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80:怒れるフィオナ

 

 ギルバートは学園から帰ってきて早々に、『体調がすぐれないから』と嘘をつき、侍女たちを下がらせて部屋に籠った。

 ユイやランドール夫人は不思議そうな顔をしていたが、今日は片付けるべき公務もない。制服のままベッドに潜り込むと、ギルバートは膝を抱えて布団に包まった。


「トウカ…」


 3日前、トウカから告げられた言葉は衝撃的なものだった。

 トウカと叔父の間に何かあるのは勘づいていたが、まさかそんな事とは思わなかった。


 それは言わなければ、知りようのない事。

 彼女の口ぶりから察するに、おそらくエドワードもジュリアスも知らぬ事だろう。


 ギルバートは小さく舌打ちした。


「本当に胸糞悪い話だ」


 トウカがこの国に来たのは確か12の時。

 そしてその歳には城に上がっている。

 先日夜会で再会するまで、彼女とハルトとの接点はその時期しかないはず。

 つまり、そういうことだ。


(…幼気な少女は大人の男に汚された)


 そしてその男とは自分の叔父。

 ギルバートは自嘲めいた笑みを見せた。


「俺はどの面さげて『好きだ』なんて…」


 女にとって好きでもない男に無理矢理その身を汚されたという事実は、とてつもなく耐え難い屈辱だ。

 あの時、頑なに『友だちの話』にしたがっていたのは、トウカがまだソレを自分の事として語れないほどに引きずっているという証拠。

 それほどまで彼女を苦しめている男の血縁に、それもよく顔の似た男に、ずっと好意を向けられていたなんて死ぬほど気持ちが悪かったのではないだろうか。

 ギルバートの思考はどんどん悪い方に傾いていく。


 ギルバートとハルトは別の人間だ。

 いくらハルトが外道であろうとも、彼の過去の行動の責任などギルバートにはない。それはトウカとて理解しているだろう。

 彼女の忠義は本物だし、彼女から人間として好意を向けられている事に疑う余地はない。

 問題はギルバートが何も知らずにそれ以上の関係を彼女に求め続けていた事だ。


 ギルバートは過去の自分の行動を思い出す。

 何度もトウカを抱きしめ、押し倒し、口付けた。

 明確に拒否されたこともなければ、嫌悪感を露わにされたこともなかったと、彼自身は思っている。だが、本当にそうだっただろうか。

 トウカにとってギルバートは自分を傷つけた男の甥だ。体が硬まって拒否できなかっただけではないだろうか。


「あー死にたいかも」


 一回死んで全部やり直したい。ギルバートはそんな事を思いながら、目を閉じた。



 そして数時間後、バンッと扉を勢いよく開ける音に驚き、ギルバートは飛び起きた。


「失礼します!!」


 入ってきたのは、いつも朝同じように扉を開ける愛しい人ではく、最近彼女と思考が良く似てきたフィオナだった。


「な、なんだ?」

「わかりませんか?私がここにきた理由」

「え、わからない」

「そうですか。わかりませんか。そうですか」


 わからないが怒っていることはわかる。

 ギルバートは思わず身構えた。

 フィオナは放つ威圧感まで、毎日朝の弱いギルバートを起こしにくる彼女にそっくりだった。


「私はギルバート殿下に命を救っていただいた御恩を忘れてはいません」

「お、おう」

「けれど、トウカさんの友人としてここは一発殴らせてください」

「え、やだ」


 ギルバートの言葉など無視して、フィオナはベッドの上で呆然とする彼の胸ぐらを掴む。

 ギルバートは殴られると思い、咄嗟にギュッと目を閉じたが、何故かその顔面には紙切れが押しつけられた。


「何?これ」

「いいから読んで」

「…はあ」


 よくわからないが、ギルバートはその手紙に目を通した。

 手紙に書かれていた文字は、見覚えのある整った文字だった。


「これ…」

「トウカさんから私宛に届いたものです」


 正確には謎に国王経由で届いた手紙だが、それを言うと面倒なので伏せた。


「ねえ、ギル。貴方の好きな人はびっくりするほどに貴方のことしか考えてない」


 悔しそうに唇を噛むフィオナ。

 手紙には昔ハルトに犯された事。それをギルバートに話した事。そして、そのせいで彼がきっと悩んでいるから助けてあげてほしいという事が書かれていた。


 フィオナはギルバートの手から手紙を取り上げると、その内容の一部を読み上げた。


「『ギルバート殿下に無理して受け入れようとしなくて良いと伝えてください。あの人は多分、私のことを穢らわしいと思っていても、突き離せません。だから、フィオナから伝えてほしいのです。こんな事を頼ってしまってごめんなさい。どうかよろしくお願いします』ですって」


 そう言うフィオナの目は明らかにギルバートを責めていた。

 トウカは過去、フィオナが学園の生徒を負の感情から救ってあげていた事実を思い出し、彼女ならギルバートに寄り添ってくれると思ったのだろう。



 だが、フィオナはギルバートに寄り添う気などなかった。



「別に穢らわしいなんて、そんなこと思っていない!」

「思っていないのなら、なぜ彼女を避けるのですか」

「避けていない」

「避けてるでしょ。あれだけベタベタ無駄にまとわりついていた人が急に自分に触れなくなったら、避けてると捉えられてもおかしくないです」

「…それは…トウカは俺に触れられたくないんじゃないかと思って」


 自分は彼女を穢した男の血縁だから、とギルバートは力なく呟いた。


「それ本人に言いました?」

「…言ってない」

「言ってないのにギルの考えが伝わるわけないでしょ?」

「…それは」

「だいたい、何で触れられたくないなんてわかるんです?」

「普通はそうだろ…」

「普通って何ですか?」

「…わからない」

「ギルの複雑な心境はわかりますよ。自分の叔父が好きな人に乱暴したなんてそう簡単に受け止められることじゃないです。でも、ろくに話もしていない状態で避けられた彼女の気持ち、予測できませんか?」


 ギルバートはフィオナの視線が痛くて、堪らず目を逸らせる。

 フィオナはふうと小さく息を吐くと、一通の封筒を取り出した。そして、それをギルバートに見せる。


「どうします?ギル。私は国王陛下から、とある島国の入国許可証を預かっているのです。『その手紙を読んで、もう彼女を解放してやってほしいと思うのならその許可証を渡して欲しい』と言われました。私はこれをトウカさんに渡しても良いと思っています」

「な!?」

「トウカさんは本当は私にも知られたくなかったはずです。でも、ギルが悩んでるかもしれないから、私にも打ち明けてくれたんです。そして、ギルに寄り添ってあげてと!自分ではなく貴方に寄り添ってあげてと言うんです!」


 フィオナは怒りをそのまま正直にギルバートへとぶつけた。

 彼女は傷ついてばかりだ。物理的にも精神的にも。

 それでも『自分を助けてほしい』とは絶対に言わない。まるで自分にその資格がないかのように頑なに。

 周囲の人間にはそれが酷くもどかしい。


「ギルがそんな態度なら、私は今すぐにでもコレをトウカさんに渡すべきだと思ってます。ここにいたって誰も彼女を守ってはくれませんからね!」

「…俺が守る」

「はあ!?口だけなら何とでも言えるんですよ!あの人はそんなに強くない!それくらいわかってるでしょ!?」

「わかってる!」


 トウカは賢くて強い。いついかなる時も常に冷静で気丈に振る舞う隙のない女だ。だが彼女は知れば知るほど、本当は優しくて、そして弱く繊細な女の子なのだということを知る。

 彼女は周りを守ろうとするが、本来守られるべきは彼女の方だ。


 フィオナはすうっと深く息を吸った。


「わかってるなら、ちゃんと話をしてきてください!トウカさんの心を守れるのはギルしかいないことくらいわかるでしょうが!いい加減にしてよ、このヘタレが!」


 勢いよく吐き出したフィオナは、トウカの部屋の方を指差した。


「無理に受け入れろとは言いません。無理なら無理で良いです。そこは個人の価値観の問題ですから。でも話をしてください。言わなきゃ何も伝わらないんです!」


 鋭い目つきでそう言うフィオナに覚悟を決めたような顔をしてギルバートは、ベッドから降りた。

 そして、怒りで興奮したフィオナの頭をわしゃわしゃっと乱暴に撫でると、小さく「行ってくる」と呟いた。


 部屋を出ると、ギルバートはトウカの部屋の扉をノックするが返事がない。

 首を傾げつつ扉を開けると、部屋には誰もいなかった。


「あれ?お部屋に帰られたはずなんですけど…」


 今日は無理やり残業を代わったはずだとフィオナは言う。

 ギルバートは顎に手を当ててしばらく考え込んだ後、ふと何かを思い出したかのように王宮の回廊へと出た。


「どちらへ行かれるのですか?」

「思い当たる場所があるんだ」

「そうですか。では私はここで」


 これより先に付き添うのは無粋だと、フィオナは頭を下げた。

 ギルバートはフッと笑うと、「そう言えば」と呟く。


「別に俺のこと『ギル』って呼んで良いんだぞ?友人なんだから」

「…へ?」


 フィオナは無意識にそう呼んでいたことに気づき、みるみる顔が赤くなる。

 無意識にギルバートを愛称で呼んでいたのは、彼女が友としてここに来た証拠だろう。


「よ、呼びません!」

「そう?結構無理して『殿下』って呼んでるかと思ってたんだけど」

「そんなことないです!もう早く行ってください!」

「はいはい。ありがとな」

「…泣かせたら私はクリスの側につきますからね」

「肝に銘じておくよ」


 ギルバートはフィオナに背を向けて回廊を駆けて行った。


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