43:アーサーは手のひらを返す
ロッカールームで話し込んでいた二人は、昼休憩を告げる鐘の音でハッと気がつく。
「もうお昼ですね」
「授業、サボっちゃいましたね」
顔を見合わせて笑い合う2人は一先ず食堂へ向かおうと、ロッカールームを出た。
ふと、廊下の窓から外を見ると、静かに降っていた雨はいつの間にか止んでいた。
トウカは窓を開け、外の空気を吸う。フィオナも真似をするように窓を開けた。
雨上がりの外の空気は澄み切っていて、朝から学園を包んでいた淀んだ空気を洗い流したかのようだった。
さっきまで暗かった空は、雲の隙間から微かに太陽の光が漏れて、光の柱が放射状に降り注いでいた。
フィオナはその空を見て、綺麗ですねと笑う。そんな彼女の笑顔につられ、トウカもまた、笑った。
「さ、食堂へ行きましょうか」
「私、今日はサンドイッチを作ってきたのです。だから一度教室に戻ってとってきます」
「ついて行きましょうか?」
「いいえ、大丈夫です」
「でも…」
「そこからそこまでですから、何があっても自分で対処できますよ!」
「トウカさんは心配しすぎです」と言って、フィオナは教室の方へと駆けていった。
トウカは、今の状況でフィオナを一人にするのは少し気が引けたが、教室から食堂までの距離、人目も多い中で何かされることはないだろうと、そこで一旦別れた。
先に食堂へ着いたトウカは、食堂の扉を開る。一歩足を踏み入れた瞬間、彼女は少し顔を歪めた。相変わらず、多くの不躾な視線が自分に集まってきているのがわかる。
その視線は学園に来た頃とは違う、品定めするような、なんとも形容しがたい気持ちの悪いもの。
(外の空気がいくら澄んでいようとも、人が集まる場所の空気は淀んだままだ…)
トウカはなるべく不快感を顔に出さないよう表情を作り、二階席のいつもの席に向かった。
二階に上がると、いつもの円卓にはすでにギルバートが座っていた。
彼は頬杖をつきながら、ジトっとした目でトウカを見る。
「長すぎないか?トイレ 」
「女性にその話題を振るのは失礼なのでは?」
トウカは同じような目でギルバートを見た。
しかし、彼は引かない。
「追求されないと思って、それを理由に教室を出たんだろうが、俺は追求するぞ」
「最低ですね」
「なんとでも言え。お前がいないせいで色々と質問責めにされて大変だったんだ」
「質問責めにされる王太子って、威厳のかけらもありませんね」
「そこは、親しみやすいと表現してくれ」
ギルバートは今朝からずっと質問責めだった。
話題はもちろん、開放日の暴行事件のこと。
普通は王太子に話しかけるなど恐れ多い事だが、ギルバートは親しみやすさが売りらしいので、皆は臆せずに根掘り葉掘り聞いてくる。
負傷したと噂のトウカが近くにいれば、彼女の心情を慮って話題にするのを控えるのだろうが、彼女が側にいないとなると聞き放題だ。
とは言え、質問責めにあったのは、それらをうまくあしらえないギルバートの所為であり、トウカが責められる筋合いなど一ミリもない。
トウカはどこで何をしていたのかを追求されても面倒だと、話をそらすための話題を探そうと周囲を見渡した。
「アルダートン様とアーサー様はいらっしゃらないのですか?」
「話をそらすな。あと、そこでフィオナの名前を出さないのはお前の落ち度だそ」
「あ…」
トウカは思わず口を押さえた。
フィオナの所在を聞かないということは、フィオナの所在を知っているということ。
今の今まで、誰といたのかがバレてしまった彼女は、珍しく下手を打ったなと反省した。
「別に隠していたわけではありません。話すのが面倒だっただけです」
「言い訳っぽく聞こえる」
「何とでもどうぞ」
シレッとそう言いながら、トウカはギルバートの隣に座った。
ギルバートはそんな彼女の顔をジロジロと見る。
「何ですか?人の顔をジロジロと」
「…目、赤い」
トウカは一瞬思考したのち、色々と突っ込まれると面倒くさそうだと、シラを切る事にした。
「私、前世がウサギなもので」
「そこは、もうちょっと嘘を吐こうとしろよ」
「逆に話を聞く気も失せるかと思いまして」
「確かにちょっと失せた。気になるが聞かないでおいてやる」
「お心遣い痛み入ります」
ギルバートは呆れたように言いながらも、トウカの目が赤い理由を追求しなかった。
必要以上に追求されるとトウカが困る事を、なんとなく察したのだろう。昔の彼ならしつこく追求しただろうが、その辺りは少し大人になったらしい。
「で?結局、他のポンコツ二人はどちらに?」
「本人のいないところでそれは悪口だぞ」
「元よりそのつもりでの発言です」
トウカは『他の』と表現する事で、暗にギルバートもそのポンコツの仲間であると揶揄しているのだが、そこには気づけなかったようだ。
「アーサーは少し用事があるといっていた。すぐ来る。クリスは今日は来ていない」
「アルダートン様は休みですか」
脳筋が体調不良とは思えない。大方、暴漢事件でメンタルがやられたという所だろう。
フィオナの方ずっと強い、とトウカは思った。
「おまたせしました」
噂をすればなんとやら。アーサーが爽やかに微笑みながらやってきた。
しかし、その爽やかな笑顔もトウカの顔を見て一瞬で曇る。
「いい加減、私がいる事に慣れていただきたいものですわね」
「君がいる事に慣れたくない僕の気持ちも少しは理解してもらいたいものだね」
「あら、よろしいの?そんなことをおっしゃって」
「どういう意味だ?」
「マリア様に言いつけますよ」
「それは卑怯だろう…」
睨み合う二人をギルバートが諌める。
どうもこの二人は相性が悪い。こういう時、フィオナがいてくれたら少しは場が和むのに、とギルバートは思った。
「フィオナ様、遅いですね」
フィオナがなかなか来ないので、トウカ達は仕方なく先に食事を始めていた。
食事を初めてしばらく経つも、フィオナが来る気配はない。トウカは何かあったのではないかと不安になり、ぽつりと呟く。
すると、
「彼女なら来ないよ」
と、トウカの疑問に、アーサーはシレッと言った。
「どういう…こと、ですか?」
「こちらに来る前に、しばらく距離を置いてもらうよう頼んだんだ」
その言葉に、トウカもギルバートも険しい顔をする。
「今は一緒にいない方が良いだろう?」
アーサーは肩をすくめ、困ったように笑った。
アーサーの言っていることは、つまり『自分に火の粉が飛ばぬよう、フィオナを切り捨てる』ということ。
この会話が聞こえていたのか、周囲は少し騒ついた。
確かに、渦中のフィオナと距離を置くという彼の選択は間違いではない。
フィオナがマリアの不興を買ってしまった以上、アーサーも身の振り方には慎重にならねばならない。
しかし、彼がこうもアッサリと切り捨てるなど、トウカは予想していなかった。
「フィオナ様が今どういう状況に置かれているかわかっていて、それでも距離を置くおっしゃるのね」
「わかっているから距離を置くんだ」
「思っていたよりも貴族らしい貴族でいらしたのね、アーサー様も」
「そういう君は意外に感情に左右されるタイプなのだね。情が移ったか?」
責めるようにそう言ってくるトウカに対し、アーサーは胡散臭い笑みを貼り付けたまま、少し小馬鹿にしたように言い放った。
(わざとらしい演技…)
トウカは彼の返答に心の中で舌打ちした。そして、険しい表情をしたまま、無言で席を立とうとする。
だがギルバートは彼女の手首を掴み、それを阻止した。
「食事中だ。座れ」
「何故ですか。彼女が心配ではないのですか」
「フィオナの事は俺も心配している。でも、今お前が彼女の元へ行くことは許さない」
ギルバートは「周りを見ろ」と耳打ちし、なんとかトウカを座らせた。
トウカは静かに目を閉じる。
見渡さなくても視線でわかる。
渦中のフィオナがいない円卓を、好奇の目で見る生徒たちの視線。アーサーが、ギルバートが、失墜した聖女フィオナに対しどう振る舞うつもりなのかを見ている。
皆が注目しているなか、下手な事はできない。
そんなことはわかっている。
それでも、トウカは今すぐフィオナの元に行きたかった。
マリアの不興を買ったフィオナを、アーサーが見捨てたという事は、公爵家がフィオナを敵とみなしたとほぼ同義。フィオナを快く思わない人間にとって、大きな後ろ盾を失った今の彼女は、以前より確実に手が出しやすくなっている。
悔しそうにしながらも、ギルバートに従い食事を再開したトウカ。
ギルバートはそんな彼女の横顔を見て、小さくため息をついた。
「この話は後で場所を変えてからだ」
「承知しました」
「アーサーもそれで良いな」
「構いませんが、場所を変えようとも僕の意思は変わりませんよ?」
トウカはアーサーを睨みつけた。
そんな彼女にギルバートはまた、小さくため息をつく。
トウカがこれ程までにフィオナに心を砕いていることが、彼には恐ろしかった。
彼女は関わった人間に対し、非情になれない節がある。そこが彼女の良さではあるが、その甘さはいつか彼女を殺す。
ギルバートはそう思っていた。




