強さの値段
ホーンウルフを殺した日から、数日が過ぎた。
夜中に飛び起きるほどではなかったが、剣を握ると時々あの感触を思い出した。
肉を斬った時の重さ。
血の匂い。
最後に動かなくなった身体。
訓練用の木剣では、絶対に知ることのない感覚だった。
「止めますか?」
バルトが聞いた。
朝の訓練場。
俺は木剣を構えたまま、首を振った。
「やる」
「無理をする必要はありません」
「無理じゃない」
少し怖い。
でも。
だからといって剣を捨てるつもりはなかった。
むしろ逆だ。
あの日、俺が何もできなければミリアが襲われていた。
もっと強ければ。
もっと落ち着いて動ければ。
危険になる前に終わらせることだってできたかもしれない。
「お願いします」
俺が言うと、バルトは何も言わず木剣を構えた。
◇
以前より訓練量を増やした。
ただ、無茶をするとイリスとバルトの両方に怒られるので、勝手に時間を増やすことはできない。
その代わり。
俺は1回1回の訓練を、以前より考えるようになった。
剣を振るだけではなく、なぜ当たらなかったのか。
魔法を撃つだけではなく、どれくらいの魔力を使ったのか。
前世でも、仕事ではよく言われた。
考えろ。
改善しろ。
同じ失敗をするな。
あの上司に言われると腹が立ったが、言葉そのものが間違っていたわけではない。
それを認めるのも腹立たしい。
だから誰にも言わない。
俺は自分で考えたことにしておく。
◇
「最近、また訓練増えたでしょ」
午後。
庭で薬草を並べていたミリアが、こちらを見ずに言った。
「なんで分かるの?」
「手」
「手?」
「豆増えてる」
自分の掌を見る。
確かに増えている。
「よく見てるな」
「治療師になるかもしれないんだから、そういうの見るの」
ミリアが俺の手を取った。
小さな瓶から薄緑色の軟膏を取り出し、掌へ塗る。
「冷たっ」
「我慢して」
「これ何?」
「薬草を潰したやつ」
「毒じゃない?」
「試してみる?」
「もう塗ってるだろ」
ミリアが笑った。
以前と何も変わらない。
ホーンウルフに襲われたことも、怖かったはずだ。
でも俺の前では、あまりその話をしない。
「この前さ」
ミリアが小さな声で言った。
「うん」
「助けてくれてありがと」
手を塗りながら言う。
俺は少し黙った。
「別に」
「ちゃんと言った方がいいってお母さんが言ってた」
「じゃあ、どういたしまして」
ミリアが笑う。
「約束守ったね」
「約束?」
「私を守るって言ったじゃん」
覚えていたらしい。
「まだ1回だけだけど」
「1回でも守ったでしょ」
「じゃあ俺が怪我したから、ミリアも約束守ってよ」
「今やってるじゃん」
確かに。
ミリアが俺の手へ包帯を巻く。
少し不格好だった。
「下手だな」
「じゃあ自分でやれば?」
「治療師になるんじゃないの?」
「まだ8歳なんだから仕方ないでしょ」
俺たちは笑った。
あの日から残っていた嫌な感覚が、少しだけ薄れた気がした。
◇
その日の夜。
父の執務室へ呼ばれた。
珍しい。
中には父と母がいた。
何か怒られるのかと思ったが、そうではなかった。
父が机の上へ1本の剣を置いた。
子供用の短剣。
鞘は黒く、柄にはラグナード家の紋章が刻まれている。
「これは?」
「お前のものだ」
驚いた。
「いいの?」
「今回の件で、バルトから報告を受けた」
父が俺を見る。
「まだ8歳だ。積極的に戦わせるつもりはない。しかし、この領地に住む以上、何が起こるか分からん」
それは理解できる。
「持っておけ。ただし抜く時は、自分が何をするのか理解してから抜け」
俺は剣を受け取った。
思ったより重かった。
木剣とは違う。
本物だ。
「ありがとうございます」
頭を下げる。
母は少し心配そうな顔をしていた。
「できれば使う日が来ない方がいいわ」
「うん」
俺もそう思う。
強くなりたい。
でも。
戦いたいわけではない。
この2つは、似ているようで違う。
俺は剣を抱えながら、自分の部屋へ戻った。
◇
それから間もなく。
領地の北側にある小さな集落が、魔物に襲われた。
死者は11人。
以前なら、
怖いな。
それだけで終わっていたかもしれない。
でも今は違う。
11人。
それぞれに家族がいて。
名前があって。
昨日まで普通に生活していた。
そう考えるようになった。
父が忙しくなり、騎士たちが頻繁に屋敷を出入りする。
その姿を見ながら。
俺はもう一度、自分の剣を握った。
この世界は危険だ。
だから。
自由に生きたいなら。
まず。
自由を選べるだけの力を持たなければならない。
逃げたい時に逃げられる力。
守りたいものを連れて逃げられる力。
そして。
逃げられない時に、戦える力。
俺が欲しいのは。
きっと、そういう強さだった。




