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66:嵐の予感

 後宮の奥の奥。

 誰も近づかないような薄暗い森を抜けた先。

 そこには昔、神を祀っていたとされる小さな社がある。

 後宮の廃止に伴い、建物の解体が進む中でここだけは現皇帝の意向で残されることとなった。


 かのクーデターで革命軍を率いて英雄となったアシュタール帝国の現皇帝ゼン・マクライドは、自身の補佐役アオイを連れてその社を訪れていた。


「こんな所に社があったんですね」

「ああ、前皇帝に連れられて昔何度か訪れたことがあるんだ」

「将軍はあの皇帝と交流があったんですよね?」

「昔、軍部に移動する前は彼の近衛騎士を務めていたんだよ。…ところでアオ。もう俺は将軍じゃないよ?」

「すみません、癖が抜けなくて」

「5年も経つんだからいい加減慣れて欲しいな」

「はい、気をつけます」


 アオは元軍人らしい敬礼をしてみせた。

 ゼンは優しく微笑み、そんな彼の頭をポンポンと叩くと、後ろに束ねた癖のある長い黒髪を風に靡かせながら社へと足を踏み入れた。


 中は長らく放置されていたため埃っぽい。


「かつて妃が住んでいたとは思えないくらい何もありませんね」


 アオイはあたりを見渡したが、そこにあるのは壁一面に敷き詰められた本棚と、その棚を隙間なく埋める膨大な量の書物。


「社というよりも、まるで図書館だ…」

「ここに住んでいたのは君も知っている通り、前皇帝が匿っていたスメラギの生き残りの少女だ」


 ゼンは1冊の本を手に取り、懐かしむようにそれを開いた。

 それは誰かの日記だった。


 ゼン曰く、まるで人々から隠す様に建てられたその社には、昔、祀られるように白髪の少女が住んでいたという。

 前皇帝トグサは母親の神官弾圧に反発しており、生き残ったスメラギの少女をここに匿ったそうだ。

 その時、トグサはすでに後宮を父から受け継いでおり、後宮に興味のない皇太后の目もここなら届かないと考えた彼はこの社で保護した少女を手厚く扱った。 

 信頼できる医官夫婦に彼女を託し、自身も時折、公務の合間にこの宮を訪れたらしい。


 隠れて逢瀬を重ねた2人は次第に惹かれあっていき、やがて子を産んだ。

 生まれたのは母親譲りの白い髪の女の子だった。


「それが隠された前皇帝の末姫ですか」

「そういうこと。そのスメラギの生き残りの妃は、元々体が弱くてね。娘を産んで2年ほどで亡くなったそうだ。それが確か14年くらい前の話」

「そうだったんですか…。でも、なんで今更その姫を探しているんです?陛下は前から彼女の存在を認識していたんでしょ?」

「末姫はクーデターが起きるまで、ずっとここに軟禁されていたんだ。つまり彼女は世間知らずの特に何の力もない末姫。誰もその存在を知らないし、放置しても何処かでのたれ死ぬだけだろうから問題ないと思っていたんだよ」


 ゼンは平然と嘘を並べ、物悲しげに手に持っていた日記を棚に仕舞うと、アオイにハタキを手渡した。


「とりあえず掃除しながら話そうか」

「皇帝陛下自らが掃除しなくても…」

「俺が管理するからという約束で残したからね。掃除も自分でしないと」

「…はあ」


 にこっと笑うゼン。特に美形というわけではないのに、彼の人懐っこいその笑みは何故か人々を魅了する。

 年齢を感じさせる目尻の皺も戦闘で負った頬の傷すらもどこか愛嬌があり、皆が彼のためなら何かしてあげたくなるのだから、天性の魔性と臣下達が表現するのもあながち間違いではないのだろう。



「アシュタール帝国は何も昔から腐敗していたわけじゃない。それはわかるね?」

「はい。それはわかります。」


 アシュタール帝国は先先代皇帝、つまりトグサの父の時代はとても豊かだった。彼は民のための政治を行う皇帝であり、それこそ今のエフェニア王国の君主エドワードのように明君と呼ばれるだけの統治を見せた。


 そして先先代皇帝が突(・)然(・)崩御した後、当時9歳だった息子トグサが玉座についた。

 しかしながら、9歳の皇帝が政治などできるわけもなく、彼の代わりにその母である皇太后カグラが代わりに帝国を治めた。

 彼女は女ながらに高いカリスマ性を持ち、帝国を襲うさまざま危機もなんなく乗り越えた。

 例えばアシュタール帝国の国土は広いが北方の土地は作物が育ちにくく貧しい場所だが、そんな場所でも育つ作物を輸入したり、大雨で川の氾濫しやすい川には堤防の設置を指示して未然に水害を防いだり、隣国の奇襲も未然に防いだこともあった。

 夫の先先代皇帝とは違い、苛烈な性格で権力と暴力で人を従えるような暴君ではあったが、それでも彼女が国を治めていた頃の帝国も比較的安定していた。


「アシュタール帝国が揺らぎ始めたのは、神官だったスメラギ一族の弾圧後だ」

「神官の力を失ったことが影響したんでしょうか」

「正解」


 神官であったスメラギ一族の『先読みの力』を失ったカグラは、いつもなら未然に防げていたはずの問題に手こずる様になり、国は緩やかに乱れはじめた。

 その事を、皆が口々に『スメラギ一族を弾圧したせいだ』と囁き、その頃から徐々に皇族の権威は落ち始める。


「そして弾圧から4年後、カグラは不(・)慮(・)の(・)事(・)故(・)で儚くなった」

「その後すぐに息子トグサが実権を握るようになったと」

「そ、俺の昔のご主人様だ」


 トグサ皇帝は即位後、母親譲りのその才能を発揮していたかに思われた。彼は数々と画期的な政策を打ち出し、国を盛り返そうとした。

 だが、それは幻だった。

 数年であっという間に傀儡の王に逆戻りとなり、私利私欲のために民に重い税を課す貴族が増え、賄賂が横行し国は腐敗して行く。


「ここでアオくんに問題です。この国の浮き沈みにある人物が関係しています。わかりますか?」

「…ある人物?」

「時系列にして考えてみると良いよ」


 アオはポケットからメモ帳とペンを取り出し、一連の流れを時系列にまとめる。


 30年前 トグサ即位。皇太后カグラが台頭。

 20年前 スメラギ一族の弾圧。国は乱れ始める。

 16年前 皇太后カグラの死去。皇帝トグサが実権を取り戻し、国は再び持ち直したように見えた。

 14年前 スメラギ一族の妃が死去。国は再び衰退の一途を辿る。

 5年前 クーデターにより、アシュタール王朝が幕を下ろす。


 アオイはハッとして、ゼンを見る。


「前皇帝トグサは、スメラギ一族の妃を頼りにしていたんでしょうか」

「そういう事。それに過去の書物を見ても、我が国の歴史はスメラギ一族が国政に関っていたと予測される時期は比較的安定している」


 アシュタール帝国の歴史はスメラギ一族の存在を無視して語れない。

 長い歴史の中で帝国は、スメラギ一族の力を借りて国を統治しては、力を持ちすぎた彼らを追放し、国が乱れ始めたらまた彼らを頼る。そんな歴史を繰り返していた。


「彼らの予知能力は正しく使えば国に繁栄をもたらすものだ。間違えなければあれほど便利なものはないよ」

「だから、末姫も同じ血筋なら利用価値があると思って探し始めたんですね!」

「んー、まあそんなところかな」


 ゼンはアオイの頭撫で回した。




 ***

 

 社を掃除しながら、ゼンはかつての主人をかつての兄弟の姿を思い出していた。



 トグサ・アシュタールは凡庸な男だった。

 心優しい青年ではあったが、それだけだ。

 母のようなカリスマ性も、父のような治世者としての才能もない。

 そんな彼には味方がいなかった。


 母親の治世の頃から賄賂が横行し腐敗しきっていた中央政府で若くして帝位につき、ずっと傀儡の王だった彼の意見をまともに聞く人間は殆どいない。

 だから、神官の血を引く妃の能力に頼りきりだったのだろう。


 そして彼女の死後、どうすればよいかわからなくなったトグサは頼る相手を間違えてしまい、そこからどんどん腐敗が進む。

 気がついた時には全身に絡められた糸で、悪徳貴族たちの操り人形となっていて、もう手遅れだった。


「俺に頼ってくれれば良かったのに…」


 ゼンは悲しそうに、ボソッと呟いた。


 ゼンは元々、トグサの乳兄弟として育った。

 そんな彼は、やがて皇帝の近衛騎士となり、気の弱いトグサの代わりに、お飾りの皇帝に取り入ろうとする貴族たちを牽制してきた。ゼンは皇帝の盾であり剣だった。


 ゼンはその昔、トグサと『いつか腐敗した中央政府を立て直そう』と誓いを立てていた。

 しかし、皇太后の死後、ゼンは貴族どもの謀略によりその任を解かれて軍部に左遷されてしまう。トグサを傀儡の王としたい貴族にとって、真面目なゼンは邪魔だったのだろう。

 以降、ゼンはトグサと接する機会がなかった。


「陛下?どうかしました?」


 アオイに声をかけられ、ゼンはハッとする。

 そしてすぐに笑顔を貼り付け「なんでもない」と誤魔化した。


「さ、綺麗に磨き上げよう。もうすぐここに家主が帰ってくるのだから」


 ゼンは笑顔で箒を彼に手渡した。



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