それでも助けたい
翌朝。
俺は父の執務室へ行った。
「俺を代わりにして」
父が顔を上げる。
「何を言っている」
「ミリアの代わりに俺を出せばいい」
「却下だ」
即答。
「なんで」
「要求されているのはミリアだ」
「辺境伯家の長男なら、向こうだって――」
「駄目だ」
父の声が強くなる。
「お前を差し出せないからではない。そもそも交換を認めないと使者から明言されている」
「じゃあ俺も一緒に行く」
「ルーク」
「向こうへ行って話す」
「何を話す」
「何でもいい!」
自分でも無茶を言っている。
分かっている。
それでも。
何もしないで待っていられない。
「金は?」
「拒否された」
「魔石とか」
「拒否された」
「土地」
「同じだ」
全部。
父はすでに試していた。
捕虜との交換。
金。
魔石。
武器。
領地。
全て。
向こうの答えは同じ。
10人の命。
それ以外は認めない。
「なんで……」
俺は拳を握る。
「なんでそこまで殺したいんだよ」
父は答えなかった。
たぶん。
誰にも分からない。
◇
昼。
ミリアの家へ行った。
部屋の中で。
ミリアは荷物を整理していた。
「何してるの?」
「片づけ」
「なんで」
「お父さんが後で困るから」
信じられなかった。
「やめろよ」
「何が?」
「そんなことするなよ」
ミリアが俺を見る。
「まだ決まってない」
「決まってるよ」
「決まってない!」
思わず怒鳴った。
ミリアが驚く。
俺も。
自分の声に驚いた。
「……ごめん」
少し沈黙。
ミリアが床に座る。
俺も隣へ座った。
「怖い?」
聞いた。
ミリアはすぐに答えなかった。
それから。
小さく頷いた。
「怖いよ」
初めてだった。
事件が起きてから。
ミリアが泣いた。
「死にたくない」
声が震えている。
「私、まだ治療師にもなってない」
涙が落ちる。
「海だって見てない」
胸が痛い。
「分かってる」
「お母さんみたいに人を治したい」
「分かってる」
「もっと大人になりたい」
俺は。
何も言えなかった。
大丈夫。
そんな無責任な言葉も。
もう言えなかった。
ミリアが俺の服を掴む。
「ルーク」
「うん」
「私、逃げたい」
その言葉。
今まで何度も。
俺自身が思ってきた。
嫌なら逃げればいい。
逃げられる力が欲しい。
そのために強くなる。
なのに。
今。
目の前のミリアには。
逃げることすら許されていない。
「逃げよう」
俺は言った。
ミリアが顔を上げる。
「俺が連れていく」
「でも街が」
「知らない」
口から出た。
「知らないよ。ミリアが死ぬよりいい」
本気だった。
何千人。
知らない人間。
ミリア。
どっちを選ぶ。
そんなこと。
俺に聞くな。
「行こう」
俺は立ち上がる。
「今ならまだ――」
「駄目」
ミリアが俺の手を離した。
「なんで」
「それで街の人が死んだら、私ずっと嫌だもん」
「死んだら何も残らないだろ!」
「分かってるよ!」
ミリアも怒鳴った。
「分かってる!」
泣きながら。
それでも。
「でも私のせいで、小さい子とか死んだら嫌だよ」
何も言えなかった。
正しい。
たぶん。
正しい。
でも。
こんな正しさ。
何の意味がある。
「俺は嫌だ」
俺は言った。
「ミリアが死ぬのは嫌だ」
「うん」
「約束しただろ」
「海?」
「そうだよ」
ミリアが泣きながら笑った。
「覚えてたんだ」
「当たり前だろ」
「忘れっぽいのに」
「忘れたことない」
「じゃあさ」
ミリアは少し考えた。
「私の分も見てきて」
「嫌だ」
「即答しないでよ」
「一緒に行くんだよ」
ミリアは。
何も答えなかった。
ただ。
泣きながら。
少しだけ笑っていた。
◇
その日の夜。
俺は1人で訓練場にいた。
剣を振る。
何度も。
何度も。
意味なんてない。
明日急に強くなるわけでもない。
分かっている。
それでも。
止められなかった。
手の皮が破れる。
血が滲む。
それでも振った。
「ルーク」
後ろから父の声。
俺は振り返らなかった。
「今さら訓練しても間に合わない」
「分かってる」
「なら休め」
「嫌だ」
「ルーク」
「父上は悔しくないの?」
剣を止める。
振り返る。
「こんな要求されて」
父は黙っている。
「何もできなくて」
しばらく。
沈黙。
そして父が言った。
「悔しくないと思うか」
初めて。
父の拳が震えているのを見た。
「私は領主だ」
低い声。
「1人を救うために、何千人も死なせる決断はできない」
「……分かってる」
「だが」
父が。
歯を食いしばる。
「それが正しいなどとは、一度も思っていない」
俺は。
何も言えなかった。
正しい選択。
正しくない結果。
この世界には。
どうやら。
そんなものが存在するらしかった。




