幕間:あの部屋の行方(1)
夕日が差し込む王太子の執務室で、フィオナは慣れない手つきでお茶を入れる。
それをランドール夫人とトウカは査定するように飲む。
「…少し渋いですね」
「そうね」
「うう、すみません」
フィオナは恥ずかしそうに俯いた。
「フィオナはお茶入れるの苦手なんですね。意外でした」
料理が得意な彼女は、お茶を入れるのも得意だと思っていたのだ。
フィオナは申し訳なさそうに頭をかく。
「お茶はリーナの方が得意だったので、いつも入れてもらってたんです」
「なるほど。まあ、お茶はメイドに頼めば良いのだけど、いざという時淹れれた方が何かと便利なので、一応継続的に訓練しておきましょう」
「了解です!」
「だから敬礼はしなくて良いのよ…。そういえば、リーナさんは今どうしていらっしゃるのですか?」
「うちで働いてもらっていますよ」
リーナはギルバートの計らいで、ランドール夫人の商会に勤め始めたらしい。
「彼女、働き者だからすごく助かるわ」
「それは良かったです!でも、頑張り屋さんなので無理しすぎちゃう時もあるんです…」
「わかった。しっかり見ておくようにと、主人に伝えておくわ」
「お願いします!」
ランドール夫人とも打ち解けたような様子のフィオナに、トウカは胸を撫で下ろした。
「おい。何でお前らは呑気に女子会してるんだよ」
3人が和やかにお茶を啜り、女子会をする中、1人山積みの書類を片付けていたギルバートはジトッとした目で3人を見る。
「今日の私たちの業務はもう終わりましたから」
「…手伝えよ」
「それは、殿下が陛下と取引して回された仕事でしょ?私に黙って勝手な事するからこうなるんです」
ふいっと顔を背けるトウカ。
王太子妃の部屋の鍵を手に入れるために勝手に増やした仕事など、トウカの知ったことではない。
「…お前はいつあの部屋を使うんだ?」
「一生使う事はありません」
「使えよ!俺がどれだけ苦労してあの部屋の鍵を手に入れたと思ってんだ!」
「知りませんよ。求められてもないものを与えて見返りを求めてこないでください」
「執務室の簡易ベッドでは体が休まらんだろ」
「案外快適ですよ?起きたらすぐに仕事できますし」
「その考えは流石にやばいと思うから、とりあえず部屋使え。命令だ」
「命令すれば何でも聞くと思うなよ」
「何だその口の聞き方は!不敬だぞ!」
「今更でしょう」
「今更だけども!」
言い争う2人に、フィオナはオロオロしていた。しかし、そんな2人を気にする様子もなくランドール夫人はティーセットを片付け始める。
「さ、私たちはそろそろお暇しましょうか」
「…放っておいて良いんですか?」
「夫婦喧嘩は犬も食わないって言うでしょ?」
ランドール夫人はそう言って肩をすくめる。
フィオナは、言い争う2人に視線を向けると「確かにそうですね」と優しく微笑んだ。
***
城内には、城勤めの平民が住む寮がある。
トウカはその日も、寮の大浴場を借り、執務室に戻るところだった。
王太子の側仕えとして与えられていた部屋にはシャワールームが併設されていたが、流石に執務室にはついていない。
強制引越しをされたあの日から執務室暮らしの彼女は、毎夜こうして寮の大浴場まで足を運んでいる次第なのだ。
「夜に未婚女性が濡れ髪のまま出歩くのはどうかと思いますよ?」
トウカが執務室に戻ると、部屋の前には守銭奴ユイがいた。
「いくら貰ったの?」
「このくらい」
ユイはニカっと笑い、指を二本立てる。
「銀貨2枚も出したの?」
「金です」
「ドン引きだわ」
金貨二枚など侍女に与える小遣いにしては度が過ぎている。
トウカは深くため息をついた。
「何を言われてもあの部屋は使わないわよ」
「しかし、私は金貨二枚ももらったからには連れていかねばなりません」
ユイが一緒に城の奥まで行こうと手を差し伸べるが、トウカはそれを振り払う。
「いーや」
「えー。どうしてもダメですか?」
「どうしてもダメ」
「そうですかー。では仕方がありません」
ユイはニヤリと口角を上げると、部屋の扉を開け、「お願いします」と中にいる誰かに向かって叫んだ。
すると、謎の屈強な男が2人、執務室の簡易ベッドを運び出してしまった。
あまりに予想外の展開に、トウカは唖然としたまま、唯一の寝床が誘拐される様を見送ってしまった。
「あ、ありえない…。そこまでする?普通そこまでする?」
「そこまでしないとトウカ様はあのお部屋使わないじゃないですか。あと、今後は執務室での寝泊まり禁止になるそうですよ」
「何それ」
「殿下が推奨している働き方改革のですよ」
「それは知ってるけど、執務室の寝泊まり禁止は知らない」
「誰かさん筆頭に、最近執務室や仮眠室で生活している官吏が増えてきたので規則に盛り込むつもりらしいですよ」
ギルバートは多忙を極める王宮勤めの官吏たちの健康を考え、1日8時間労働の週休2日など、労働に関する規則を作ろうとしている。
家族のいる官吏や城勤めの貴族にはありがたい規則なので、賛同者は多いらしい。
しかし、執務室での寝泊まり禁止の項目は聞いていない。
(聞いてないよ…)
トウカはまたしてもギルバートに出し抜かれた。
「さ、行きましょう」
ユイはガシッとトウカの両手を掴む。
トウカはその場にしゃがみ込み意地でも動こうとしない。
「いや!絶対いーやー!」
「駄々こねないでくださいよ。連れていけなければ1枚返さないといけないんですから!」
「金貨1枚ももらえれば十分でしょう!」
「どうせなら2枚とも欲しいです!」
「金のために上司を売るな、この守銭奴!」
「私の上司はもうランドール夫人です!」
確かに侍女頭を解任されたトウカはもうユイの上司ではないが、元上司を売るなど恩を仇で返すようなものだ。
あんなに小遣いあげたのに、とトウカは嘆いた。
日も暮れ、月明かりが差し込む薄暗い王宮の廊下で繰り広げられる攻防に、見回りの衛兵が駆けつけた。
「何事ですか?」
「あ、ちょうど良いところに!トウカさまをギルバート殿下の元にお連れしてください」
「え…しかし…」
どう見ても王太子補佐官は嫌がっている。
彼女がここまで主人の元に行きたがらないのも珍しい。
何かのっぴきならない事情があるのだろうと衛兵は察した。
「女性を無理矢理連行するのはいかがなものかと…」
いつも何かと苦労しているこの補佐官に、城勤めの平民はついつい味方したくなってしまう。
元平民としての仲間意識からか、もしくは王族に振り回されている彼女への同情心からかは定かではないが、どこか人を惹きつける魅力のあるトウカは城内に味方が多い。
「金貨はもう諦めることね、ユイ。この方は私の味方よ!」
悪役じみた顔で、ユイに観念するように説得するトウカだが、これが逆に仇となった。
「王太子殿下の御命令です」
「御意」
王太子の命令とあれば仕方がない。
何か事情があるのだろうと察しつつも、従わねばならない。それが身分差というものだ。
衛兵はトウカを姫抱きにして連行する。
「裏切り者!貴方の彼女に言いつけてやるわ!」
「はいはい。暴れないでください。危ないですから」
あまりに暴れて危ないので、途中から姫抱きから俵担ぎに変更された。




