4. 十の歳に終わりを見る
前世の記憶が蘇っても、ムァンの日常は変わらなかった。
彼女が生まれ落ちたのは、地球とは異なる大地。どこか長閑な空気が漂う穏やかな世界。
魔法が存在し、神様が信じられている、物語で描かれるような世界だった。
その片隅、石と木で組み上げられた林間の街で、ムァンは優しい両親と穏やかな隣人に囲まれて育っていく。
父の雑貨屋を手伝い、母の蔵書を読み、村の子供たちと遊び、勉強して大きくなっていく。
それは、星を守るために戦った機動兵器のものではなく、ただの少女の日常。
前世が蘇ろうと、もはやムァンは只の少女である。
それでも、記憶は手放せなかった。
時折、母の書斎に入ると赤い皮の装丁の本を開く。
「星を守る巨人……ですか」
記されている物語を最後まで読み終えると、決まって呟く。
「……こうはならなかった、お話ですね」
不毛な行為だと思っていても、止めることはなかった。
読み終わった時に浮かぶ喪失感は、忘れてはいけないと心が叫んでいた。
◆◆◆
ある冬の日であった。
夜、キッチンに少女は立っていた。両親は立っていない。
林間の街の寒波は厳しく、二人は体調を崩して寝込んでいる。
仕方がない、とムァンは台所に立ち、料理をする。
やり方は知っている。毎日母親の仕事を見ていたし、手伝いもしていた。
火を使う許可も、刃物を使う許可も得ている。なにより、彼女の中にはエテニアから引き継いだ情報もある。
だが、それが油断になった。
ナイフを持つ手は小さく、力も弱く、根菜を切る際に力の入れ具合を間違える。
刃が指を切り、思わず声が出る。
「いたっ」
指先から血が流れるのと、血相を変えた両親が飛び込んで来たのはほぼ同時であった。
「どうしたのムァン!」
「怪我をしてるじゃないか! ほら!」
慌てる両親に呆気にとられながら、少女は考える。
(人体と言うのは、不思議なものです……これほど脆弱で、損傷をしやすい。そして、思い通りにならない)
人間の肉体の脆弱性と、不安定さ。
そして――
数日の後、また別の感慨を抱く。
(治っていく……)
あっという間に治った体を見て、少女は考える。
機械のボディは他者から修理や交換をされない限り治らない。
けれど、人間の肉体は違う。
(脆弱だとだと言うのに、栄養さえ満たされていれば復元……それどころか自己増殖していく)
◆◆◆
小さな肉体に、大きな記憶を宿して少女は生きている。
人間の肉体と機械の肉体の差に驚き、戸惑いながらも生きていく。
冬の寒さに耐え、春の息吹に悦び、夏の空に手を伸ばし、秋の恵みに感謝する――
――そして、10歳の春――
街の中央の教会に、ムァンはいた。
祀られているのはこの世界を生み出したと呼ばれる創造神の像。顔が塗りつぶされた女神の像があった。
この街の大人は、神に祈る。その信仰が魔法として人間に宿ると信じて。
母に連れられて参拝に来たムァンは、古びた女神像を見上げていた。
そんな娘に、母は手を繋ぐ。
「ムァンもお祈りをしましょう」
「神様に、ですか」
どこか無機質な返事に、母は微笑むかけて諭すように言う。
「ええ。この世界を見守り、命の種を蒔いた女神様。私たちが穏やかに過ごせるのも、神様のおかげなのだから」
そうして、二人、それぞれ手を合わせて祈りをささげる。
ムァンも感謝を告げる――そして、次に、考える。
(……かつて地球で泥から人を生み出した神話があった。この世界にも類似するものがある)
あくまでそれは地球のものであり、同一であると思わない――
けれど、地球に本当に神が居たのなら、あのような結末はなかったともムァンは考えている。
――だから、もし、この世界に神様がいるのなら。
(もし本当に、神様がいるのなら、この世界を地球と同じ結末にしないでください)
深く深く、そう願った。
やがて、目を開くと母親と目が合った。
お互いに微笑み返すと、教会を後にして家への帰路につく。
時刻は夕暮れを通り越して夜。まだうっすらと茜が残る空には、星がちらほらと浮かんでいる。
それを見ながら、別のことも考えていた。
(もし神がいるのなら――何故、役割を終えた私を、人間と言う肉体に押し込めたのでしょうか)
そうして、神に代わって星に問いかける――その時だった。
「見ろ、南の空を――」
「あれは……なんだ!?」
一緒に歩いていた母が足を止めた。周囲の人々もまた、戸惑いの声をあげる。
見上げた先――南の空――そこに、黒い穴が浮かんでいた。




