44:アーサーのお願い
昼食を終えた三人は、食堂近くの東屋へ移動した。
そこは通路から少し外れたところにあり、人目は少ない。
近くの噴水の音を聴きながら、ギルバートは深くため息をつき、ベンチに腰掛けた。
その側には腕を組み、柱に寄りかかるように立つアーサーと、鋭い目つきで彼を睨みつけるトウカの姿があった。
美しい景観に似合わず、場の空気は最悪だ。
「そんなに睨まないでくれないか」
「宰相閣下に何を言われたのですか?」
「やはりお見通しか…」
「さすがだな」と思ってもいない事を言って、アーサーは一通の文を取り出した。
「あの一件が父上の耳に入ってしまってね。まあ当然と言えば当然なんだけど…。それで、父上に釘を刺されてしまったわけだよ」
「フィオナ・モートンには関わるな、と言われたのですね」
アーサーは困ったような笑みを浮かべて、肩をすくめた。
(閣下は子どもの交友関係に口出しするタイプなのか…?)
トウカは意外だった。
彼女の知る宰相は、堅物で規律を重んじる厳しい人だが、子どものいざこざに口を出すような人ではなかった。
過去、マリアが他家の令嬢から嫌がらせを受けた時も、学園内の事は自分で解決するようにと突き放したと聞く。
(それほどまでに、フィオナを警戒している…?)
トウカは疑問に思いながらも、その口ぶりからアーサーは詳しいことを知らないのだと判断し、何も聞かなかった。
一先ず、手渡された文の封を切る。すると意外にも差出人はマリアだった。
トウカは文に目を通した後、傍のギルバートにそれを渡す。ギルバートも文に目を通すと、難しい顔をしてアーサーに文を返した。
「『宰相は子ども達がフィオナに関わる事を良しとしとしない。故にアーサーは少なくとも、事が落ち着くまでは彼女には近づけない。だから代わりにフィオナを守ってほしい』そういうことか?」
「そういうことです。殿下」
アーサーは申し訳なさそうに俯いた。
マリアとフィオナが表面上だけでも和解したように装えれば、少しは違うのかもしれないが、父である宰相は恐らくそれを良しとしない。
(どうしたものか…)
トウカは天を仰いだ。
空はすっかり晴れていた。
「フィオナ様にはこの件を話したのですか?」
「…ああ」
アーサーは、食堂に赴く前にフィオナと少し話をしたという。そして、彼女にマリアからの文を見せたらしい。
それは、この状況を作ってしまった事に対するフィオナへの謝罪と、これから暫くアーサーが彼女のそばにいられないことを記した文。
フィオナはそれを読み、「仕方がありません。悪いのは私ですから。マリア様によろしくお伝えください」と言って笑ったという。
その話を聞いたトウカは、やはりフィオナは強いと思った。
しかし、彼女が強いからと言って1人にすることはできない。トウカは目を閉じ、少しの間思考を巡らせる。
(となれば、できることは一つしかないか…)
ゆっくりと目を開けた彼女の目の前には、自分に対して深々と頭を下げるアーサーがいた。
彼はかつて無いほどに、真剣な声で言う。
「君に、フィオナのそばにいてもらいたい」
トウカはその姿に目を丸くした。
プライドの高いアーサーが、フィオナのためにここまでするとは思っていなかったのだ。
トウカはすぐさま、彼に頭を上げるように言う。そして「元よりそのつもりだ」と告げようとした。
だがその瞬間、ギルバートはその言葉を遮るように、一言「駄目だ」と言う。
アーサーは驚いたように顔を上げた。
「何故ですか…」
「…何故って、お前がフィオナに関われないのなら俺もそうするしかないだろう、アーサー。公爵家と正面切って対立するわけにはいかない」
困惑するアーサーに、ギルバートはそれが当然であるかのように言う。
確かにギルバートの言うことは当然なことなのだが…。
「だから私が暫くフィオナ様のお側に、というお話なのでしょう?」
トウカは首を傾げながら尋ねた。
学園の中でのこととは言え、公爵家と王太子があからさまに対立するような構図は避けなければならない。
つまり、公爵家のアーサーがフィオナと距離を置くという限り、ギルバートも現状そうせざるを得ない。
それはアーサーも理解していた。だから、彼は#トウカ__・__#に頼んでいるのだ。
トウカ・グレイルは、学園には伯爵家の人間として通っている。ここでは側仕えとしてギルバートの隣にいるわけでは無い。
故にフィオナの側にいても『ギルバートの意思ではない』と、建前として、そう主張することも可能だ。
元々、フィオナに貴族としてのアレコレを教える約束もしているし、彼女としてはそれが当然の処置と考えていた。
だが、ギルバートは頑なに首を縦に振らない。
「だめだ。許可できない」
「何故です?私が側にいれば、彼女を害そうとするものに対して牽制になります」
「殿下、彼女の言う通りです。フィオナを守るためには出来ることはこれしか…」
「わかっている。でも許可できない」
「何故ですか!?」
俯き、手元をいじりながら頑なに許可できないというギルバートに、トウカは苛立ちを隠せない。
トウカがフィオナのそばにいる事で、まだ彼女が王太子の庇護下にあると暗に主張する。これが、現状のギルバート達に出来る精一杯なはずだ。
このままフィオナを1人にするのは好ましく無い。いきなり公爵家と王太子の庇護がなくなれば、何をされるかわからない。
ギルバートとて、それは理解している。
(…それでも、許可できない)
ギルバートは俯いたまま、アーサーに席を外させた。
アーサーは怪訝な顔をしながらも、彼の言葉に従い、先に教室へと戻った。
「どうするつもりですか?」
トウカはアーサーの背中を見送りながら、主人を蔑むような目で見下ろす。
「殿下は、フィオナ様を見捨てると言うのですか?」
「…それも選択肢の1つとしてある」
トウカはその言葉に少し驚いた顔をした後、眉間に皺を寄せた。
フィオナを切り捨てるという選択肢を外していないのは、王太子として正しい。
使えるものは使う。使えないものは切り捨てる。それも時には必要な事だ。
だが、蜂蜜色の髪に隠れて表情は伺えなくとも、震えた声はその言葉が本心ではない事を表していた。
「その言葉は貴方の本心ではないはずです」
「……」
「殿下だって、フィオナ様が心配なのでしょう?」
ギルバートは座ったまま祈るように、額の前で手を組み、背中を丸めた。
「俺は…フィオナの側にいて、またお前が怪我をするようなことがあれば、俺は彼女を許せない」
トウカはまたその話か、とため息をついた。
確かに今、フィオナと共にいれば巻き添えを食らう可能性もある。けれど、それはフィオナのせいではない。
トウカは何度もそう言った。しかしギルバートはまだ割り切れていなかった。
ギルバートは、もしトウカとフィオナを天秤にかけなければならなくなった場合、迷う事なくトウカを選ぶ。それによりフィオナが傷つくことがあったとしとても。
けれど、トウカはフィオナに何かあれば、間違いなく彼女の盾になろうとする。トウカ自身の安全は決して選ばない。
ギルバートにはそれがわかる。だから怖いのだ。
「この学園内で死ぬような事態なんて起こりません」
トウカは呆れたように言い放った。
各家の従者が入れない分、学園の内側の警備は城並みに厳重だ。学園内で死に直結するような危害を加えられる可能性の方が少ない。
被害を受けるとしても、せいぜい同級生に教科書が破かれたり、ロッカーの中が荒らされたり、水を掛けられる程度だ。
心配するほどのことではない、とトウカは思う。
「殿下、私はあなたが許可しない言うのなら動けないのです」
「わかっている」
「わかっているなら許可をください」
「出来ない」
「私の身を案じてくださっているのはわかります。けれど、私はここで彼女を見捨てたくはありません」
トウカは食い下がる。
ギルバートはゆっくりと顔を上げ、険しい表情でトウカを見上げた。
「…なあ、なぜそこまでフィオナに拘る?フィオナを守る事はお前の仕事ではないはずだ」
ギルバートの言う通り、それはトウカの仕事の範疇から明らかに逸脱している。
それどころか元々、フィオナを主人の側から排除することを求められている。
だが、彼女は当たり前のように、
「あなたが『大事にしたい人だ』と言ったからです」
と言った。
その言葉に、ギルバートは目を見開いた。
彼には、たしかにそう言った記憶があった。
過去、トウカへの思いを断ち切ろうとしていた頃、フィオナへの思いは恋なのかと尋ねられた時に。
もちろんその気持ちは嘘ではない。フィオナは間違いなく、癒しをくれた大切な友人だ。
だが、トウカがそれを覚えているとは思っていなかった。
「…それは…狡いだろう」
ギルバートはポツリと呟く。
過去の自分の発言を取りこぼす事なく覚えていて、自分のために尽くしてくれるトウカの姿に嬉しくなってしまう自分が、ギルバートはとても憎い。
彼女の発言は、自分の言葉が彼女を縛っているという事を意味するものなのに、どうしようもなく嬉しくなってしまう。
ギルバートは「はあー」と声に出して、大きくため息をついた。
そして、トウカの手首を強く掴み、強い口調で言う。
「絶対に怪我はするな。これは命令だ」
「善処します」
「そこは、素直にわかりましたと言え」
「約束はできませんので」
「約束できないのなら許可しない」
怪我をしない約束など出来るわけがない。状況により、気をつけていても怪我を負うことだってある。
そう思いながらも、中々引かないギルバートがめんどくさくて、「約束する」と口にしてしまった。
昼休憩が終わったことを示す鐘の音が鳴り響く。二人はやや早足で、教室へと向かった。
その道中、ギルバートは背を向けたまま、後ろを歩くトウカに話かけた。
「トウカ」
「はい」
「…フィオナに謝っておいてくれ」
「はい」
大変な時に、大切な友人の側にいてやれない事を、彼は悔いた。
***
教室に戻ると、フィオナが一人ポツンと座っていた。まるで隕石が落ちてクレーターができているかのように、彼女の周りには誰もいなかった。
しかし、フィオナは顔を上げ前を向いていた。その横顔に悲壮感は見られなかった。
帰り際、トウカはフィオナに声をかけた。
今後、アーサーとギルバートは距離を置くが、トウカはそばにいるという事を伝えた。
すると、彼女は柔らかく微笑んで貴女が居てくれるならそれだけで十分だ、と言った。
「良かったです。ギルに嫌われたわけではないようで」
「殿下は貴女を嫌ったりなんてしていませんよ?」
「私は開放日、ここで車に乗り込むギルに声をかけました。トウカさんをすぐ病院に連れていかなければならない状態の時に、私は引き止めたの」
フィオナは自嘲するような笑みを浮かべた。
そう言って、あの時の自分を見るギルバートの目がとても怖かった事を思い出す。フィオナはあの時、はじめて彼の怒りに触れた気がした。
「そんな事であの人は怒ったりしませんよ」
「そんな事ではありません。あの時のギルバート殿下は一分一秒でも惜しかったはず。私はそれを妨げたから、嫌われても仕方がないと思っていました」
「そんな…」
「多分、トウカさんが思っているよりもずっと、ギルはトウカさんが大切なんだと思います」
フィオナは「気づいてあげてください」と言って微笑むと、そのまま車に乗り込んだ。
遠くなる車を眺めながらトウカは、昼間のギルバートとの会話を思い出す。
そして、ぽつりと呟いた。
「大事にされる価値なんて、私にはないのに…」
自分は嘘つきだから。今日だって嘘をついた。
フィオナを守ろうとする理由を、ギルバートには『貴方の大切な人だから』とそう言った。それ自体は本心だが、本当はそれだけではない。
フィオナを守ろうとするのはただの贖罪。トウカの身勝手でわがままな贖罪だ。




