死滅
バイオエレクトロニクス研究所 地下2階制御室
「現在、コクピットは強制冷却によりマイナス196度。組織は完全に凍結保存状態です」
速水は報瀬の脳組織を凍結させて、その間に原因の究明の時間稼ぎをしようと考えていた。
「ここ1週間、いや1ヶ月の記録を手分けして確認しよう」
速水はスタッフに告げると、それぞれの分担を割り振った。
野嶋も一緒になって過去の記録に、この異常に結びつく変化がないか確認を始めた。
その時、速水が目の前のモニターの異常に気付いた。
そのモニターには、コクピットの報瀬の細胞の分布が表示されていた。その分布は、絶対に変化があってはならないものだった。
速水に続き野嶋もその変化を感じていた。
慌ただしくスタッフの会話が飛び交う制御室で、二人の動きは止まった。
モニター見つめる二人の表情が徐々に曇り、やがて絶望へと変わった。
「壊死が始まってしまった。凍結させたのに、どうして・・・」
モニター上の報瀬の細胞を示す緑の光の一部が徐々に薄くなり、全体へと広がる。そして、一つ一つの点が分かるくらいに疎になってゆく。
「なんとか、なんとかできないの!」
絶望の中で、それでも速水は報瀬を救う方法を探った。
『そうだ、残っている細胞を複製できれば』
そう考えた速水は椅子から立ち上がった。しかしそれと同時に、報瀬との会話が蘇ってきた。
ところでさ、新しい機体を3機造りたいんだけど、コクピットが二つ足らないんだよね
二つ?
1番機のコクピットはそのまま使うとして、報瀬は何かあるといけないから、ここにいるでしょ だからあと二つ
1番機をコピーすればいいんじゃない
何言ってんの それを拒んだのは報瀬だったでしょ
そうだっけ
そうだよ
いいよ、複製して あたしのは嫌だけどね
・・・あたしのは嫌だけどね・・・
最後の言葉が、まるで報瀬がすぐ隣で話しているように速水の中に何度も伝わってきた。
『報瀬をなんとしても助けたい。でも、報瀬は実験動物じゃない・・・』
速水は崩れるように椅子に座った。
「もう、壊死を止めることはできない」
野嶋の声がした。
隣に座る野嶋を見る。野嶋は何かを考えるように、じっと報瀬が消えてゆくモニターを見つめていた。
組織の変化に気付いた制御室のスタッフは、もう誰も声を出さなかった。一つの命が消えてゆく様に、目を閉じ頭を下げるしかなかった。
そして最後の細胞を示す小さな光が、まるで別れを告げるかのように点滅した後、ゆっくりと消えて行った。
「ここが、細胞維持の限界だったのだろう。人の傲りもここまでだ」
それは生物科学の限界とも言えた。
野嶋のため息が聞こえたような気がした。
様々な過程を経てそれに耐えてきた報瀬の細胞の消滅は、あまりにあっけなかった。
少しして野嶋は席を立つと、制御室の横の壁に備えつけられたモニターの前に立った。
モニターには軍のドローンから中継されたケルベロスとの戦闘映像がリアルタイムで流れていた。
「あいつは、今も戦っているな・・・」
そこにはレールガンを抱えケルベロスの攻撃を避ける0番機が映っていた。
全員が信じられないような表情でモニターに目を向けた。
速水も立ち上がると野嶋の横に立ってモニターの中の0番機を見た。
「あの子の言った通り、研究所のコクピットにはいなかったって言うの・・・」
速水の目に涙が溢れた。それが何を意味する涙なのか、速水にはわからなかった。
「とにかく、報瀬は今もいる」
野嶋は0番機のコクピットの中にいる報瀬を思い浮かべるように小さく呟いた。
そして、モニターを見つめながら、速水に聞かせるように話し始めた。
意識は体から生まれる。
体が作り出した意識は、その体を離れることはない。
体がなくなれば、当然意識も消滅する。
我々には生まれた時からこの体しかない。
しかし、報瀬はいくつもの体を乗り継いだともいえる。
その時、あいつの意識はどうなって行ったのだろう。
あいつにとってわずかに残された自分の一部は、どれだけの意味があったのだろう。
それよりも、今の報瀬にとってはあの体の方がよほど意味のあるものなのかもしれない。
野嶋の話を聞き、速水はそんなことはあり得ないと思いながらも否定できなかった。
速水は科学者として、『どうして?』と言う疑問からいつもその追及を始めた。しかし、報瀬に関しては、もうそんなことはどうでもいいと思った。
それは、きっと野嶋も同じだろう。
モニターを見つめる野嶋の表情は、とても穏やかでそして微笑んでいるように見えた。




