震え
おかしい。
環はボールのありかを確認する。フェアゾーンには転がっていない。かといってファールゾーンにあるわけでもなかった。ボールはたった今キャッチャーの手を離れ、マウンド上に佇む千鶴のグラブに収まった。
信じられない。
なぜアイツがボールを持っている。なぜ私は一塁ベースにいない。なぜ私はまだバットを持ってバッターボックスに立っている。なぜアイツは二球目を投げようとしている。
なぜ。なぜ。なぜ。
千鶴がセットポジションから足を上げる。環は慌ててバントの構えをする。
おい待て、早いだろう。心の声が言った。もっとボールを引きつけてからじゃないと、転がせてもアウトになってしまう。
うるさい。自分で自分に反論する。さっきの投球を見ていなかったのか。早めに構えておかないとバットに当てることすらできない。
千鶴のボールはまっすぐ向かってきた。環は全神経を集中させ、ボールとの接触を試みる。
しかしボールはそれを許してくれなかった。環をあざ笑うかのようにバットをすり抜け、勢いを全く落とさずキャッチャーミットに飛び込んでいく。
「ストライク!」
球審のコールが環の耳に障った。言われなくても知っている。この場にいる誰よりも、自分が一番理解している。
場内がざわついているのが分かる。傍目から見ても異様な光景、異様な球なのだろう。
千鶴がキャッチャーからのボールを受け取る。その瞬間、無意識に、環はバットを水平に構えていた。ある意味では生存本能に近いのかも知れない。こちらにできる最善の手を尽くさなければ、喰われてしまう。
千鶴は無表情でセットポジションに入り、ボールを投じた。環はノーアウトランナーなし、かつ追い込まれた状況で送りバントの構えをしているに等しい。だからなんだ。ここまでしなきゃ、この球はバントできない。
頼む。当たれ。
刹那の祈り。環の手に痺れのような感触がやってきた。
当たった。一塁へ走る前に、環はボールを懸命に探した。一塁側、ない。三塁側、ない。まさか投手前――ない。
すぐ後ろで、親が子供の頭を撫でるような軽い音がした。ボールは、立ち上がったキャッチャーのミットに収まっていた。
柏商業側のスタンドから歓声が沸き、次第に球場全体に波及した。それはまるで、山中千鶴のオーラが音となって環に襲い掛かっているかのようだった。
アウトの宣告をされたのに、環はまだバットを握ってバッターボックスに立っている。その手は震え、震えは腕、足、体全体へと行き渡った。




