62:もう待たない
応接室でトウカを待っていたクリストファーは困惑していた。
先程、王太子付きの侍女ユイに連れてこられたトウカと軽く挨拶を交わし、彼女が対面のソファに腰かけたところで、突然王太子ギルバートも応接室にやってきたのだ。
息を切らせた状態で勢いよく扉を開けた彼は何食わぬ顔でトウカの横に座り、『気にせずに何でも話すといい』とか言い出した。
「ギルバート殿下。俺は彼女に話があってここに来たのですが…」
「そうか」
「いえ、『そうか』ではなくですね。あの、出来れば席を外していただきたく…」
「何だ?俺がいると困るような話でもするつもりなのか?」
「困ることはありませんが、少々話しにくいといいますか…」
「大丈夫だ、気にするな。俺のことは置物だとでも思ってくれて構わない。」
「は、はあ」
足を組み、爽やかな笑顔で『気にするな』とギルバートは言うが、気にしないでいることなどできるわけもない。困惑するクリストファーは視線でトウカに助けを求めた。しかし、彼女は無言で首を横に振る。
つい先程まで正座させられてお説教を受けていた彼女に、主人を退室させることなど出来るわけがない。
クリストファーは小さくため息をつくと、仕方なく話を始めた。
「…怪我は大丈夫か?」
「ええ、問題ありません」
「その、生活に支障が出たりとかは…」
「両利きなので何とかなると思います」
「…傷は残らないのか?」
「微妙なところです」
「そうか…」
「でも、手のひらですし、手相だと思えば全然…」
「いや、お前が気にしていないのなら、その、大丈夫だ。うん…」
「はぁ…、そうですか…」
傷が残るとは聞いていなかったのか、ギルバートはギロリと隣のトウカを睨むが、彼女は気づかないふりをした。
「…あの、怪我の心配して様子を見に来てくれたとかじゃないですよね?えっと…大丈夫ですよ?私、両利きなので仕事に支障は出ません。後処理も問題なくできますよ?」
作戦終了後すぐのこのタイミングで、自分の元を訪れるという事は、騎士団の方で何か問題があったに違いないと思っていたのだが、何故か怪我の具合を聞かれてトウカは少し戸惑っていた。
とりあえず、怪我した方の手のひらを見せながら、仰々しく包帯など巻いているが傷はそんなに深くないと説明する。
彼女のその姿に、クリストファーは呆れた顔をした。
「ちがう。なんか色々違う。心配はしていたが、仕事の心配はしていないし、怪我の具合を聞きに来たわけじゃない」
「えっと…じゃあ何しに来たんですか?」
「いや、それは…その…」
クリストファーは少し顔を赤らめながら視線を手元に落とした。
妙な沈黙が流れる。
ユイが3人の前にお茶を用意する音だけが、部屋に響いた。
「え、本当に何の用事なんですか?」
顔を伏せ、もじもじするだけで話そうとしないクリストファーに、トウカは怪訝な表情を向ける。
「えっと、だな…」
クリストファーはチラリとトウカの方を見た。すると、彼女はキョトンとして首を傾げた。
「や、約束をだな…、その、忘れないうちに果たしてもらおうかと思ってな?その、日程を決めに来たんだよ。お前、次の休みはいつだ?」
時々、視線だけチラチラと目の前のトウカを見るクリストファーに彼女は、思わず間抜けな声を出してしまった。
「へ?約束?」
「…忘れたとは言わないよな?」
「いや、覚えてはいますが…」
確かに約束はした。
クリストファーが囮になる条件として、『彼の選んだ服を着て彼の選んだ店で食事をする』という約束をした。
けれど、何故に今このタイミングでその日程を決めねばならないのか。
「えーっと…。それ、今じゃなきゃダメですかね?作戦が無事に終了したのはつい先程なのですが、今決めなきゃいけませんかね?」
「何となく、今日約束を取り付けておかないと一生実現しないと思って」
「意味わかんないです」
明日は普通に学園で顔を合わせるし、今日中に決めねばならない事ではない。
クリストファーの意図が分からず、トウカが難しい顔をしていると、置物のはずのギルバートは徐に口を開いた。
「なあ、トウカ。約束って何のことだ?」
トウカは隣から聞こえる声にハッとして無意識に背筋を伸ばす。
「…で、殿下には関係ないことです」
「…関係ない、か。そうか。関係ないんだな。へぇー。そうかそうか」
隣から聞こえる声は明るいのに、トウカは何故か彼の方を見ることができない。
彼女にとってはなんてことない約束だが、ギルバートにとっては恐らく何でもない約束ではない。クリストファーとデートするなんて知られてしまった日には、向こう3ヶ月はぐちぐち言われるに違いない。
「クリス、この件に関してはまた今度にしませんか?」
約束の内容を知られる前に、この話題は早々に切り上げた方が良いと判断したトウカは、クリストファーにそう提案した。
しかし、彼女は動揺のあまり口を滑らせていることに気づいていなかった。
「…クリス?お前はクリスと呼んでいるのか?お前は名で呼ぶことを拒否していたと思っていたが」
「…な、成り行きで、いつの間にか」
「へぇー」
「へぇー」に含まれるギルバートの嫉妬が、何故か突き刺さる。
トウカは、まるで寝言で浮気相手の名前をうっかり呟いてしまった夫のように、隣から非難の視線を浴びせられていた。
(気をつけていたのに…)
ギルバートの前で『クリス』と呼ばないように気をつけていたのに、うっかり口を滑らせて後悔するトウカ。
しかし、そんな彼女にクリストファーがさらに追い討ちをかける。
「悪い、急だったよな。また落ち着いたらトウカの都合の良い日を教えて欲しい」
よりによって、このタイミングで名を呼んでしまったクリストファー。騎士団の屯所での一件以降、彼はトウカの事を名で呼んでいるし、それをギルバートも知っているが、このタイミングで名を呼ぶのは、何となくまずい。
トウカは額に変な汗をかいた。
扉横で静かに控えていたユイは、この謎の修羅場に笑いが堪えきれなくなり、顔を伏せながら肩を震わせていた。
「…そういえば、クリスはいつから俺の侍女を名で呼ぶように?」
「へ?」
「いつから?」
「いつの間にか…、成り行きで…。え?」
クリストファーはかなり動揺していた。
ギルバートは明らかに怒っているが、鈍い彼には何故怒っているのかが分からないのだ。
「トウカ…お前は名で呼ぶことを許可したのか?」
「…別に許可はしていませんが、特に咎めることでもないですし、城の大半の人間は名で呼んでいますよ…ね?」
「そうだがそういう問題ではない」
「ではどういう問題で…」
「そのくらいわかるだろ!?お前は本当にひどいやつだな!本当に!!クリスが名で呼ぶのと他のやつが名で呼ぶのとでは何か違うだろ!分かれよ!」
ギルバートはトウカの言葉に被せるように叫ぶと、勢いよく立ち上がった。
なんか違うだろう、と言われても何が違うのかイマイチわからないトウカは難しい顔をしていた。
その表情が更に彼を苛立たせてしまう。
ギルバートはトウカの手を掴み、無理矢理立ち上がらせると、そのまま扉口の方まで連行する。
ユイが笑いを堪えながら扉を開けたところで、ギルバートはふと立ち止まると振り返り、射殺すような視線をクリストファーに向けた。
「クリス!コイツは俺のものだ。手を出すなよ」
そう言い残すと、動揺するトウカの手を引きながらギルバートは廊下へと消えていった。
「え?そういう事なのか?」
彼の捨て台詞で、鈍いクリストファーも流石に気が付いたらしい。目を丸くしながら、ユイに語りかける。
「…なあ、トウカはギルバート殿下の何なんだ?」
「今のところは侍女です」
「いまのところは…」
「ま、そういうことですから、トウカ様は諦められた方がよろしいかと思いますよ?」
ユイは2人のティーカップを片付けながら、ニッコリと微笑んだ。
クリストファーは苦笑いを浮かべる。
「…それは、難しい相談だな」
その返しに、今度はユイが驚いた顔をした。
「あら、意外に本気だったんですか?」
「どう見えているのかは知らないが、結構本気だぞ?」
「それは失礼いたしました」
クリストファーは本気ではなく、遊び半分でトウカを口説いているのだと思っていたユイだが、彼は意外にも本気っぽい。
もしかするとこれは結構本格的に修羅場に発展するのではないかと少し楽しくなってきたユイだった。
***
「ちょ!待ってください!殿下!」
王太子に手を引かれて、王宮の廊下を歩くトウカは皆の視線が痛かった。
だがギルバートは、彼女の方を見ることもなくそのまま私室に戻ると、驚いたような衛兵やランドール夫人に「良いというまで開けるな」と言うと、勢いよく扉を閉めた。
「何なんですか、本当に」
部屋に入ると、トウカはすぐにギルバートの手を振り払う。
主人らしくお説教したかと思えば、名前呼び如きで取り乱して嫉妬したり、訳が変わらない。
昼間、民衆の前で見せていた冷静で威厳のある王太子の姿は一体どこへ行ってしまったのか。
ギルバートはトウカの方に向き直ると、苦しそうな顔をしながら振り払われた手をもう一度握る。
「ちょっと不安になるだろうが」
「何が」
「お前は俺に隠し事ばっかりだ」
「…それは、申し訳ありません」
「クリスとは知らないうちに仲良くなってるし…」
「別に仲良くありませんが」
「…お前はもしかしたら俺のこと好きじゃないのかもしれないとか、不安になるだろう」
「…はい?」
その発言に、トウカは怪訝な顔をする。
「…私、別に殿下のこと好きとか言ったことありませんけど」
「それはそうなんだけども!!やっぱ俺の勘違いだったのかと思うだろうが!」
ギルバートはそう叫ぶと、その場に蹲ってしまった。
一度もギルバートを好きだと言ったことなど無いので勘違いも何もないのだが、と困ったトウカは、とりあえず同じ目線になった。そして、複雑な笑みを浮かべる。
「…もう諦めてくださいよ」
「無理」
「どうして…」
「理由なんかない」
トウカは自分がギルバートに対して、結構ひどいことをしているという自覚はある。
彼の気持ちを知りながらも、それを利用するような事をするし、彼が自分を大事に思っている事を知りながらも、簡単に怪我をするし、大事な事は何も言わない。
(こんな私のどこに、好きになる要素などあるのか)
彼女はそれが不思議で仕方なかった。
しかし、一途なギルバートは俯いたまま、ボソッと呟く。
「…好きって言え」
「嫌です」
「俺、結構待ったと思う」
「まだ数ヶ月ですが」
「数ヶ月は俺にしては待った方だ」
「私基準では全然待ててませんが」
「もうこれ以上待てない」
「じゃあ、もう待つのやめてくれませんかね。私の意思は変わりませんよ」
トウカはやはり、ハッキリと言い切った。
ここ数ヶ月、ギルバート的には毎日ハグしたり愛を囁いたりと、色々と努力してきたつもりだったが、彼女の気持ちはまだ変わらない。いつまでも頑なに拒否してくる。
こんなにも自分のことを思ってくれるのに、絶対自分のことを好きなのに、彼女はずっと自分を受け入れようとしない。
ギルバートはゆっくりと顔を上げると、唐突にトウカの白い髪を一房取った。
編み込んでいたせいか、いつもは真っ直ぐな彼女の髪は少しうねっている。
「…わかった」
「え?」
「もう、やめにする」
「へ?」
髪にキスすると、ギルバートは射抜くような鋭い視線でトウカを見据えた。
「お前の望み通り、もう待つのはやめてやるよ」




