二度目の人生は赤ん坊から
眩しい。
最初に感じたのは、それだった。
白い光が目に刺さり、
反射的に顔を背けようとする。
だが、身体が思うように動かない。
首に力が入らない。
腕を動かそうとしても、
妙に短くて重かった。
「――――!」
誰かの声が聞こえる。
女の声だ。
何かを言っているようだが、
意味がまったく分からない。
……なんだ?
ここはどこだ?
確か俺は車を運転していた。
助手席では部長が、
いつものように俺を詰めていた。
そして前から、
大型トラックが突っ込んできて――。
そこまで思い出した瞬間、
全身が震えた。
死んだ。
俺、死んだよな?
あの距離だ。
避けられるはずがない。
「――――」
再び声が聞こえた。
ぼやけた視界の向こうに、
女性の顔が現れる。
金色に近い淡い髪。
綺麗な人だった。
俺の顔を覗き込みながら、
涙を浮かべて笑っている。
誰だ、この人。
声を出そうとした。
「……あぅ」
出てきたのは、
自分でも驚くほど高い声だった。
……は?
もう一度。
「あ、あぅ……」
いやいや。
待て。
なんだ、この声。
女性が嬉しそうに俺を抱き上げる。
その瞬間、
自分の手が視界に入った。
小さい。
信じられないほど小さい。
指なんて、
女性の指の半分もない。
……まさか。
嫌な予感がした。
いや。
嫌なのかどうかも、
まだ分からない。
自分の身体を見る。
小さな腕。
小さな足。
何か柔らかい布に包まれている。
赤ん坊。
どう見ても、
俺は赤ん坊だった。
「うそだろ……」
と言ったつもりだった。
「あぅぅ」
やっぱり声にならない。
女性が笑った。
そして俺の額に、
そっと口づけをする。
その近くには、
大柄な男が立っていた。
30代後半くらいだろうか。
短い黒髪。
がっしりとした体格。
頬には古い傷まである。
どう見ても、
会社員ではない。
男は俺を見ながら、
何かを言った。
「――――――」
全然分からない。
英語でもない。
中国語でもない。
少なくとも、
俺が知っている言葉ではなかった。
ここで、
ようやく理解し始めた。
病院じゃない。
そもそも部屋がおかしい。
壁は白いクロスではなく、
大きな石を積み上げたもの。
天井には木の梁が見える。
照明らしきものもない。
それなのに、
部屋の中は妙に明るかった。
視線を動かす。
壁に、
淡い光を放つ石が埋め込まれている。
……電気じゃないよな、あれ。
映画のセット。
そう考えるには、
あまりにも出来すぎていた。
女性。
大柄な男。
俺を囲んでいる数人の使用人らしき人たち。
誰もスマートフォンなんて持っていない。
服装も、
現代日本とはまるで違う。
そして何より。
俺が赤ん坊だ。
夢。
最初はそう思った。
事故の直前に見ている、
ものすごく長い夢。
あるいは病院で意識不明になっていて、
頭の中で訳の分からないものを
見ているのかもしれない。
そう思いたかった。
だが。
1日経っても。
3日経っても。
1週間経っても。
俺は赤ん坊のままだった。
◇
赤ん坊というのは、
想像以上に暇だった。
身体は動かない。
言葉も喋れない。
眠くなれば勝手に眠る。
腹が減れば泣く。
下の世話までされる。
最初の数日は、
精神的にかなりきつかった。
何せ前世では、
いい歳した社会人だったのだ。
それが今では、
知らない女性に抱き上げられ、
飯を食わせてもらい、
着替えさせてもらっている。
羞恥心というものを、
人生でここまで邪魔だと思ったことはない。
ただし。
悪いことばかりではなかった。
まず。
会社に行かなくていい。
これは大きかった。
朝起きても、
メールを確認する必要がない。
着信に怯えなくていい。
商談もない。
売上目標もない。
会議もない。
そして。
部長がいない。
これだけで、
世界が輝いて見えた。
あいつと一緒に死んだことだけは
最悪だったが、
もし本当に別の人生を
やり直しているのなら。
少なくとも今度は、
あいつとは関係ない人生を歩める。
そう考えた瞬間。
赤ん坊になったことすら、
少し悪くないように思えた。
――今度こそ、
好きに生きよう。
それが、
二度目の人生で最初に決めたことだった。
◇
時間だけは大量にあった。
だから俺は、
周囲の会話をひたすら聞いた。
赤ん坊の耳というのは、
思った以上によく働く。
毎日のように聞いているうちに、
少しずつ言葉の意味が分かってきた。
どうやら俺を抱いている女性は、
母親らしい。
名前はエレナ。
黒髪の大柄な男は父親。
ガイウスというらしい。
そして俺には、
ルーク
という名前が付けられた。
ルーク・ラグナード。
どうやらそれが、
今世の俺の名前らしい。
ラグナード家というのは、
それなりに偉い家のようだった。
屋敷は広い。
使用人も多い。
父親のところには、
毎日のように武装した男たちがやってくる。
俺の世話をよくしてくれる女性もいた。
「ルーク様、
今日はご機嫌ですね」
名前はマリア。
20代くらいの女性で、
俺専属の乳母のような立場らしい。
当然、
最初は何を言っているか分からなかった。
だが数か月経つ頃には、
名前。
食事。
眠る。
父。
母。
その程度の単語なら、
何となく理解できるようになっていた。
人間、
必要に迫られると何とかなるものだ。
それからさらに月日が過ぎた。
ハイハイができるようになり。
立てるようになり。
そして。
「かあ……さま」
初めてまともに言葉を発した時。
母が泣いた。
「ガイウス!
今、ルークが!」
「聞いた!」
父まで飛んできた。
大げさだな。
そう思ったが、
2人があまりにも嬉しそうなので、
何となく俺まで嬉しくなった。
前世の両親を思い出した。
仕事が忙しくなってから、
実家へ帰る回数も減っていた。
最後に顔を見たのは、
いつだっただろう。
少し胸が痛んだ。
戻れるのか。
そもそも前の世界は、
どうなったのか。
考えても答えは出ない。
だったら。
今は、
この人たちの子供として生きよう。
そう考えることにした。
◇
俺が1歳を過ぎた頃。
決定的な出来事が起きた。
その日は母の膝の上で、
絵本を見ていた。
文字はまだ読めない。
だが、
絵を見るだけでも面白かった。
竜。
剣を持った騎士。
角の生えた人間。
巨大な狼。
ファンタジーそのものだ。
その時。
バンッ!
突然、
部屋の扉が開いた。
「奥様!」
飛び込んできたのはマリアだった。
かなり慌てている。
母が立ち上がる。
「どうしたの?」
「庭で魔力灯が破損したそうです。
今、魔術師を呼んでおります」
……ん?
今。
なんて言った?
魔力灯?
俺は母の腕の中から、
窓の外を見た。
庭の一角に、
使用人たちが集まっている。
その中に、
見慣れない老人がいた。
灰色のローブ。
長い杖。
老人が何かを唱える。
次の瞬間。
杖の先から、
青白い光が浮かび上がった。
俺は固まった。
光は空中を漂い、
壊れた石のようなものへ吸い込まれる。
そして。
消えていた庭の灯りが、
再び輝き始めた。
「…………」
俺は瞬きも忘れて、
それを見ていた。
LEDじゃない。
懐中電灯でもない。
明らかに。
魔法だった。
心臓が早くなる。
剣。
鎧。
知らない言葉。
石造りの屋敷。
そこに。
魔法。
認めるしかない。
ここは。
本当に俺がいた世界とは、
別の世界だ。
母が俺の顔を覗き込んだ。
「ルーク?」
俺は庭を指差した。
「……あれ」
「あら。
魔法が気になるの?」
魔法。
今、はっきり聞き取れた。
俺はもう一度、
庭を見る。
老人が杖を振る。
小さな火が生まれた。
鳥肌が立った。
――すげえ。
前世で見ていた映画でも。
ゲームでもない。
本物だ。
そして同時に、
俺の頭の中に1つの考えが浮かんだ。
この世界には魔法がある。
なら。
俺にも使えるんじゃないか?
会社もない。
部長もいない。
そのうえ魔法まである。
思わず笑った。
母はそんな俺を見て、
優しく笑い返してくる。
この時の俺はまだ、
何も知らなかった。
この屋敷が、
人間の国でも最も危険な地域の1つに
建っていることも。
父が毎日のように武装した兵士と
話している理由も。
そして。
窓から遠く見える山脈の向こう側に。
魔族の国が存在していることも。
その頂点に。
魔王と呼ばれる存在が
君臨していることも。




