初回の守備
球場について制服からユニフォームに着替えると、皆の顔つきはすっかり本気モードに切り替わっていた。普段は雑談の声で騒がしいウォーミングアップのランニングも、喋る人は誰もいない。黙々と体を動かし、やがてキャッチボールに移る。このまま無言でグラブを叩くボールの音だけがBGMがわりになるのかと思ったら、飛鳥が唐突に口を開いた。
「ああもう、早く試合がしたいぜ!」
言うや否や、キャッチボール相手の奏に威力のあるボールを投げ込む。受け手の奏はそのボールにひるむことなくキャッチャーミットの芯で受け止め、ゆっくり投げ返す。
「飛鳥ちゃん、もうちょっとゆっくり投げないと……肩、壊しちゃう……」
「ああごめんごめん。肩はしっかり丁寧に作らないとね。なにせこれから三試合、ウチがぜんぶ投げ切らなきゃいけないし!」
飛鳥は口で謝りながら、ボールの威力を落とさない。ミットの甲高い音がテンポ良く鳴り響いていく。
「元気があるのは良いことですけれど、特に真鍋さんは試合終了まで持ってもらわないと本当に困りますわ」
環の隣から京の呆れ声が聞こえる。飛鳥とは対照的にゆったりとしたフォームで相手の綾香の胸に綺麗な球筋のストライク送球をする。テンションが変な方向に上がっているのはどうやら飛鳥くらいらしく、他のメンバーは自分のペースを崩さず丁寧に一球一球を投げる。
環は掌に収まったボールを見つめ、えりかへとゆっくり送球した。えりかもまた、黙っている。考えていることは恐らく、今日のオーダーのことだろう。チームを統括する係は大変だと改めて思う。でもえりかの場合、やりたくてやっていることだろうから特に負担には感じていないだろう。
今日の試合、果たしてどうなるか。この大会に向けた準備は十分に行ってきたはずだ。でも、本番というものはなにが起こるか分からない。草野球の助っ人だって、ほとんど勝利が見えていたところから一気に逆転されたことなんて数え切れないほどある。試合の流れというものはどう傾くか分からないのだ。できることは、自分たちのプレイをすることだけ。そういう意味では今日の相手が強かろうが弱かろうが関係ないのだ。
「オーケー、バック!」
気づけばキャッチボール相手はだいぶ遠くにいたが、えりかの掛け声により徐々に距離を縮める。そしてキャッチボールが終了し、軽いノックを行って試合前の円陣となった。
「今日は後攻です。相手の市川女子はバッティングが良いチーム。まずは守りからリズムを作っていきましょう」
えりかが落ち着いた声で皆に呼び掛ける。
「よっしゃ、ウチにぜんぶ任せてよ! 三人でバッチリ抑えるからさ!」
飛鳥が今にも飛び出しそうに腕を回し出した。すかさずえりかが「アンタは落ち着きなさい」とたしなめる。
円陣をぐるりと見回してみると、いつでも準備オーケーと言わんばかりの飛鳥以外、誰の顔もどこか浮かないように見えた。当たり前のことだが、緊張しているのだろう。環は自分の胸に手を当ててみた。鼓動のスピードは普段通り。私に緊張はない。今までもなかったし、たぶんこれからもないだろう。でも、緊張する人の気持ちは分からなくもない。なんでも初めの一歩は心と体が思うように動かないものだ。きっと皆、今はふわふわして気持ちが悪いのだろう。でも、流されない。自分は自分のプレーをするだけだ。
「集合!」
その時、審判の声が球場にこだました。両校整列し、礼。後攻の東高はそのまま守備についた。ファーストからボールを転がすと、やはり皆動きがどこか硬い。えりかの言う通り守備からリズムを作れるか、環は少し不安になった。
「プレイボール!」
やがてボール回しは終了し、一回の表が始まる。飛鳥が豪快なフォームから第一球を投じた。一番打者はいきなりスイング。ボールは鋭く弾き返された。
「ショート!」
やや強い当たりだが、コースはショート正面。捕球から送球まで余裕を持って動いても楽にアウトにできる。
「あっ……!」
瞬間、短い悲鳴が環の耳に届いた。視界に入ったのは堅実かつ軽快な守備を誇る京が、ファンブルする姿。慌てて拾い直すが、少し横方向に弾き過ぎた。送球しようとする頃には打者走者は一塁を駆け抜けていた。
京ほどの名手がこんなプレイをする――環は少しだけ、自分の体が震えるのを感じた。




