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馬車を降りたソアラは、一度目の前のボロい建物を見上げる。
途端に顔を顰めた。
「こんな場所で平気だなんて…やっぱりルナリスってば頭おかしいのよ」
公爵夫妻と違って、一応名前は憶えていたようだ。
だが感想の内容そのものはズレている。
ルナリスは無理やり連れてこられただけで、彼女が選んで籠った訳ではない。
その理屈で言うなら、公爵夫妻の頭がおかしいと言う事になる……失礼、何も間違っていなかった。
この数日、人の出入りがあるとは言え、壁は薄汚れてひびが入り、通路の隅にはゴミと埃が堆積している。
『ドレスが汚れてしまうじゃない』…と、歪む口元を扇で隠すが、目元に浮かぶ不機嫌さが明確に感情を吐露していた。
「信じられない…わたくしが来る事を考えていないわ!」
一歩踏み出すごとにギシギシと嫌な音を響かせる廊下を進みながらも、文句は止まらない。
「っと、汚い場所ね!!!」
つい声が鋭くなってしまった。
今にも爆発しそうになる感情は、とりあえず抑えておく。ここで爆発させても八つ当たりできるメイドは居ない。もう少し進めばルナリスは居るはずだから、発散はそこでするつもりだ。
それにしても同じ扉が続き、何処が何処やらさっぱりわからない。
本人にその自覚はないが、実はソアラはかなりの方向音痴であった。
生まれ育った王都邸は流石に迷わないが、王宮だったら確実に迷っていただろう。それが避けられていたのは、単にルナリスや侍女達が常に付き添っていたからである。
彼女は何時だって、目の前に差し出された全てを甘受するだけだったのだから、当たり前と言えるかもしれない。
だが少しして夫人の声が近付いてきた。
「ソアラちゃん、どうしたの?
こんな汚い場所に来ちゃダメじゃない…」
咎めている体をしているが、その声はまるで幼子に話しかける様なデレを含んでいる。
直ぐ傍までやってきた夫人は、扇で顔半分を多い、不機嫌な目元だけを覗かせたソアラを覗き込んだ。
「さぁさぁ、こんな場所からは出て帰りましょうねぇ。
帰ったら綺麗にして、お菓子でも食べましょう」
ニコニコと笑みを絶やさない夫人にとって、ソアラは何時までも可愛らしい少女なのかもしれない。
「わたくしだって来たくなんかなかったわ!!
でも、お父様とお母様がいつまでもぐずぐずしてるんだもの!
いい加減ルナリスをどうにかしてよ!!」
『ルナリス』と言う単語に聞いた一瞬、夫人はポカンとする。
「るな、り…す?
まぁ何でもいいわ。
とにかく、今は帰りましょう?
アレには手紙を書かせないといけないから。でも今日はちゃんと毒を見せておいたから、明日には書いている筈よ」
満面の笑みで諭す夫人に、ソアラは目を吊り上げた。
「どうしてそうなるのよ!!
明日、明日…そればっかり!! いい加減聞き飽きたのよ!!
わたくしは今日で終わらせたいの!!」
感情を高ぶらせたソアラは、持ってきた短剣を取り出した。
それにギョッとしたのは夫人の方である。
「ま、まぁ!!
ソアラちゃん、いけないわ!!
そんな危ない物、何処から持ち出してきたの? ほら母様に渡して。
ちゃんとナイナイしましょうねぇ。
ソアラちゃん?」
「いやよ!!」
少女どころか赤子のような扱いをしてくる夫人を、半ば短剣で脅すような形で横をすり抜ける。
その時だ。
自分達の声しかなかったのに、聞きなれない金属がぶつかるような音が響いた。




