払暁を待つ深海魚
ザァン、と寄せては返す波。その中を水着の男女がキャッキャと走り回っては海水を手で掬って互いに掛け合う青春ラブロマンス。
バーベキューに勤しむおっさん達がグラスを打ち付けて一気に中身を煽って声を上げて笑い、その間を小さな蟹が横歩きで横切っていく。
キラキラと光る海は砂浜の白い部分と紫紺の部分によって見え方は多少異なるものの、総じてエメラルドグリーンと言って差し支えはなくどこまでも透き通る輝きの海が続いている。その波間に見える色彩豊かな小魚もその数を増すばかりであり、まさしくこれら全てが最高のバカンスを演出していた。
「クーヤ、おやつよ。お食べなさいな」
「!! マリーさんだ!!」
横合いから美しいお手々がジューシィに焼かれた肉串を差し出してきた。そのままかぶりつく。美味い!!
もぎゅもぎゅと肉汁滴るなんとかの肉を堪能しつつ犬小屋から見上げる。うーむ、水着姿のマリーさんとは麗しさが天元突破しているな。真夏の女神だって恥ずかしがって姿を隠すに違いない。
シースルーの真っ赤なパレオに黄金の縁取りが眩い黒い水着。髪には大きな花飾りが付いているし真っ白なおみあしやおててだとて金と紅玉の無くしたら大変なのが一目でわかるようなアクセサリーが惜しげもなく飾り立てており、全体的にゴウジャス極まりないグッドルッキングビューティヴァンパイアであらせられた。なんと麗しい。麗しすぎて目が潰れてしまいかねない。
「クーヤ、その犬小屋が気に入ったの?」
「ここは私のハウスなのです」
まぁ最初はホテルでゴロゴロする気満々だったのだが。いざホテルの適当な部屋で転がってみたらナンカチガウ……となってしまったのだ。最初に犬小屋に入って腰を落ち着けてしまったのが良くなかったのだろう。一度マイホームとして陣取ってしまったらそこ以外をなんとなく避けてしまう、最初に自分の物としてしまった物はどこまで行ってもなんとなく自分の物なのだ。最初に座った席、最初に使った道具、最初に入った部屋。マーキングしたら離れられない。人とはそのようなものなのである。
犬小屋だけではなんなので海の家が横に作られてはいるが。海の家は私の別荘、そしてここが本邸なのだ。良い枕も持ち込んでばっちり快眠だって出来る。
「そう?
ではこれも差し入れよ。お飲みなさいな。
黒き至高の領域にある天上の島へのお誘い、感謝してよ」
「ほむほむ」
犬小屋へ差し入れされたドリンクにちゅーっと吸い付く。うまうま。ドリンクをうまうまする私を見て満足気になされたセレブリティプレシャスヴァンパイア様は優雅に海辺へと歩いていった。後ろ姿も麗しいな。そして海の上では同じく水着に着替えているスポーティ姿のクロウディアさんがいつだったかのジェットクジラを乗り回している。多分奪い合いする気だな。
ドリンクを飲み終わったところでマリーさんが向かった先とは別の場所から大きな歓声が上がる。そちらへ視線を向けると海底から恐竜を引き上げてきたらしい九龍が濡れ鼠になりながらざぶざぶと歩いてきていた。食料調達の一貫だろう。解体してバーベキュー行きと見たね。恐ろしいことに恐竜は恐竜ですぐに海底に適応したらしく恐竜というより海竜になっている。
ギルド嬢達が黄色い声を上げてスケッチし始めたのは見ないふりをしておくべきだろうか。まぁ総裁の半裸は珍しいらしいしな。
ちなみにブラドさんやフィリア、カグラといった限界突破勢はホテルで死んでいる。ウルトはビーチよりもホテルのラグジュアリーフロアが気になるようであの辺に入り浸っているようだ。キラキラしたものが沢山あるからだろう。
そんなこんなでとにかく、トンネル開通して一週間。最初は皆さんあのホラー過ぎる建物からして既に恐る恐るという様子だったが、一晩じっくりこの島で過ごした事で今は慣れたようにビーチでのバカンスに勤しんでいる。魂核、ラムレト曰くの星霊だったか……益虫が漂いまくる島の現状と銀河のように輝く砂浜を見て膝から崩れ落ちてこの神の島を歩き回るのはあまりにも恐れ多い、人が歩いていい場所ではない無理です絶対無理ですと半狂乱になって泣き言を喚いているのも何人かいたが。宥めすかして上陸させればなんとかなったようだ。無理やり砂に足を付けた瞬間に泡を吹いてぶっ倒れたのも居るらしいがそれは些末な問題だ。
さて、今この島に居るのは数十名程。
現在トンネルが繋がっている場所で人が居るのは自由都市と綾音さんの居る北の街、そしてユグドラシルのみ。そこである程度の上役で丁度休日だった連中が来ているようだ。とは言っても綾音さんの街は皆さん冬眠中だったので来ている人は居ないが。逆にユグドラシルの方からは結構な人数が来ており、島に今居るのも大半がユグドラシルの住人だ。
ベビーブームとなっているユグドラシルの方はあの人数とあの物資の量ではどう足掻いても無理というところだったのを住人達の睡眠とか食事とか健康とか寿命とかそういうものを犠牲にして回していたようだが、現場を見たお偉いさん達によりこれ以上は流石にNGとなったらしくベイビーズとそのママン達は移動できる方々から順次自由都市の方へ移動と相成ったらしい。まあ産まれた赤ん坊と同じ人数の死人が出そうな勢いだったしな。自由都市の常設仕事として子守りが出されているようだが、それとは別でボランティアで進んで世話を焼きたがっているのが大量に居るらしくベイビーズはまさにこの世の春どころではない至れり尽くせりで丸々と肥えているらしい。まぁ栄養満点なのはいいことではあるか。
犬小屋から海の方を眺める。皆さん思い思いに満喫しているようであるが……なんかちょっと偶に不穏な会話が聞こえてくるのはなんなんだろう。気のせいか?
海の向こうを観測しながらあっちにいそう、こっちにいそう、そろそろ来るんじゃね的なことを言っているのだ。
何度かクラーケン的なヤツとか大蟹的なヤツとかが来ているが、それとは別件の気配を感じている。
ちなみに私が犬小屋に引き籠もっている理由はそのクラーケンと大蟹のせいである。あんな恐ろしいものが上陸してくるなんて聞いてない。いや聞いたっけ……?
とにかく、私はあんなのが来る海浜になど行きたくないのだ。この犬小屋でまったりさせてもらう。
貢物……なんでか捧げられている食べ物入れを漁る。この謎の食べ物入れの祭壇、犬小屋の傍に設置されているがちょっと邪魔である。む、ゲソ発見。クラーケンは恐ろしいが足は美味い。うまうま。
ペロリと食べて一息つく。遠くに波の音、ジューシィな香り、楽しげな笑い声が響くビーチを尻目にのんびりと丸くなる。持ち込んだ枕もひんやりしていてこれは……良い感じに入眠するかもわからん。ふわーと意識が薄れていく。ムニャ、ムニャ……。
「……………………………………」
ざくり、と砂を踏みしめる音で意識が浮上した。ムニムニと目を擦ってそろりと顔を出す。逆光の中、こちらを見下ろす光のない作り物染みた碧緑の瞳と目が合った。潮風に煽られ、暗く沈んだような空色の髪が揺れる。
「クロノア君ですな。どうしました?」
言ってから思ったがどうしたもこうしたもそういやマリーさんがなんかクロノアが会いたがっていてよとおっしゃってたな。
いつもと違ってパーカー姿のクロノア君を眺めてからもぞもぞと這い出て上半身だけ出す。ちょっと考えてから枕を差し出した。おもてなしの心を発露させるべく。
「こちらをどうぞ」
「…………………………」
黙って私が差し出した枕を受け取り、犬小屋の隣に腰掛けてくる。枕は抱えたままだ。
互いに無言の時間がただ過ぎていく。クラーケンと大蟹はともかく、実に平和だ。遠くの波を見ながらくあーと欠伸を一つ。そこでふと気付く。……フリップとかいるのでは?
そういえばクロノア君が喋っているのは見たことがない。これ普通に喋れないヤツでは?
いかん、おもてなしの心どころではない。犬小屋になんか紙とかあったっけ?
回転して紙とペンを求めて犬小屋を漁ろうとしたところで、聞いたことのない声が耳に届いた。
「なんと声を掛ければいいのか、ずっと悩んでいた」
「……………………?」
漁るのをやめて犬小屋の中で回転して再び顔を出す。波の音が響く中、遠くを見つめるようにしながら静かに座る姿は見た目の若々しさに反してどこか疲れ切った老人のようであった。
その唇が開く。
「貴女に会うのは二度目だ。私はクロノア、クロノア゠オルビス゠ラクテウス。
……覚えているだろうか」
「キエエェエアァァアシャァベッタアァァ!!」
叫ぶ。実は喋れんのかい!!
……はっ、これは真面目な話か? 真面目な話っぽいな。大人しく聞いておくべきだろうか。
丸まりなおして続けてとジェスチャーしておく。えーと、えーと、なんだっけ、そうだったクロノア君の名前か。大丈夫だちゃんと覚えてるぞ。いやでも二度目と言ったか?
最初の一回目は……そうかあの時か。クロノア゠オルビス゠ラクテウス。私という存在が一番最初に個として認識し、そして目を合わせて見つめた人間。
「覚えてます覚えてます、覚えてますドーゾ!」
「…………私は貴女にもう一度会う為に、その為に生きてきた。
その為だけに、何度も何度も繰り返し、命を繋ぐ事以外の全てを不要としてきた。
私は時の終わりまで生き、アレクは過去から歩き続ける。体感としては最早どれほど歩いたか、もう私にもわからない。
だが………………」
「お、おお…………?」
お、思いのほか重たい話がきたな……。初っ端ぶっこんでいい質量かこれ?
あと一人称が私なのか。意外だな。でも俺とか言うクロノア君想像つかないな。ならいいか。
アレク、キノコ勇者か。キノコ勇者はあの空中庭園を踏破し時を遡り可能性を切り替え続ける。そしてクロノアくんは観測者として時の終わりまで生き続けて未来で待つ。なるほどその様にして良い感じに破滅を回避し続けていたのか。クロノアくんは悠久の果てから結果を過去へ送り出し、それを元にキノコ勇者は動いていた。恐らくだが世界の崩壊を何度も何度も見届けたのだろう。何度繰り返したのかはわからないが、それはきっと綱渡りのような旅路だったのではないだろうか。私や悪魔は時間の外にいる存在だ。私達にとって物質界の時の流れなど何の影響もない。
だが、彼らにとってはそうではない。アスタレルだって言っていた。永い時が流れた、と。どれほどの時を彼らは歩き続けたのだろうか。悪魔達が私を見つける、そして私が戻ってくる。その間に物質界が枝葉一本であっても保っていたのは間違いなくこの二人の血反吐を吐くような歩みの上に成り立つ、一つの奇跡なのだろう。あの時に私をコロコロしたように二度目の奇跡をその手に。勇者すごいな。すごすぎて怖い。
クロノアくんはゆっくりとその手で顔を覆う。表情は伺いしれず、震える声だけが溢れて落ちる。
「全てが無かった事になるのならば命など惜しくない。贖罪の為ならばなんでもしよう。私は道を誤った。子供じみた憧憬の為、取り返しの付かない事をした。
何をしてでも成さねばならないとあの時に決めた。心折れる事などあってはならない。全身全霊を懸けて歩き続けなければならない。魂が擦り切れ朽ちたとて、僅かな破片となったとて、もう一度だけ。
しかし、こうして貴女に再び会えた事でわからなくなってしまった」
「む、むむ……?」
「…………私はただ、貴女に謝りたかった。その為だけに、今まで生きてきたんだ。
なのに────────」
あのキノコ勇者と共に永い永い旅路を歩き続けて、疲れ果てた勇者がこちらを振り向く。
蒼く輝く海を背に、なんとも言えない、魂に焼き付く悔恨を宿した眼差しだけが私を見つめた。
その胸元をツギハギだらけの手が握り込んでいる。
「貴女はあまりにも巨大で優しすぎた。謝罪すれば貴女は許すのだろう。それがわかってしまった。貴女にとって私達のした事は些末な出来事なのだろう。小さな蟻が爪先に足を乗せた程度の。
私は謝罪することなど永遠に出来はしないと悟った。簡単に許されてしまうとわかっていてどうして言えよう。
…………何を言えばいいのか、何をすればいいのかわからなくなってしまったんだ、本当に。
申し訳ない、これすらただの泣き言でしかない……。
自らの行いの結果を拭い去る事も出来ず、全てを貴女に背負って貰い迷惑を掛けている上にこの始末、本当に救いようがない……」
「ヌヌヌ……!!」
そう言ったきり、クロノア君は再び海の方向へ顔を背けてしまった。こ、これは難しい問題だぞ。どうする、どうする私。助けてレガノア!
別に良いけど、言うのは簡単だがこれはちょっと尋常じゃない様子のクロノア君が死にそうな顔になるのが目に見えている。
かといって如何にも気を使ってまーすとばかりに無言が続くのもアカンやつだな?
じゃあ地獄に落ちてもろて、というのもアレである。私が悩んでいるのを察したのか、クロノア君は少しこちらを見て申し訳なさそうに少しだけ笑った。無理をしているんだろうなと私でもわかる顔だった。
「…………すまない。困らせるだけなのも、わかってはいたんだ」
「お、おう…………?」
私は一切合切、全く気にしていないのでこれは本当に困った。死んだって別に。それにこう……言ってはなんだがこの状況はクロノア君のせいでもアレクのせいでもないのだ。確かにきっかけはそうだったのだろう。
だが、クロノア君とアレクが望んだ死を超越し嘆きと苦しみのない世界というのはぶっちゃけあの時点で王手は掛かっていたのだ。というよりあれしか無かったと言って良い。私の消滅とレガノアの奇跡。人が望む夢物語のような永遠の平和を享受出来る世界、それは確かに実現するところまで至っていた。物質界というものが創生されてから途方も無い時を経て、病、老い、飢餓、争い、簒奪、支配、衰退、死、エントロピー。それら全て、凡そあらゆる生命が乗り越えたいと願うであろうこの次元に設定されたあらゆる厄災。困難の全てを乗り越えた唯一無二と言っていい至上の枝に至る寸前だったのだ。
結果として今そうなっていないのはひとえに、人間というものがクロノア君とアレクが思う程に善良では無かったという一点に尽きてしまっているのだ。何せ二代目とはいえ、どんな奇跡だって叶えられる状態になっているのだ。それなのにそうなっていないのは今の状態を人間が望んだからに他ならない。人は己の下で苦しみ藻掻く者達が居ることを望み選んだ。レガノアと悪魔のやらかしはともかくとして世界の現状が格差と差別と搾取と繁栄と享楽で満たされている理由というのはそれだけでしかない。
…………いや、クロノア君とアレクは多分だがとうにこの世界の人間に絶望してしまっているんだろう。どんな奇跡をも叶える夢のような力、それを与えられた人々は世界の為にその力を使う事を今この時に至るまで一度も選んだ事がない。フィリアやカグラ、たった二人すら一度だって救われないままずっと生きてきたのだから。
だからきっと、もう人間の為などという感情は無いのだろう。こうして天命に抗い血反吐吐いて歩き続けたのはもはや人の為などではない。逆に全てを無かった事にして奇跡の力を取り上げようと動いていたくらいなのだ。
本当に私への謝罪の為だけに生きていたんだろう。もう一度、悪魔連中が奇跡を掴んで私が戻って来ることを祈り、願い、許される為ではなくただ謝る為だけに。
………………困ったな。ご飯美味いからいいぞとか言ってなんとかなるだろうか?
あまり無言でいるとクロノア君が益々追い詰められてしまうのでは? あの慚愧に堪えないとばかりの顔。今すぐ腹でも切りそうな勢いだ。私ですらヤバいなーとわかる空気がある。私はサバ読んでみっちゅなのでそんな複雑な感情を持ち合わせていない。ウーン……。
ちょいと熟考。ここは一つ、先延ばしにするとしよう。そうしよう。あとだいぶこう、悪魔とレガノアのせいなので。あいつらクロノア君に謝ったほうがいいんじゃないか? 特にレガノア。クロノア君というトンデモ勇者を私殺害に誘導する為に絶対に干渉したぞあの女神め。……いや私だな。レガノアは私だった。なんでだ、解せぬ。今の私は違うだろ。でもしょうがない。愛知らぬ女神が何の奇跡か、愛を得たのならばもう諦めろしか言うことない。
私にもいつか奇跡が起こる事を信じてこれからの私にご期待ください。ヨシ。
「クロノア君クロノア君」
腕を伸ばしてちょいちょいとパーカーの裾を引っ張る。静かにこちらへ振り向いたクロノア君を見上げた。
「今は気にすることないのです。殺された事はまぁ、正直なところどうでもいいので……。何も感じないし……。悪魔連中はうるさいだろうけど。
まぁでもいつしか私も奇跡のような進化と成長を経て、人間も驚きのモーレツゴッドとなって感情を理解しそして精神性を手に入れるでしょう。
その時が来た時にこそチャンスなのです。未来の私に乞うご期待なのだ」
ぴすぴーす。ダブルピースで賑やかしておく。元気出せクロノア君。
私のダブルピースをしばし無言で見つめていたクロノア君はやがてそっと私の手に触れてから遠く、蒼穹の空を見上げて波音に掻き消されそうな小さな声で呟いた。
「………………貴女は優しいな」
まあ暗黒神ちゃんだからな。アリンコのような生命体にも幸あれ。
そして崇め奉れ!




