剣と魔法の世界
3歳になった。
そこまで来ると、
さすがに赤ん坊扱いされることも
減ってきた。
言葉も普通に話せる。
文字も少しずつ読めるようになった。
俺にとって幸運だったのは、
前世の記憶がそのまま残っていたことだ。
もちろん、
この世界の文字や歴史については
1から覚える必要がある。
だが、
勉強の仕方そのものは知っている。
おかげで文字を覚える速度は、
かなり早かったらしい。
「ルーク様は本当に
覚えるのがお早いですね」
家庭教師のセルヴィンが感心したように言う。
40歳くらいの男性で、
細い眼鏡をかけている。
ラグナード家に仕える文官で、
俺の教育係も担当していた。
「昨日教えた文字を、
もう全て覚えているとは」
「これくらい普通じゃないの?」
「3歳のお子様としては、
普通ではありませんね」
そうなのか。
やりすぎたかもしれない。
転生ものなら、
幼児の頃から天才扱いされるのは
定番なのかもしれない。
前世ではそんなものは
小説の中だけだったが、
今まさに自分がその状況にいる。
とはいえ、
あまり目立ちすぎるのも面倒だ。
今度から少し間違えておこう。
そんなことを考えながら、
俺は机の上の本を見る。
この世界については、
だいぶ分かってきた。
俺が生まれた国は、
アストリア王国。
その北東部に位置する
ラグナード辺境伯領。
父ガイウス・ラグナードは、
その領主だった。
つまり。
俺は辺境伯家の長男。
普通に考えれば、
将来はこの領地を継ぐことになる。
それを知った時。
最初に出た感想は。
面倒くさい。
だった。
せっかく会社員じゃなくなったのに、
今度は領主だ。
前世より責任が重いじゃないか。
領民。
税。
兵士。
他の貴族との付き合い。
まだ3歳だというのに、
未来の予定がすでに決められている。
冗談じゃない。
今度こそ自由に生きる。
そう決めたのだ。
領主なんて、
できればやりたくない。
とはいえ今すぐ、
「家を継ぎたくありません」
なんて言えば、
確実に騒ぎになる。
だから。
今は黙っておく。
幸い。
俺には弟ができた。
名前はカイル。
少し前に生まれたばかりで、
今は母の腕の中で眠っている。
「小さいなぁ」
ベッドを覗き込みながら言うと、
母が微笑んだ。
「ルークも、
少し前まではこのくらいだったのよ」
「本当に?」
「ええ」
「覚えてないな」
「普通は覚えていないものよ」
俺は覚えている。
下の世話をされた屈辱まで、
しっかり覚えている。
あれだけは早く忘れたい。
眠るカイルを見る。
……こいつがいるなら。
将来、
家を継いでもらうことも
できるんじゃないか?
もちろん。
まだ何年も先の話だ。
本人の気持ちもある。
だが俺の中で、
自由な人生
というものが、
少しだけ現実味を帯びてきた。
◇
この世界には、
魔法が存在する。
3年間調べた結果、
それは間違いなかった。
しかも魔法は、
一部の特別な人間だけが使えるものではない。
程度の差はあるが、
多くの人間が魔力を持っている。
火。
水。
風。
土。
この4つが、
一般的な基礎属性。
そこから適性によって、
雷。
氷。
治癒。
光。
闇。
など、
様々な系統に分かれるらしい。
ただし。
ゲームみたいに、
火魔法Lv1
なんてものが
表示されるわけではない。
自分の魔力量も、
数字では分からない。
魔法はあくまで技術だった。
魔力を感じる。
集める。
形を作る。
現象へ変える。
簡単な火を灯すだけでも、
それなりの訓練が必要らしい。
その話を聞いた俺は。
当然。
やりたくなった。
めちゃくちゃやりたくなった。
3歳児らしく、
「魔法教えて!」
と母に頼んでみた。
だが。
「まだ早いわ」
即答された。
「どうして?」
「魔力を扱うには、
身体がまだ小さすぎるの」
「ちょっとだけ」
「駄目です」
「火だけ」
「もっと駄目です」
正論だった。
火を使う3歳児。
自分で言っておいて、
危険すぎる。
しかし。
諦めきれない。
そこで俺は、
セルヴィンに聞いた。
「魔法って何歳から使えるの?」
「一般的には、
5歳から7歳頃でしょうか」
「そんなに待つの?」
「そんなにと言われましても……」
セルヴィンが苦笑する。
「魔力を無理に動かせば、
身体へ負担がかかります」
「死ぬ?」
「最悪の場合は」
やめよう。
自由に生きるために転生したのに、
魔法の練習で死んだら
さすがに笑えない。
「では、
魔法について勉強するのはいかがです?」
「勉強?」
「使うことはできなくとも、
知識を身につけることはできます」
「やる」
即答した。
こうして。
俺の魔法の勉強が始まった。
◇
魔法を学び始めて、
驚いたことがある。
魔法は、
俺が想像していた以上に万能だった。
火を出す。
水を出す。
風を起こす。
その程度だと思っていた。
ところが。
治癒魔法。
結界魔法。
探知魔法。
身体強化。
さらに高度なものになると、
空を飛ぶ魔法。
物を遠くへ転送する魔法。
幻を見せる魔法。
そんなものまで存在するらしい。
「転移魔法もあるの?」
「存在はします」
セルヴィンが答える。
「では、ここから王都まで
一瞬で行ける?」
「私には無理です」
「使える人は?」
「ほとんどおりません。
極めて高度な魔法ですから」
なるほど。
何でもできる代わりに、
誰でも何でもできるわけではない。
それくらいがちょうどいい。
「じゃあ、
剣はいらないんじゃない?」
俺が聞くと、
セルヴィンが首を振った。
「それは大きな間違いです」
「そうなの?」
「優れた剣士は、
魔術師が魔法を完成させるより先に
首を落とします」
怖いな。
「それに騎士たちは、
魔力を身体へ流して戦います」
「魔法を使う剣士?」
「少し違いますが、
似たようなものですね」
興味が湧いた。
その日の授業が終わった後。
俺は屋敷の訓練場へ向かった。
そこでは十数人の兵士が、
剣を振っている。
木剣ではない。
本物だ。
金属の剣がぶつかり合う。
ガァン!
激しい音。
俺は思わず足を止めた。
1人の兵士が踏み込む。
速い。
3歳児の目でも、
明らかに普通ではないと分かった。
身体が一気に前へ飛ぶ。
そして。
剣が振り下ろされた瞬間。
バンッ!
風が弾けた。
相手の兵士が数メートル吹き飛ぶ。
「……すげえ」
思わず声が漏れた。
「何してる、ルーク」
後ろから声を掛けられた。
振り向く。
父だった。
いつもの貴族服ではない。
鎧を着ている。
腰には長い剣。
近くで見ると、
やはりかなり大きい。
「父上」
「訓練を見に来たのか?」
「うん」
父が俺の隣に立つ。
「今のは魔法?」
「違う」
「でも吹き飛んだよ」
「身体強化だ」
父が腕を組む。
「己の魔力を身体に巡らせ、
筋力や速度を高める」
「誰でもできる?」
「鍛えればな」
「父上も?」
父が笑った。
「見たいか?」
「見たい」
即答。
父は訓練場へ降りた。
兵士たちが道を開ける。
父が1本の木剣を手に取る。
向かいに立ったのは、
さっき相手を吹き飛ばした兵士だった。
「団長。
本気ですか?」
「構わん。
来い、バルト」
バルトと呼ばれた男が、
苦笑しながら剣を構える。
次の瞬間。
姿が消えた。
いや。
消えたように見えた。
ドンッ!
地面が鳴る。
父がバルトの目の前にいた。
木剣が振られる。
バルトが受ける。
バキッ!
木剣同士がぶつかっただけなのに、
バルトの持っていた剣が折れた。
折れたというより。
砕けた。
「…………」
俺は口を開けたまま、
動けなかった。
父が戻ってくる。
「どうだ?」
「……父上って強いの?」
「そこそこだ」
嘘つけ。
兵士たちの顔を見る。
全員、
どこがそこそこだ
という顔をしている。
その瞬間。
俺の中で、
何かが決まった。
魔法。
剣。
どっちかじゃない。
両方だ。
剣が使えない時は魔法。
魔法が使えない時は剣。
遠くの敵には魔法。
近くの敵には剣。
どんな状況でも、
生き残れるようにしておく。
前世の俺には、
選択肢が少なかった。
仕事を辞めればどうなる。
転職できるのか。
収入は。
生活は。
そんなことばかり考えて。
結局、
我慢し続けた。
でも。
この人生では違う。
嫌なら逃げる。
行きたくないなら行かない。
そのためには。
どこへ行っても、
自分1人で生きていける力が必要だ。
「父上」
「なんだ?」
「俺も剣を習いたい」
「まだ早い」
またか。
「何歳から?」
「5歳だ」
「魔法と一緒じゃん」
「何を言っている?」
「なんでもない」
あと2年。
長い。
だが。
それくらいなら待とう。
前世では、
何年も嫌な上司に耐えたんだ。
2年くらい。
どうってことない。
そう思いながら、
もう一度訓練場を見る。
剣。
魔法。
魔物。
俺がいた世界とは、
何もかもが違う。
そして。
この頃の俺は、
この世界について
もう1つ重要なことを知った。
屋敷の書庫で読んだ、
1冊の地図。
アストリア王国。
俺たちの暮らす
ラグナード辺境伯領。
その東側。
大きな山脈を越えた先が、
黒く塗られていた。
そこに書かれていた文字。
――魔王領。
「近っ」
思わず呟いた。
自由に生きるためには。
どうやら剣と魔法を覚える必要が、
本当にありそうだった。




