です。それを潰すということは、私をトグサ皇帝の娘と知られたくないということ…」
つまりハルトは、帝国にトウカを引き渡す気がないということだ。
「確かに言われてみればそうだが…。だとすると、益々意味がわからんな」
エドワードは難しい顔をして頭をかいた。
元々、クーデターの支援と引き換えにトウカを渡したのは帝国だ。しかし、何故かそれを今更返せと言ってきている。
そして、ハルトは帝国に彼女を返す気がないのに、帝国から使節団を招いた。
どちらの意図も読めない。
トウカは頭を抱えるエドワードに『憶測ですが』と前置きをした上で、自身の考えを話し始める。
「帝国については、おそらく単純に私を引き取るためにこの国を訪れるつもりではないかと」
「それはハルトを裏切ったということか?」
「いえ、どちらかというと先に裏切ったのはハルト殿下の方ではないでしょうか」
「どういうことだ?」
「現皇帝がハルト殿下に求めたのは物資の支援と私の保護だったのではないでしょうか。私はその存在が隠されていましたから、皇帝は事が落ち着いたら私を引き取りに来るつもりだったのだと思います。けれどハルト殿下は皇帝を裏切り私を死んだことにし、自らの手元に残した。私はそう考えます」
だから数年、帝国からは音沙汰がなかった。
しかし、トウカの事がどこかから皇帝の耳に入り、皇帝はトウカが生きている可能性を見出した。
それ故に、皇帝はハルトではなくエドワードに書簡を送ったのだろう。
「なるほどなぁ…」
「ハルト殿下については正直よくわかりません。ただ、彼は『帝国の使者は招かざるを得なかった』と言っていました」
「…確かに無い話ではないが」
エドワードは隣に立つジュリアスと顔を見合わせた。
おそらくハルトの言葉はそれだけではないだろう。何の企みもなく帝国使節団を招くとは思えない。だが、トウカの言う通りならば帝国使節団と手を組んでいる可能性も低い。
「そもそも何故ハルト殿下は君を手に入れようとしているんだ?」
ジュリアスは首を傾げた。
ハルトの行動は、彼がトウカを手に入れたがっているということを示している。しかし、いくらスメラギ一族の生き残りかもしれないとしてもそこまでの価値があるのか、ジュリアスには甚だ疑問であった。
確かに史実を見ればスメラギ一族の能力は偉大であることは理解できる。だが、おそらくその能力は万能ではない。
それはトウカを見れば明らかだ。彼女に予知能力があるのなら、未然に防いでいるはずのギルバート暗殺未遂も防げていない。
つまり予知は正確ではないということ。そもそも、だからこそあの一族も弾圧を受けたのだ。
不確かな能力に頼るほどに王弟ハルトは落ちぶれてしまったのだろうか。ジュリアスは険しい顔をした。
すると、トウカは重々しく口を開く。
「ハルト殿下はまだ玉座を狙っておいでです。そして、私はそのために必要な道具なのです」
「な!?どういうことだ!」
ジュリアスは『クーデターを企んでいる』という発言に声を荒げた。だが、エドワードはそれを静止した。
「どういうことだ?」
「夜会でのあの日、彼は『椅子取りゲームをしよう』と私に誘いをかけてきました。おそらくは、私にその作戦を練らせたいのでしょう。私は過去、現皇帝ゼン・マクライドと共に帝国のクーデターの作戦を立てたことがありますから」
エドワードは驚いたように目を見開いた。
「…なるほど、やはりハルトが言っていたことは本当なのだな」
「はい」
「それはつまり、過去を話す気になったという事か?」
「はい」
「ジュリアスはここにいて構わないか?」
「大丈夫です」
淡々と答えるトウカの目は覚悟を決めた目だった。
エドワードは薄く笑みを浮かべ、彼女に命じる。
「ではお前が知る事を全て話しさない。トウカ・アシュタール」
トウカは『御意』とだけ答え、ゆっくりと口を開いた。
…5億円欲しい_(:3 」∠)_




