~報瀬編2~ final sequence (最終段階への道)
2086年8月31日 バイオエレクトロニクス研究所 所長室
「ファイルを見ました」
速水はテーブルを挟んでソファーに座る野嶋に、普段はあまり見せないような固い表情を向けた。
「どう思ったかね」
「正直、驚きました。人体の各組織が成熟細胞からも培養可能なことはNCBMへの応用からも十分にわかっていましたが、一括で培養可能だとは考えも及びませんでした」
NCBMの生体組織、つまり腕であったり脚であったりするパーツは、それぞれの部位ごとに培養しそれを接合して一つの躯体を作り上げていた。しかし、水瀬の残したファイルには、それを一挙に一つの体として作り上げるプログラムが入っていた。
「ゲノムなど詳細なデータがあれば、わずかなオリジナルの細胞をもとに人の体が出来てしまうな」
「それは、確実に報瀬ちゃんのためにってことですよね」
「このプログラムには脳の複製に関するものがない。脳の組織は複製できてもそれが生み出す意識までは複製できない。意識にはコクピットのオリジナルが必要だ」
「でも、コクピットの中枢神経組織を再抽出しても、元の脳の組織に戻す事は出来ませんよね。仮に出来たとしても癌化の問題が解決していないので、オリジナルと複製組織を合わせる事はできません・・・」
そこで速水は気付いた様子だった。
「・・・コクピットのままなら、複製との直接の接触がない・・・」
そんなことが可能なのか、速水は考えた。
その理論は、大学の研究室の時代からずっと研究を行い、NCBMで完成させたものだ。可能どころかすでに実用化している。
「水瀬先生は、そこまで考えていたのでしょうか」
「どうだろうな。考えていたのか、それとも脳自体の複製は意味のないものだと考えたのか・・・」
水瀬のいない今では、それを確認する事は出来なかった。
「そうだ。報瀬ちゃんには話したんですか?」
野嶋は少し間を置いて口を開いた。
「培養室で一度話して以来、ずっと黙ったままなんだ」
「眠っているんですか?」
「いや、起きているな、あいつは」
「なら、どうして」
「あいつは最初の戦闘前にあらゆる情報を収集した。当然、自分のストレージのこのファイルの存在には気付いていただろう。その内容も。そして、今になってわたしがこのファイルを見つけたこともわかったと思う」
「どうして、それで黙ってるんですか」
「理由はわからない。しかし、決めるのはわたしだと考えているのかもしれん」
野嶋は腕を組むと天井を見上げ考え込んだ。速水も報瀬が黙り込んだ理由を考えてみた。
報瀬はどう思っているのだろう・・・。
報瀬は病気によって体の自由を奪われた。そして、わずかな時間であったがNCBMという体を手に入れ、自由に動き回れることを経験した。
ならば、また動きたいのではないのか。今度は人の体でそれが出来るかもしれないのだ。
『やって、って言いそうなものだけど・・・』
やはり速水には報瀬が黙っている理由がわからなかった。
「あいつは、いろいろなことが分かっている。コクピットを維持するためにどれだけの予算が必要なのかってことも・・・」
野嶋は天井を見上げたまま言った。
「まさか、そんなこと」
速水はそう言ったものの、もしも体を手に入れた場合、報瀬の身分はどうなるのだろうと思った。今は軍によって膨大な予算が投入されているが、個人となればとても賄える金額ではない。
「でも、報瀬ちゃんなら、そんなことも考えそうですね。だったら余計に報瀬ちゃんは望んでいるのかもしれませんよ」
野嶋は天井から速水に視線を移した。
「そうかもしれん・・・。まぁ、予算に関してはいずれ大川本部長に話してみるが、実際にこのプログラムを実行させるとなるとかなりの準備が必要だ。まずは検証から始めてみよう」
「そうですね。そのうち報瀬ちゃんも何か話したくなるかもしれませんからね」
速水は立ち上がると、後片付けのために空になったコーヒーカップをトレーにのせ給湯室へと向かった。




