14歳の実戦
ミリアが死んでから、1年が経った。
季節は何度か巡り、俺も14歳になった。
あの日以降も、生活そのものが大きく変わったわけではない。朝になれば剣を振り、昼はセルヴィンから領地や歴史について学び、午後になればイリスと魔法の訓練をする。
ただ、俺自身は少し変わったと思う。
以前の俺は、できるだけ早く強くなろうとしていた。
強くなれば自由になれる。
どこへでも逃げられるし、大切な人間を守れる。
そう考えていた。
その考え自体は今も変わっていない。
でも、焦って剣を振り続けたところで、翌日突然父より強くなるわけじゃない。
魔力を使い切るまで魔法を撃ったところで、魔王に届くわけでもない。
結局俺にできるのは、昨日できなかったことを今日1つできるようにする。それを積み重ねることだけだった。
「ルーク様、聞いていますか?」
声をかけられ、俺は顔を上げた。
目の前ではバルトが呆れた顔をしている。
その隣には、見慣れない若い騎士が立っていた。
「ああ、ごめん。少し考え事してた」
「人を紹介している最中に考え事をしないでください」
「悪かったって」
俺が謝ると、若い騎士が小さく笑った。
年齢は19歳だという。短い茶髪に、まだ新品らしさの残る騎士団の鎧を身につけていた。
名前はエド。
半年前に正式にラグナード騎士団へ入った若手らしい。
「エドです。よろしくお願いします、ルーク様」
「よろしく。そんなに固くならなくていいよ」
「いえ、辺境伯家のご長男ですので」
「それ言われると俺の方が話しづらいんだけど」
エドが困った顔でバルトを見る。
助けを求めたのだろうが、バルトは無視した。
「本日はエドを含め、騎士4名と森へ入ります」
「討伐?」
「ええ。ブレイズボアが出ています」
その名前には聞き覚えがあった。
大型の猪型魔物で、成体なら普通の猪の倍以上になる。火属性の魔力を体内に持ち、興奮すると口から炎を吐く厄介な魔物だ。
村の家畜が何頭も襲われ、昨日ついに人間にも被害が出たらしい。
「俺も戦うの?」
「そのために連れていくのです」
バルトは当たり前のように言った。
「もちろん、危険だと判断すれば我々が入ります。ただし今回は、できる限りルーク様に任せるよう旦那様から言われています」
「父上が?」
「はい」
少し意外だった。
1年前までなら、父は俺を討伐に連れて行っても後方から見せる程度だった。
それだけ俺も成長したということなのだろう。
嬉しい反面、少しだけ緊張する。
魔物を殺すこと自体には、もう初めての頃ほど動揺しなくなった。
だからといって、怖くなくなったわけではない。
そのくらいでいい。
以前、父が言った。
殺すことに慣れる必要はない。ただ、必要な時に動けなくなるな。
今でも、その言葉は覚えている。
◇
森へ入ってから1時間ほど。
俺たちは、ほとんど会話をせずに進んでいた。
バルトが先頭を歩き、その少し後ろを俺とエドが進む。残りの騎士たちは左右と後方を警戒している。
以前の俺なら、魔物を探す時も自分から前へ出ようとしていた。
今はそんなことをしない。
戦いは、自分1人でやるものじゃない。
騎士団と行動するようになってから、それも少しずつ分かってきた。
「止まってください」
突然、バルトが手を上げた。
全員が足を止める。
俺も周囲を見回した。
一見、何も変わったところはない。
木々が並び、落ち葉が地面を覆っている。
だが、少し先にある太い木の幹が黒く焦げていた。
「いましたか?」
エドが小声で聞く。
バルトは首を振った。
「まだ分かりません。ただ、近いでしょう」
俺も焦げ跡へ近づいた。
地面を見ると、蹄のような跡がいくつも残っている。
大きい。
「1匹じゃない?」
俺が聞くと、バルトが頷く。
「おそらく2匹以上です」
依頼では、目撃されたのは1匹だった。
どうやら少し面倒なことになりそうだ。
その直後だった。
森の奥から、枝が折れるような音が聞こえた。
バキッ。
全員の視線が同じ方向へ向く。
しばらくして茂みが大きく揺れ、その中から黒い影が飛び出してきた。
大きい。
俺の身長より遥かに高い背中。
黒褐色の毛に覆われ、その背には岩のように硬そうな棘が並んでいる。
鼻息を吐くたびに、白い煙が漏れていた。
ブレイズボア。
本で見たものより、実物の方がずっと迫力がある。
「フゴォォォォッ!」
こちらを見つけた瞬間、魔物が地面を蹴った。
速い。
あの巨体からは想像できない速度で、一気に距離を詰めてくる。
「ルーク様!」
エドが剣を抜く。
だが俺は、その前へ出た。
逃げるつもりはない。
地面を蹴ると同時に、両脚へ魔力を流す。
身体が一気に加速した。
正面から受ければ負ける。
だから、ぶつかる直前に身体を横へずらした。
ブレイズボアの巨大な身体が、すぐ横を通り過ぎる。
風圧だけで服が大きく揺れた。
その瞬間、俺は剣を振った。
狙ったのは脇腹。
刃は毛皮を切り裂いたが、浅い。
「硬っ……!」
予想以上だった。
魔力を剣に流していたのに、肉まで深く届いていない。
ブレイズボアが急停止し、身体を反転させる。
今度は、口元に赤い光が集まり始めた。
炎だ。
「下がってください!」
エドが叫ぶ。
言われなくても分かっている。
俺は後方へ跳びながら、左手を前へ出した。
ブレイズボアの口から炎が噴き出す。
同時に、俺も魔法を放った。
水。
大量に出す必要はない。
炎の真正面へ薄く広げる。
ジュウッ!
水と炎がぶつかり、大量の蒸気が周囲へ広がった。
一瞬で視界が白くなる。
昔なら、ここで相手が見えなくなったと焦っていた。
今は違う。
見えないのは向こうも同じだ。
俺は身体強化を維持したまま、蒸気の中へ踏み込んだ。
音を聞く。
右。
重い足音。
すぐに身体を止める。
ブレイズボアが蒸気を突き破って現れた。
「そこ!」
今度は脇腹を狙わない。
前脚。
風を剣の周囲へ薄く纏わせる。
魔力で剣そのものを強くするのではなく、刃に沿って風を流し、斬撃を補助する。
イリスには「魔法使いがやることではありません」と呆れられたが、俺は気に入っていた。
剣を振る。
今度は手応えが違った。
刃が前脚へ深く入る。
魔物の巨体が傾いた。
「フゴォッ!」
苦しそうな声を上げながら、ブレイズボアが地面へ倒れる。
それでもまだ死んでいない。
起き上がろうと身体を動かす。
俺は一度息を整えた。
そして首元へ回り込む。
剣を両手で握る。
ここで迷えば危険だ。
「ごめんな」
小さく呟き、剣を振り下ろした。
数秒後。
ブレイズボアの身体は動かなくなった。
森に静けさが戻る。
俺は息を吐きながら、剣についた血を払った。
「お見事です」
後ろからバルトの声が聞こえた。
振り返ると、騎士たちは誰も戦いに参加していなかった。
「本当に助ける気なかったでしょ」
「危険だと判断すれば助けました」
「どの辺で?」
「首を吹き飛ばされる少し前でしょうか」
「遅くない?」
バルトが笑った。
エドもこちらへやってくる。
「すごいですね。剣士なのか魔術師なのか分からなくなります」
「俺も分からない」
「普通はどちらか決めません?」
「両方できた方が便利だろ」
「そう簡単に言う人、初めて見ました」
それは俺も何度も言われている。
でも仕方ない。
魔力が切れたら剣を使う。
剣が折れたら魔法を使う。
遠ければ魔法。
近ければ剣。
できることは多い方がいい。
逃げ道だって、その分だけ増える。
「ところで」
俺は倒れたブレイズボアを見る。
「もう1匹いるんだよね?」
バルトの表情が真面目に戻った。
「その可能性が高いです」
討伐は、まだ終わっていなかった。
◇
それから森を進むこと30分。
俺たちは2匹目を見つけるより先に、壊れた荷車を発見した。
道から外れた場所に横倒しになっている。
車輪の1つが完全に砕け、積んでいたと思われる荷物が周囲へ散らばっていた。
そして。
荷車の横に、人が倒れている。
「待ってください」
俺が走り出す前に、バルトが制止した。
以前なら、ここで「早く助けないと」とそのまま飛び出していただろう。
今は一度足を止める。
周囲を見る。
魔物の気配。
ない。
「行きましょう」
バルトの言葉と同時に、俺たちは倒れている男へ駆け寄った。
30代くらいの商人だった。
腹の辺りから大量に血を流している。
それでも、まだ息はあった。
「聞こえますか?」
エドが声をかける。
男の瞼が僅かに動いた。
「……つま……」
「何です?」
「妻と……息子……」
男が震える手を上げ、森の奥を指差した。
「逃げ……た……」
俺とバルトは顔を見合わせた。
「エド、ここを頼める?」
俺が聞く。
「はい。応急処置をします」
バルトが先に走り出す。
俺もその後を追った。
少し進んだところで、泣き声が聞こえた。
子供の声。
それと。
聞き覚えのある低い唸り。
木々の隙間を抜けると、小さな崖の下に女性と男の子がいた。
女性は子供を抱きしめるようにして壁際へ追い詰められている。
その前には、ブレイズボアが2匹。
1匹だと思っていた。
違った。
合計3匹いたのだ。
「バルト」
「はい」
「右をお願い」
「左は?」
「俺がやる」
バルトが少しだけこちらを見た。
止められるかと思った。
だが。
「承知しました」
それだけだった。
俺たちは同時に走り出した。
ブレイズボアの1匹がこちらへ振り返る。
女性が俺たちに気づき、大声を上げた。
「助けてください!」
「そのまま動かないで!」
俺は返事をしながら、剣を抜く。
怖くないわけじゃない。
さっき1匹倒したからといって、次も必ず勝てるわけではない。
でも。
今度は。
守りたいと思った時に、剣を抜ける。
それだけでも。
1年前の俺とは違う。
ブレイズボアが走ってくる。
俺も地面を蹴った。
今度は。
絶対に間に合う。




