67:隠された姫君
「え?陛下、トウカちゃんの素性を話しちゃったの?」
宰相は執務室に訪れたジュリアスにお茶を出しながら、目を丸くした。
ジュリアスは『そんなんですよ…』と乾いた笑みを浮かべる。
「本名を教えただけだとはおっしゃていましたが…」
「本名を教えたら、誰でもわかっちゃうでしょ。彼女がどこの誰なのか」
「流石にギルバート殿下でもわかりますよ…」
ジュリアスは宰相にもらった某付き飴の包装を剥きながら、小さくため息を溢す。
(…トウカ・アシュタールか)
その名から想像できることといえば一つしかない。
何故ならその名を名乗ることが許されているのは、弑逆されたアシュタール帝国の前皇帝、トグサ・アシュタールの血縁者しかいないのだから。
「公式の記録では、トグサ皇帝に娘はいなかったはずですよね?」
「そうだよ」
公式記録では弑逆された皇帝トグサ・アシュタールには2人の皇子しかいなかった。
しかし、宰相は彼女が皇帝の末子であることは間違いないという。
「彼女の左肩には刺青がある。薄くなっていて紋様はわかりづらいが、アシュタール皇族は6歳頃になると家紋をその体に刻むらしい」
アシュタール帝国の皇族には6歳から8歳頃、自らが皇族であることを示す証としてその身に家紋を刻む風習がある。トウカにその刺青がある以上、彼女が帝国の元皇族である可能性はほぼ100%だ。
「普段から湿布貼ってたのは肩こりじゃなかったんですね」
トウカが普段から左肩に湿布を貼っている事を知っていたジュリアスは、仕事のしすぎで肩こりがひどいのだと思っていたが、なるほどと腑に落ちた。
「トウカのことを最初に保護したのって、確かハルト殿下でしたよね」
「そうだよ」
「…詳しく教えてもらえませんか?今更ですけど、帝国の元皇族を預かっているのに詳細を知らないというのは流石にどうかと思うんです」
ジュリアスは本当に今更なんですが、と苦笑した。
実は彼、義妹が亡命してきた帝国の元姫君ということしか聞いていない。
今までは本人が話すまで待てとエドワードに言われていたために探らなかったが、流石に彼女がグレイルの娘として王太子の婚約者になるのならば詳細を知っておきたいと彼は言う。
「…彼女の素性は第一級の国家機密扱いのはずだけど、陛下の許可はとったの?」
「はい。許可をもらいました」
「でも、あの子は君に知られることを望んではいないかもしれないよ?」
「知られたくないというのは義妹のわがままです。巻き込んでる以上、話すべきだと思うんですけど」
「まあ、1番被害を被っているのはグレイル家だからね」
帝国の元姫と反逆者の娘を身内に引き込んでいるグレイル家は、最早厄介者の受け入れ先となっていた。
そんな面倒事ばかり押し付けられているジュリアスの憔悴具合を見て、宰相は流石にかわいそうになってくる
「わかった。話すよ」
宰相は少し苦しそうな笑みを浮かべてお茶を一口啜った。
「でもそれは私が話していいと思える範囲までだ。センシティブな部分については伏せる。それでもいい?」
「構いません」
「では、まず…。君はどこまで知っているの?」
「アシュタールの内乱から逃れてきた彼女をハルト殿下が保護したと言うことくらいしか知りません」
「そうか…では、5年前のアシュタールの内乱の際、ハルト殿下が勝手をしたことは知っているよね?」
「ええ、一応は」
アシュタールの内乱とは、5年前にエフェニア王国の北に位置する大国アシュタール帝国で起こったクーデターの事を指す。
民に圧政を敷く王侯貴族に反発し、一部の帝国軍人が革命軍を旗揚げして皇帝に牙を向いたのだ。
その際、当時北の守護を任されていた王弟ハルトは、中央に無断で革命軍へ武器等の物資を支援し、クーデターを後押しした。
結果的にこの支援があったおかげで革命軍は勝利し、エフェニア王国は当時革命軍を率いていたアシュタールの現皇帝へ恩を売ることができた。故に彼のこの決断を支持するものも多い。
しかし、それはあくまでも結果論だ。もし革命軍が敗北していたなら、過度な内政干渉と見なされ、帝国との開戦は免れなかった。そうなれば小国であるエフェニア王国に勝機はない。
ハルトはその軽率な行動の責を問われ、北の守護を外され、軍部に左遷されたというわけだ。
「そしてこの事実が明らかになったのは、5年前のちょうど内乱から半年近く経った頃。地下牢に囚われていたトウカちゃんを保護した時だ」
トウカを見つけた時、ハルトは帝国からの不法侵入者として捉えただけだと主張していたが、その割にはとても良い扱いを受けていたという。
場所こそ地下牢だったが、牢の中には高級家具が運び込まれ、帝国仕様の豪華なドレスを着せ、専属の使用人をつけてそれは丁重に扱っていた。
その扱い方は、彼女がハルトにとって特別な存在であることは明白だった。
「頑なにトウカちゃんについて何も話さないハルト殿下を不審に思った私は、彼女を一旦保護した。そして彼女から事情を聞いたんだ。すると、彼女は『自分は物資の支援の対価としてハルト殿下に売られたのだ』と話した」
「人質ってことですか?」
「その辺はわからない。ただ、トウカちゃんの話ではハルト殿下は彼女を妻として迎え入れるようとしていた」
「妻って…」
当時、彼女はまだ12歳だ。ふと、ジュリアスの頭に『ロリコン』という4文字が浮かぶ。
「別にロリコンとかじゃないと思うよ」
「あ、バレました?」
「当時、私も同じことを思ったからね。けれどハルト殿下は合理的な人だ。使えない者はそばには置かない。きっと彼女には特殊な何かがあるんだろう」
「…特殊って?」
「それはわからない。けれど、彼女の高い情報処理能力は特殊な能力といっても過言ではないだろう?」
ジュリアスは宰相の言葉に妙に納得した。
確かに、あの娘は人を動かす事に長けている。
特に今回の茶番劇ような多くの人間が関わる事案の場合、何処にどう圧力をかけ、誰を何処に配置すれば目的を最短で達成できるのか。それを考えるのが上手い。
まるで世界を俯瞰して見ているかのように、盤上の駒を動かすようにして人を動かす。
「彼女が何故あそこまで有能なのか、どういう風に帝国で生きてきたのかまでは知らないけど、保護した当時、ハルト殿下は彼女を使って何かをしようとしていた」
「…何かって?」
「帝国と同じことだよ」
その言葉に、ジュリアスはサーッと血の気が引くのを感じた。
帝国と同じこと、ということはつまりそういうことだ。
宰相曰く、当時は計画の初期段階だったこともあり、エドワードはハルトを見逃したそうだが、トウカは自分を含めてハルトも共に処分することを強く望んだとらしい。
「想像以上に素性がヘビーで慄いております…」
ジュリアスは棒付き飴をガリッと噛んだ。
聞くんじゃなかったかもしれない。いや、聞いておくべきことだが、フィオナを引き取った今の状況でこの話を聞くべきではなかった。
流石の彼も精神的にきつい。特別手当が欲しくなる。
「ハルト殿下がギルバート殿下を狙うのは、彼を気に入らないという理由もあるけど、1番はトウカちゃんが欲しいからかもしれないね」
宰相は冗談まじりにそう言うが、案外間違いではないのかもしれない。恐ろしい。
「ま、そんなわけだから、トウカちゃんがハルト殿下に会いたがっても全力で阻止してね。まあ会いたいなんて言わないと思うけど」
「了解です」
「あ"ー」と濁音がついていそうなため息をついて項垂れるジュリアスに、最終は2本目の飴を渡した。
***
宰相とジュリアスが自分について話しているなど知る由もないトウカは、逃げるように主人の執務室を抜け出し、彼らの元へとやってきた。
ノックもせずに扉を開けると、相変わらず顔が怖い宰相と憎き義兄が棒付き飴を舐めながら談笑している。
「ご機嫌よう、お義兄様」
笑顔を貼り付けながらも明らかに不機嫌なオーラを醸し出す義妹の姿に、ジュリアスは一瞬気まずくなるも、とりあえず祝福の言葉を口にした。
「婚約おめでとう」
彼女はその言葉を合図に無言で義兄に殴りかかったが、その拳は普通に受け止められてしまった。
「一発くらい殴られてくれても良いじゃないですか」
「嫌だよ」
「…何で止めてくれなかったんですか」
「陛下がやりたいようにやらせろと仰るから」
「本当に好き放題やらせてどうするんですか」
「しょうがないだろう。陛下も君を王太子妃にするつもりでいるし」
「どこがしょうがないのですか!主人の暴挙を諌めるのも補佐官の仕事でしょうがっ!」
どこにぶつけて良いのかわからない怒りを吐き出すように、義兄の手のひらをサンドバッグがわりにしてポカポカと殴るトウカ。
宰相は仕方がないと、ジュリアスを助太刀する。
「トウカちゃん、諌めて聞く人なら補佐官が4人もついていないんだよ」
「それは同感ですが!誰も止められないのもどうかと思います!」
本来、王族につく補佐官は多くとも2人だ。しかし、エドワードに4人もついているのは彼が仕事をしないからだ。
勿論、王としての責務を放棄しているわけではない。ただ単に自分でやる必要のないものは積極的に他者へ回しているのだ。
その采配は実に見事なもので、全く無駄がない。それぞれの適性を見極め人員を配置し、誰にどの仕事を任せれば効率が良いのかをちゃんと理解している。
彼は人を見る目があり、人を使う事に長けている王なのだ。
そこはトウカも尊敬しているところではあるが、王の暴走を周りの補佐官が止められないのは如何なものだろうかとも思う。
トウカは「落ち着きなさい」と宰相に渡された飴の袋を剥きながら、ジュリアスに尋ねる。
「陛下は今どちらに?」
「明日の処刑の件で騎士団長と会談中」
「至急取り次いで欲しいんですけど」
「無理」
飴を咥えて半眼でこちらを見るトウカに、ジュリアスは小さくため息をついた。
「そんな目で見ても無理なものは無理だ」
「トウカちゃん。君も明日から数日、この間の件の責任者として、殿下と共に処刑に立ち会わねばならんのだから、婚約の事はまた後日にしたほうが良いんじゃない?」
「後日にしたらそれまで私の寝床ないんですけど」
まだ、トウカに王太子妃の部屋を与えられた事を知る人物はごく僅か。
知れ渡る前に何とかしなくてはいけない彼女は、エドワードに抗議する機会が与えられるまで素直にその部屋を使う気にはなれなかった。
「王都の伯爵邸から通えば?」
宰相は王都にあるグレイル伯爵邸から通勤することを提案するが、トウカは首を横に振る。
「今改装中らしいのです」
「そうなの?」
「父が子どもが増えたからと、部屋を増やすついでに模様替えを楽しんでいて…。DIYってやつですね」
悠々自適な隠居生活を送っているらしいジュリアスの父の姿を想像し、宰相は一瞬だけ自分もそろそろ引退したいと思ってしまった。
「閣下の引退はまだまだ先ですよ」
「そういう事まで察さなくていいんだよ、トウカちゃん」
「私が王太子妃になれば、閣下は一生現役ですからね。拾ったからには最後まで責任持って面倒みてくださいよ」
「流石に理不尽じゃない?」
「私はあの時、殺してくれと言いました。勝手に生かしたのは閣下の方ではありませんか。責任取るのは当然です」
宰相はやさぐれ気味のトウカを諌めるように、彼女の頭を撫で回す。
この強面のおじさんは何処かトウカを犬猫のように思っている節があるが、彼女も宰相に撫でられるのは嫌いではないので素直に受け入れた。
「…契約違反だわ、こんなの。」
そう呟くと、トウカは口を尖らせた。
エドワードはトウカを保護する際、彼女ととある契約を交わしていたのだが、どうやら彼女が王太子妃になる事はその契約を反故にすることになるらしい。
契約のことを知らないジュリアスは首を傾げた。
「契約って何?」
「別に大したことではありません。私は元々、ギルバート殿下が成人を迎えたら自由にしてもらえるはずだったんですよ」
「成人まで、となると…。君は完全に殿下のお世話係として雇われていたんだね」
「そうです。それなのに去年あたりから雲行きが怪しくなりはじめて…」
トウカを保護した当時、エドワードは彼女を監視する目的で王宮に匿うつもりだったが、彼女と少し会話しただけでその聡明さに気づいてしまった。
そして彼女の能力を使わぬ手はないと方針を変更し、ギルバートの側仕えとしての道を用意したのだ。
しかし、いつの間にか側仕えから妃にしようと更に方針を変更したようで、トウカは去年あたりからその空気をひしひしと感じていた。
「陛下は私に利用価値があると思ってらっしゃる。この婚約だって私を外に出したくないから、ギルバート殿下の恋情を利用し、王太子妃として縛り付けようとしてるんですよ。本当、利用できるものは利用する無駄のないお方だわ」
トウカは伏し目がちにつぶやいた。
明らかに王を貶している発言だが、エドワードが能力の高いトウカを利用しないなどそれこそあり得ない。
二人は、彼に見出された哀れな子羊の不敬な発言を聞かなかったことにした。
「でも、婚約については半分は君のせいだと思うぞ?トウカ」
「…何のことです?」
聞き捨てならない台詞にトウカは眉を顰めるが、ジュリアスはそんな彼女の持つ飴を取り上げてその手を開く。
そこには最近ようやく塞がった傷があった。
「開放日、君が怪我した時に殿下が『トウカをそばに置きつつも“守る立場”から外したい』とか言うから、『妃にすれば側に置きつつも守る立場から守られる立場にできる』と話した。でも殿下は、無理矢理に婚約者にするのは嫌だと言っていたんだ。それを君が勝手をして怪我なんてするから、殿下にその選択肢をとらせることになったんだよ。陛下の意図はどうあれ、引き金を引いたのは間違いなく君だ」
「…どういう意味ですか」
呆れたような顔で義妹の頭を撫で回すジュリアス。トウカはそれを煩わしそうに払い除ける。宰相の時とは大違いだ。
「僕が何を言ってるのかわからないなら、一度ちゃんと考えなさい」
「その顔、すごく腹が立ちます」
優しく兄の顔で諭すジュリアスがなんだか腹立たしく、トウカは理不尽に彼の腹部へ重い拳を入れた。




