1.推し
——今日はとても心地よい天気。
トポトポと紅茶が注がれる。
どこかとろみを帯びたようにも見える琥珀色の液体が白いティーカップを満たしていった。
午後の日差しを受け、透明感のある赤茶色にも見えた。
綺麗…そして、ふと思った。
——推しの髪みたい。
推し…??
その言葉を理解した瞬間、頭の奥で雪崩が起きたように思い出が押し寄せてきた。
ライブ会場。
歓声。
歌声。
笑顔。
胸がいっぱいになるあの感覚。
「……あ」
私は日本という国で生きていた。
特別目立つことはない普通の会社員だった。
そして、アイドルオタクだった。
熱狂的なタイプではない。
SNSで騒ぐわけでもない。
ただライブに行って、推しが元気そうな姿を見て嬉しかった。
推しが笑っていたら嬉しかった。
いや推しが生きていてくれるだけで嬉しかった。
推しが同じ世界で息をしている、それだけでこの世界は素晴らしいものだと思っていた。
そんな感じのオタクだった。
「…メアリ?」
声をかけられて我に返る。
慌てて顔を上げた。
「も、申し訳ございません」
「大丈夫?」
同僚の侍女が不思議そうな顔をしている。
「少し考え事を」
「紅茶を見ながら?」
「はい」
「具合悪いわけじゃないのね?」
「はい、大変失礼致しました」
私は再び紅茶へ視線を落とす。
私は不意に前世を思い出した、それなのに不思議と混乱はなかった。いや、むしろ妙に納得していた。
ああ、そうだった。私は推しが好きだった。
それだけのことだ。
「アリシア様のお茶、お願いね」
その名前を聞いて、私はトレーを持ち上げた。
——アリシア・ローゼンベルク。
伯爵家の長女。
銀色の髪に紫の瞳を持つ、美しい令嬢。
使用人たちからの評判は、正直あまり良くない。
冷たくて高飛車。
近寄りがたい。
そんな言葉をよく聞く。
私は部屋の扉を叩いた。
「失礼いたします」
窓辺の椅子に腰掛けたアリシアが本を読んでいた。
いつも通りだ。私はテーブルに紅茶を置く。
その時ふと思った。
——綺麗…
銀色の髪が光を受けて輝いている。
整った横顔に長い睫毛。
まるで絵画みたい。
「何?」
視線に気付いたらしい。
「いえ」
私は慌てて頭を下げた。
アリシアは怪訝そうな顔をしたが、それ以上は何も言わなかった。
その日の夜、私は思い出していた。
何をかって?もちろん前世の推しを。
少しつんとした雰囲気の美人だった。
愛想が良いタイプではない。
でも努力家だった。
人知れず頑張る人だった。
誤解されることも多かった。
そして…
——アリシア様に似ている。
そう思った瞬間、自分で少し笑ってしまった。
何を考えているんだろう。
仕事なんだからちゃんとしなきゃ。
けれど翌日、私は見てしまった。
誰もいない朝の庭で、アリシア様が一人で勉強している姿を。
その次の日、弟君に冷たい言葉を投げたあと、こっそりと弟の好物を出すよう厨房へ頼んでいる姿を。
また別の日も父親に褒められたくて必死に努力している姿を。
誰も知らないし、誰も見ていない。
だから誰もその努力には、気付かない。
でも私は知ってしまった。
ああ…やっぱり似ている。
私、最近アリシア様のことばかり見ているな、と思っていたある時、同僚が言った。
「アリシア様って怖いわよね」
私は首を傾げた。
「そうですか?」
「え?」
「怖いというより……」
言いかけて止まる。
何と言えばいいのだろう。
不器用で真面目。
優しくて頑張り屋。
頭の中にいくらでも言葉が浮かぶ。
その時私はようやく理解した。
ああ、私、アリシア様を推してるんだ。
その瞬間、なぜだか少しだけ嬉しくなった。
ただ同僚相手とは言え自分の主人に対して不器用だの言えないので、
「とても芯の強いお方だと思います」
とお茶をにごしておいた。
…本当はもっと言いたいことがあったけど。




