幕間:あの部屋の行方(2)
王太子の私室の前まで連行されてきたトウカは、先程自分を裏切った衛兵を盾にして部屋に入ろうとしない。
ギルバートは小さくため息をついた。
「そこまで嫌がられると流石に傷つくんだが」
「勝手に傷ついていればいいんです」
「往生際が悪いぞ」
「私にも譲れない矜持というものがございます」
「はいはい。とりあえず彼を離してやれ。衛兵には衛兵の仕事がある」
ギルバートの正論に、渋々盾にしていた衛兵を掴んでいた手を離した。
ギルバートは衛兵に「今夜見たことは他言無用だ」と口止めすると、口止め料を渡して持ち場に返した。
「ユイもご苦労。もう休んでいいぞ」
「はーい。失礼いたします」
無事ミッションを達成し、金貨二枚を手に入れたユイは爽やかな笑顔で部屋を後にした。
自分の背には2人の衛兵、正面にはギルバート。
(逃げ場がない)
トウカは自分の背にある部屋を使う以外に選択肢が残されていないことを悟った。
「そっちの部屋が嫌なら、俺の部屋で寝るか?」
「…卑怯者。私のベッドを返せ」
「お前の背後の部屋には簡易ベッドよりよく眠れる寝具が置いてあるぞ?」
ニヤニヤと意地の悪い笑みを浮かべて近づいてくるギルバートから逃げるように、トウカは背後の部屋の鍵を開けた。
使うつもりのなかった鍵を手に部屋に足を踏み入れると、室内はトウカの好みに合わせて装飾されていた。
強制引っ越し後、一度だけ荷物を取りに来たときは煌びやかな家具や調度品が目立つ部屋だったのに、今は彼女の好みに合わせて、白や黒を基調とした非常にシンプルな家具で揃えられていた。
無駄な調度品は一切なく、仕事が持ち込めるように部屋の一角には執務室のような空間まで作られている。
そして、ベッド脇の花瓶には紫色の大きな花弁が特徴的な帝国の花が生けられていた。
「どうだ?お前好みだろう?」
「…まあ、好みは好みですが」
背後でギルバートが偉そうに胸を張っているのがわかる。
だが正直なところ、ここまで自分の好みを把握されていると逆に怖い。
「お前がここへ出入りしている事を知る人間にはちゃんと口止めしてる」
「口止めしててもどこから漏れるかわかりません」
「心配なら早くサインしろ」
ギルバートは背後から覆い被さるようにしてトウカを抱きしめると、彼女の目の前に婚約誓約書をチラつかせる。
「嫌です」
「いつまで嫌と言えるかな?」
「どういうことですか」
「城務めの貴族からはほぼ同意が取れている」
「人に断りもなく外堀埋めていくのやめてもらえませんかね。最低」
「…半分以上は父上がやった」
「責任転嫁とか、より最低」
トウカは目の前の誓約書を手に取ると、それを一切の躊躇なく握りつぶした。
「そんな事してもまだ予備はあるぞ」
「なんで予備を用意してるんですか」
「破かれたり焼かれたりする可能性を考えてだ」
「予測して先回りした行動が取れている点だけは評価して差し上げましょう」
ギルバートはトウカを抱きしめる腕に力を入れた。
「痛いです」
「お前はもうこの国の貴族だ」
「…そうですね」
「お前の生まれは気にするほどのことじゃない」
「それを本気でそう思ってらっしゃるのなら、おめでたい事ですね」
トウカは吐き捨てるように言った。
トウカもギルバートの事は好ましいとは思っている。
だが彼は、愛だの恋だので妃を選んではいけない。王家の婚姻において、血統というものは重要だ。
そして彼女に流れる血は王家の血を汚す。
「…難しく考えすぎなんだよ。俺はお前が好き、お前も俺が好き。だから結婚する。それで良いだろう」
「王族の婚姻はそんな簡単なものじゃありませんし、そもそも私は貴方のことを好きと言った覚えはありません。どこから来るんですか、その自信」
顔が良いから皆自分のことを好きになると勘違いしているのだろうか。
ギルバートは思いの外、ナルシストなのかもしれないとトウカは思った。
「言葉では言われたことないけど、行動でなら何度も言われたことある」
「それ、多分勘違いですから」
「勘違いじゃない。あんなに俺のために尽くしてくれるのに好きじゃないとか認めない」
「私が貴方に尽くすのは忠義からです。恋情からではありません」
「それは言うなよおおお!悲しくなるだろうが!」
「そんなこと言われても…」
側仕えのトウカが主人に尽くすのは普通のことであるし、尽くしてくれるから「こいつは俺のことを好きなはず」というのは勘違いでしかない。
そんな事を言ってしまえば、ジュリアスだってギルバートの事を好きだということになってしまう。
「どうして私なんですか。私なんかのどこが良いんですか」
正直、ここまで執着されるほどに好かれるような事をした記憶がない。
「わからん」
ギルバートはトウカの髪に顔を埋めながら答えた。
理由なんてない。気づいたらどうしようもなく好きだった。
トウカは出会ったときから、何もできない王子だった自分をただ信じてそばにいてくれた。言葉は厳しいし、優しくないが、彼女は自分を諦めずにずっと寄り添ってくれた。
それだけでもギルバートが恋に落ちるには十分だったのに、彼女は『出来損ないの王子』と影で罵る貴族たちに噛み付いた。
よくよく考えれば、どうしようもないところまで落ちたのはあの瞬間だったのかもしれない。
どこが好きかと言われたらわからない。
小言ばかりで優しくないし、言うこと聞かないし、隠し事ばっかりだし、女のくせに体術も剣術も会得してるし、可愛げなんてあったものじゃない。
けれど、どうしてもそばにいて欲しい。
ギルバートのトウカに対する恋心は、出会ってから年々大きくなるばかりだ。
「どう言えば良いかわからないけど、好きなんだよ。ずっとそばにいて欲しい」
「そこは嘘でもなんか崇高な理由つけて口説くところでしょう。一目惚れとか」
「美人な方だとは思うが一目惚れするほどの容姿ではないだろう」
トウカは頭を思いっきり後ろに反らしてギルバートの顔面に頭突きをかました。
ギルバートは顔を押さえて蹲る。
「陛下にでも頼んで、もう少し女性の口説き方を学んできては如何です?クリスといい、殿下といい最近の男は女を口説くことすらまともに出来ないのですか?」
「…おい。なぜそこでクリスの名が出る」
ジトっとした目で自分を見てくるギルバートに、トウカは一瞬やってしまったという顔をしたが、すぐに笑顔を貼り付けた。
「そろそろお休みになられた方がよろしいのでは?」
「誤魔化すな。そういえば、この間クリスが言ってた約束ってなんだよ」
「余計なこと思い出さなくても良いんですよ」
「お前、クリスの事をどう思ってるんだ?」
「どうも思ってません。強いて言うなら『うざい、面倒くさい』です」
「…そうか。警戒しておこう」
「なんでだよ」
面倒見が良いトウカは、面倒くさいと言いつつも世話を焼いてしまうタイプだ。
警戒しておくに越した事はない。
ギルバートはトウカの手を掴むと自分の方へと引いた。
トウカは体勢を崩し、ギルバートの胸に倒れ込むとそのまま再び抱きすくめられる。
「危ないでしょうが」
「好き。好きだよ、トウカ」
「…知ってます」
「もっと知って。俺の気持ち、もっと知って」
ギルバートはトウカの髪を触りながら、耳元で囁く。
耳にかかる吐息がくすぐったくて、トウカは意図せず甘い声を漏らしてしまった。
「…耳弱いな」
「……うるさい」
「手出しそうになるからその声出すのやめて」
「………うるさい」
「それとも、もういっそのこと既成事実作る?ベッド行くか?」
「うるさいなあ、もう!離せよ!」
顔を真っ赤にしたトウカは、身を捩るがびくともしない。
ギルバートはトウカの顎に手をやると、強制的に顔を上げさせた。
「キスして良い?」
「だめ」
「ダメって顔してない」
「だめ。絶対だめ」
「ダメならもっとちゃんと拒否してくれないと困る」
そう言うと、ギルバートは優しく口付けた。
抱きしめる手は力強いのに、キスは優しく触れるだけ。
それが少し物足りなく感じたトウカは、唇が離れそうになった瞬間、自分からもう一度唇を寄せてしまった。
自分からキスしてきたくせに、一度目より少し強く口付けられただけで顔を真っ赤にしたギルバートは、口を押さえて狼狽える。
「な、ななななな!?」
狼狽えるギルバートを見てハッとしたトウカは、彼を無理矢理外へと追い出した。
「もう私寝ますから帰ってください!明日からは大人しくこの部屋使うから、今日はもう出て行って!」
そう言って勢いよく扉をしめると、すぐさま振り返り、一直線にベッドへとダイブした。
ベッドの上にはギルバートのシャツが置いてあった。
処刑の立ち会いが続いたせいでうまく眠れない事も、これがあれば眠れる事もわかられてるのが腹立たしいトウカは枕に顔を埋めて呟く。
「好きだよ、馬鹿」




