66:トウカの処遇(3)
あまりの衝撃的な展開に、トウカはフラッと倒れ込む。フィオナは彼女を慌てて支え、とりあえずソファに座らせた。
ギルバートの私室の向かいの部屋といえば、代々王太子妃の部屋として使われている部屋。
こんなものを渡されては婚約者どころか、一足飛びに妃扱いだ。
頭を抱えて唸るトウカに対し、ギルバートは椅子の背もたれに体を預けて未来に想いを馳せる。
「できれば、学園卒業と同時に籍を入れたいから、それまでにどうにか二人を育てておいてくれると助かる。二人のうち、どちらかを王太子妃の補佐官にするのもありだなと思ったりもするんだが、でも俺も卒業したら公務は一気に増えるし、父上みたいに補佐官は複数ほしいなぁ。うーん、悩ましい…」
トウカは若干フラフラしながらもソファから立ち上がると、一人浮かれ気分のギルバートの前に鍵を突き返した。
「ん?どうした?」
「返品します」
「返品したらお前は部屋がなくなるぞ?」
「…まさか」
トウカの顔色は一気に青ざめる。
傍のフィオナは申し訳なさそうに笑うしかなかった。
「お前の部屋はフィオナが使う事になったから、今こうしている間にもユイ達がお前の荷物は移動させている」
ギルバートは鍵をトウカの制服の胸ポケットに入れると、ニッコリと微笑んだ。
「信じらんない信じらんない信じらんない!」
トウカはすぐさま、強制的な引っ越しをやめさせるため部屋を出ようとするが、それを阻むようにフィオナが彼女の前に立ち塞がる。
「退いてください」
「ご、ごめんなさい。でも退くわけにはいかないのです。王命なので」
「はあ?王命?」
「私は、お二人の婚約を1年以内に成立させるため、ギルバート殿下を手助けするようにと陛下から仰せつかっています…」
「ふざけんなあああああ!」
発狂するトウカをギルバートは後ろから抱きしめると、子どもをあやすように頭を撫でる。
「大丈夫だ。見習いの身分だが、元々フィオナは叛逆者の娘として『監視』がつく事になってるし、それを考えたら王宮内に部屋がある方がむしろ都合が良い。父上の許可も取ってあるし、問題ない」
「だれもフィオナ様のことは言ってません!」
「そうなのか?じゃあ何が納得できないんだ?」
わからないふりをして、ギルバートは首を傾げる。トウカは身を捩り彼の腕の中から抜け出そうとするも、なかなか振り解けない。
「わかってるでしょ!?正式な妃でないどころか、婚約もしてない女に王族の居城区の部屋を与える王子がどこにいる?いやここにいるけども!阿呆なのか?なあ、阿呆だろう?阿呆なのは昔から知ってたけど!阿呆に磨きかけなくて良いんですよ!」
「だから阿呆阿呆言うなって。まあ心配するな。部屋の移動は皆に周知させてるわけじゃないし、知る者はまだ少ない。ただお前が毎晩、王宮の奥に明日の予定を確認しに行ったまま、朝まで出てこない事を噂されるだけだ」
「大問題でしょ!?それ問題しかないでしょ!?」
こんなに狼狽するトウカの姿をはじめて見て、少し優越感を覚えたギルバートはフッと笑みをこぼすと、彼女を解放した。そしてポケットから一枚の紙切れを取り出し、それを怒り狂う彼女の前に差し出す。
「ならどうする?まあ確かに、部屋だけ与えられている宙ぶらりんの状態より、正式に婚約してしまった方が格好がつくとは思うが…。サインするか?」
ひらひらと彼女の目の前でその紙切れを揺らすギルバート。
「信じられない…」
トウカは呆然とその紙切れを眺めた。
彼が手にしているのは紛れもなく婚約の宣誓書。
しっかりと王と王妃、書類上の親であるグレイル前伯爵やジュリアス、それに教会のサインまで入っている。もう後は彼女がサインさえすれば、婚約はすぐに成立する。
「いつの間にこんな事…」
王太子妃の部屋の鍵と婚約の宣誓書。
この二つはそう簡単に手に入れられるものではない。
加えて、侍女の解任や補佐官の後任の育成に、フィオナの処遇も全てトウカの預かり知らぬところで秘密裡に進められていた。
これだけの事をするのはいくら王太子といえど容易ではない。
特にフィオナを補佐官にするなど、反発も多かったはずだ。それなのに、トウカの耳には何も入ってきていなかった。
子どもに厳しいエドワードが簡単に力を貸すとは思えないし、おそらく裏で色々と取引をしたのだろう。
そういえば最近、王の仕事だったものがギルバートに振られることが増えていたし、臣下の彼に対する態度も以前とは違うようにトウカは感じていた。それは、音楽祭の一件で彼への評価が少し上がったからだろうと思っていたが、どうやらそれだけではなかったようだ。
いつの間にかギルバートは、これらの事をトウカに知られる事なく準備できるまでになっていた。
「どうしよう、主人の成長を喜びたいのに全然喜べない」
「唐突の親目線やめろよ」
「強引な手は使わないって言ったのに。嘘つき」
「隠し事ばかりのお前に嘘つき呼ばわりされる筋合いはないし、もう待たないとこの間言っただろ?」
確かに言った。だがトウカはそれを『自分のことを諦める』という意味に捉えていた。だから彼の策略に気づけなかったという面もあるのかも知れない。
ギルバートは驚きのあまり固まって動けないトウカの額に優しく唇を落とすと、耳元で囁く。
『逃げられると思うなよ。トウカ・アシュタール』と。
その光景に口元に手を当てて顔を赤らめるフィオナ。それとは対照的にトウカは顔面蒼白である。
「…聞いたのですか」
「まあ、今のところ父上が教えてくれたのはその名だけだがな。この名を聞いても引かないのなら好きにすると良いと言ってくれた」
ギルバートは鍵と引き換えにトウカの秘密を知ったらしい。
それでも彼は彼女を求める。
「私は知ったら諦めてくださいと言いました」
「俺はそれを承諾した覚えはない」
「私がどれほど厄介な生まれか理解できないわけではないでしょう?知った上でまだ、私に求婚しようとするのですか?」
懇願するように言うトウカに対し、ギルバートは不敵に笑う。
「トウカ、俺をみくびるなと言ったよな?お前の心配事くらいどうにかしてやる。その出自が特殊というくらいで逃げられると思うなよ」
***
二人の攻防を見ながら、フィオナはギルバートの執念にちょっとした恐怖を覚えた。
(トウカさんは逃げられないわ…)
フィオナは頭を押さえて項垂れるトウカに静かに手を合わせた。
(ご愁傷様です)




