16.アマツシマ
着替えから暫くして、ムァンはどうにか落ち着いたトキハとナナミに連れられて部屋を出る。
床は綺麗に磨かれていて目立つ埃はない。三人が並んで歩いてもぶつからないくらいに広く、天井の照明も過剰に飾り立てない程度に洒落たランプのようになっている。
やがて、玄関につくと、三人分の靴が置かれていた。
「いや~、本当はヒールの分厚い本格的なやつがよかったけど、流石に初心者にはキツイかなって」
などと言いながらナナミがムァンの前に持ち出したのは、皮の動きやすそうな靴であった。
「配慮に感謝します。いざとなった時に動けないのも困りますから」
「どういたしました」
靴を履き、すこし地面を叩く。サイズはピッタリで、すぐに足に馴染んだ。
顔をあげると、扉の前でトキハとナナミが待っていた。
ムァンが見つめると、二人は息を合わせて扉を開く。
「あらためて、ようこそ、アマツシマまで」
扉の先には、空と海が広がっていた。
太陽の日差しが照らし、海からの風が吹き込んでくる。ムァンは自然と息を大きく吸い込んでいた。
肺に、体に、涼やかな風が吹き込んでくる。
息を吐くと、体から力が抜けて、自然と顔も緩んでいた。
「アマツシマ……それが、この島の名前なのですね」
「そ、悪くない名前でしょ。もちろん、ここから見える景色も、空気もぜーんぶ最高だって保証するんだから」
「ええ、間違いないでしょう」
それは、ムァン自身の体が確かに感じたことであった。
◆◆◆
扉を出ると、青と緑がムァンを迎えていた。
ムァンが振り返ると、暖色の屋根をした二階建ての洋館が少女たちを見下ろしていた。その背後には山と一体化林が広がっている。
再び正面を向き直ると、斜面にそって蛇行する道路が続いており、その先には湾と街が広がっている。
海沿いの道の脇にはいくつかの家や商店が連なっており、合間には線路が見えた。
丘の上の屋敷。そこから一望できる海辺の街並みが広がっている。
「さ、あれに乗って」
トキハが指さした先には、赤いオープンカーが停まっていた。
ナナミが先に進み、ドアを開けるとムァンに乗るように促す。
運転席にはトキハが座り、エンジンをかけた。
「それじゃあ、行ってくるけど」
すると、ナナミが手を上げる。
「あー、トキハ様。晩御飯どうしますか?」
「そうねえ……ムァン、何か希望はある?」
と、急に話を振られてしまう。
当のムァンは思わず小さく声を漏らすと。
(晩御飯……何にするべきでしょうか。私はこの島でとれる食材も知らなければ、ナナミ様の得意な料理も分からない……いや、それに、間違ってトキハの苦手なものを要求してしまったら……)
などと考えこみ。
「……」
真剣な顔で黙りこんでしまった。
見守っていた二人は顔を見合わせて思わず笑い。
「いや、そこまで真剣な顔をしないでも」
「すみません、問われた上で申し訳ないのですが……
トキハがもっとも美味しいと思うものでお願いできますか?」
すると、ナナミは胸を叩く。
「ほほ~ん、了解っす!」
そして、上機嫌のままに手を振って送り出す。
「では、いってらっしゃーい!」
ナナミに見送られて、トキハの運転する車が坂を降りていく。
風が吹き、島の匂いを運んでくる。
深々とした緑は草木の瑞々しい香りを漂わせていた。
◆◆◆
山沿いの道を車は走る。対向車もなく、通行人も居ない。
やがて、道路の先に分岐路が見えた。標識があり、そこに書かれていたのは――
「トキハ神社?」
トキハ神社、と、少し風雨で掠れた文字が読み取れた。
「あーまあ、何と言うか……うん、今度説明するから」
トキハそう言うと、少しだけ車の速度を上げた。
◆◆◆
山道を降りると交差点が見えた。
信号は赤で、立ち止まると交差する車線から車が動き出す。
道の先にある歩道には人が歩いている。トキハを見つけると、手を振ってくれる人もいた。
信号が変わり、ふたたび歩き出す。
海岸線沿いの道には、暖色の屋根の小さな家や商店が並んでいる。
商店の隙間からは、その奥にある小型の鉄道線路が見えた。
――その景色に、ムァンはどこか覚えがあった。
「地球のような光景なのですね」
地球、極東地区。
「うん、アタシの故郷、ショウナンの海をモデルに街をつくったんだって。そう、グソウ爺ちゃんが言ってたよ」
トキハがアンゲルスの襲来まで、平穏に過ごしていた景色が広がっていた。
「女々しいと思う?」
「いいえ、文化の継承という面において間違いはないと思います」
そう言いながらも、ムァンは何故か街並みから目が離せなかった。
失われた故郷を模した街並み。それを守れなかった過去を思い出してしまう。
母なる地球が黒く汚染された。その時に、世界中の都市も既に形を失っていた。
(トキハは、その時に何を感じたのでしょう)
今、目の前にある景色が全て瓦礫に代わったら――
――その喪失を、ムァンも知っている。
(……私の……ムァンの故郷は……)
全てが燃えた夜のことを思い出す。
街も、人も、すべてなくなる。
ぎゅっと手を握る。思い出すたびに襲ってくる後悔と怒りは、今もムァンを責めている。
胸の奥に刺す痛みを、口と顔に出さずにムァンは街並みを見つめていた。




