今後のご予定は
「ありがとうございました!」
試合終了の挨拶がグラウンドに響く。
ただの練習試合だが、この場所で二校の本気がぶつかったことは確かだ。終わりを告げる挨拶の声には清々しさが含まれているように感じられた。
さて、ここからが面倒だ。荷物を有江先生の車に仕舞って、また長い電車旅を始めなければならない。多くの人で混雑する車内を想像し、環は少し憂鬱な気分になった。
後片付けに入る皆はやや疲れ気味だった。無理もない。チームを組んで初めての実戦の相手がこんな強豪校なのだ。相当に神経をすり減らしたに違いない。
でも、そのおかげで割とまともな結果になったように思える。特に外野の三年生トリオは、ボールがたくさん飛んで来たのにエラーらしいエラーをしなかったのだ。素人上がりでこの結果は立派ではないだろうか。それに、他の皆も守備での乱れはなかった。単純に相手の打力が上だったのと、ピッチャーの投球術が優れていたという結果だ。負けは負けだが、結果としては上々と言えるのではないだろうか。
「や、今日はどうも、ありがとうございました」
片付けをしている東高校ベンチに男性がやって来て言った。彼は確か上大岡高校女子野球部の顧問だ。名前は鹿島淳だったか。
「いい試合でした。また機会があれば、やりましょう」
そう言って穏やかな笑みを浮かべる長身の男性に、有江先生が歩み寄った。
「お疲れ様。ウチの生徒達にとっていい経験になったよ。次回はそっちがウチまで来てくれるかな?」
「え、ええ? 次回があるの……」
「なんだ、自分でそう言ったじゃないか。また機会があればやりましょう、と」
「う、ま、まあ、それは確かに……」
そう言ってニヤリと笑う有江先生に、男性顧問は猫背になって頭をボリボリとかいた。
「先生、ちょっと」
ふと、どこからともなくえりかがやって来て有江先生の肩を叩き、耳打ちした。有江先生は神妙な面持ちで頷き、向こうの顧問に言った。
「済まないが、試合後のミーティングをしたいんだ。ちょっとこの場所貸して貰えるかな」
「あ、ああ、それは別に、構わないよ。ウチらはこのまま練習に入るから、気にしないで使ってくれれば」
有江先生は少しだけ頭を下げ、こちらに向き直った。
「皆、荷物をまとめたらそのままここでミーティングだ。部長から一言あるらしい」
ヘルメットやバットをケースに収めたりキャッチャー道具を纏めたりしていた部員達は一瞬手を止めたが、すぐに返事をしてテキパキと片付けを済ませ、ベンチの前に出て円陣を組んで座った。
「それじゃミーティングを始めます」
えりかがそう言って手を前に組む。そして一人一人の顔を確かめるようにゆっくり見回した。
「今日の試合、ハッキリ言って最悪だったわ」
開口一番、えりかは痛烈な言葉を言い放った。その一言で場に緊張が走った。他のメンバーの顔をチラリとうかがうと、誰もが意外そうな顔をしていた。
「あたしは勝つつもりでここへ来た。でも、ダメだった。とにかく点が取れない。今日の試合、出塁出来たのは環と京だけよ」
努めて冷静に話しているように見えるが、組んでいる手はガッシリと握り締められ、声は心なしか震えているようだった。
「悔しい。とにかく悔しいの。まだ出来たばかりのチームだとか、相手が強豪だとか、そんなのは関係ない。あたしは勝つ気でいたし、最後まで勝てると思っていた。でも、出来なかった」
えりかの独白に、環はなにも言えなかった。環はこの試合、上出来だと思っていたしミーティングではえりかにもそう伝えようと思った。でも、こんな剣幕で話されてはとても切り出せない。
「今日の試合は、純粋に力の差でしてよ」
その時、京がいつもの口調で言った。
「勝ちたいのなら、練習して穴を埋めるしかありません。むしろ五点で済んだ守備の方を今日は褒めるべきではございませんの?」
ともすれば、神経を逆撫でするようにも聞こえる京の言葉。これはケンカになるぞ、と環は身構えた。しかし、えりかのリアクションは意外なものだった。
「そこは確かに注目ポイントだわ。特にエラーゼロ。いろんなポジションにガンガン打球が飛んだにもかかわらずこの結果っていうのは、自信になるわね」
エラーゼロという結果にえりかは満足そうだった。環は心の中で安堵の溜め息をついた。
「でも、そう言われちゃうとちょっとヘコむな。ウチがめった打ちされちゃったから皆の守備機会が増えたんだもんね……」
そう言って会話に割って入ったのは飛鳥だった。溜め息をついて頭を抱えてうなだれてしまう。あぐらをかいているうえにその姿勢を取るものだから、すっかりアルマジロのように丸まってしまっている。その姿は普段の飛鳥の態度とは違ってとても小さい。
「正直、アンタがあそこまで打ち込まれたのがまず想定外だった。勝つためには今のままじゃ足りないわ。帰ったら、あたし達を相手に実戦形式での投げ込みを増やす。その中で新球だったり、既存の球のレベルアップだったりに取り組んで欲しい」
えりかの言葉に、飛鳥は頭を上げず右手だけで応えた。
「そしてチーム全体の課題は打撃力。素振り、ティーバッティング、実戦形式の打撃練習、どんどん取り入れて行くわ。今日のピッチャーくらいは打てるようになりたい……繰り返すけど、あたしはやる以上勝ちしか味わいたくない。これからの練習でしっかり課題を消化していくから、皆宜しく頼むわ」
えりかの言葉に返事はなかった。誰もがなにかを考え込んでいるような仕草を見せている。悔しさを噛み締めているのかも知れないし、これから厳しくなりそうな練習に恐怖しているのかも知れない。
まあでもなんでもいいや、と環は思った。自分自身の結果はよかった。これからも、今まで通りやって行けばいい。
「話は済んだか?」
円陣の外に立っている有江先生から声が掛かった。
「ええ、終わったわ」
えりかが返事をする。有江先生は首を横に曲げて言った。
「樋野部長とやら。試合でも練習でも考えてばかりでは辛かろう。どうだ、せめて試合中のサインくらいは、私が出してやろうか?」
「えっ」
えりかが間の抜けたような声を出した。
「それじゃあ、試合中の戦術はアンタに委ねるってことになるじゃない!」
「そうだ。嫌か?」
「任せっきりは嫌。あたしも考えたい」
「そうだな……まあ、そこは状況に応じて都度話し合えばよかろう。必ずしも私が全て出すわけじゃない、というのでどうだ?」
「……それなら、頼みたいわ」
「決まりだな」
有江先生は満足そうに頷き、一歩前に出た。
「今日の試合、見させて貰った。皆、よく頑張ったと思う。微力ながら顧問として、これからは手助けさせて貰うよ」
「おおー、先生、顧問っぽーい!」
綾香が、場に合わない普段のおっとりした調子で言った。その声をきっかけに、円陣には笑い声が起こった。
「さて、今日は疲れたろう。帰ろう」
有江先生の言葉で皆は立ち上がった。纏めた荷物をそれぞれ持って、上大岡高校が練習しているグラウンドへ挨拶をした。
グラウンド側の通路を通って正門へ向かう。その最後尾、環はバットケースを担いでぼんやりと歩いていた。
「ちょっと」
ふと、誰かに呼び止められる。環が振り向くと、そこには上大岡高校の生徒が立っていた。
「今日の試合、あなただけは止められなかった……でも、次は止める」
それだけ言って彼女は振り返り、グラウンドへ戻って行った。
彼女は確か、上大岡高校のエース、秋月やえ。こんな出来立てのチームのイチ生徒にわざわざ練習を中断して一言残して行くなんて。
「……上等じゃない」
いずれやって来るかも知れない再戦の時を想像して、環は次も決めてやると決意した。




