ペンを回して
ただでさえつまらない授業は、六時限目ともなるとさすがに眠くなる。
環は窓の外の風景を眺めながら、これから行われる練習のことを考えていた。
えりかは本気で、上大岡高校に勝てると思っていた。でも現実はそうはいかない。これからどんな練習を積めば、あの完成されたチームに追いつけるのだろう。環には検討もつかない。
でも、そんな環にとっての泥沼のような問題はえりかがきっと答えを出してくれる。自分は自分の仕事をすればそれでいい。環はあの日のボールを自然と思い出していた。右に左に、そして下に曲がりくねるボール。やえの球は確かに全てが一級品だった。ウチの打線が封じ込められたのも頷ける。
でも、環はそれら全てに対してバントを決めた。この結果には自信を持っていいだろう。これから女子野球界でやって行く自信を。
ふと、携帯が震えた。授業中なのは百も承知だが、元より微塵も聞いていない世界の歴史の説明。携帯を覗き見しても環の中ではなんの問題もなかった。
『環ちゃん。急でごめんだけど、今日助っ人お願い出来ないかな?』
環にとって貴重な食いぶち、かつちょっとした楽しみでもある世界からのお誘いだ。環は黒板を見て、それから窓の外を見て思案してから、返事を打った。
『ごめんなさい。今日は部活があって行けません。また、お願いします』
『そっか。急にごめんね。というか、環ちゃん部活始めたんだね。頑張ってね!』
おじさんからの返信はすぐに来た。環は申し訳ない気持ちになりながらも、仕方ないと心の中で呟いた。今は少し、新しく出来た場所に楽しみを覚えつつあるのかも知れないのだ。
やがて退屈な授業が終わり、そしてホームルームも終わると綾香と京が出口で待っていた。今日は掃除もない。さっと二人に合流し、三人横に並んで部室へ歩き出す。
「さあ、今日からどんな練習が始まるでしょうね」
「えりかちゃんのことだから、きっとキツイきつーいメニューが待ってるに違いないよー」
「そうですわね。昨日の試合は特に打てませんでしたから、まずは打撃力強化が急務ですわね」
「そうだねー。でも点を与えちゃダメだ! って考えから地獄のノックの可能性もあるかもー」
京と綾香はそれぞれに今日の練習の内容を想像しては口に出し合う。このチームのかじ取りはよくも悪くもえりか次第。今のところえりかに対して意見するのは京くらいのものだ。果たしてそのかじ取り役は今なにを考えているのか。そんなことを思っている間に部室に着いた。授業が終わるのはあんなに長いのにとりとめのない考えはあっという間に過ぎ去る。でも今の場合、よく考えたら物理的な時間にそもそも大差があるからこの感想は当然だ、などと不要な思案をしながら、茶道室兼女子野球部部室のドアを開ける。
「あーっ、もう決まらないーっ!」
部室のドアを開けた瞬間、怒りにも似た声が届いた。茶道室に似つかわしくない声色に顔をしかめて部屋に入ると、女子野球部のかじ取り役が畳の間の真ん中に正座して頭を抱えていた。
「どうしたんですの、騒々しい」
京が溜め息混じりに鞄を下ろす。綾香は全く動じていない様子で、京が置いた横に鞄を置く。
「あら。早いのね、アンタ達」
「部長様の地獄の特訓メニューを思い浮かべて戦々恐々だったけどね」
環は精一杯の皮肉を利かせたつもりで言った。しかしえりかには効果がないようだった。
「決まらないのよ」
「決まらないって、なにが?」
呻くようなえりかの声に、綾香が不思議そうに聞き返した。
「打線よ」
えりかは声を鋭くして答えた。
「昨日の試合の打線は現状のベストだと思って組んだつもりだったけど、実際に皆の対応を見てると違った形が浮かんで来たわ。でも、どれが最適解か、まだ分からない」
えりかの表情には苦悶の色が浮かんでいた。九人ギリギリしかいない部員を上から順番に並べるだけの作業が、そんなに難しいことなのか。
「まあ、パターンはたくさんあるからじっくり考えることにするわ……ところで京」
えりかは京をきっと見据えて、言った。
「あたしに千本ノックを打ちなさい!」




