恋の病
滋賀県山間部 NCBM独立遊撃部隊本部
独立遊撃部隊本部内は、近付く出動要請に備えて多くのスタッフが動き回っていた。それはかつてケルベロスとの戦闘に明け暮れた日々を思い起こさせるには十分だった。
そんなスタッフも参加する作戦がなく緊急出動要請もなければ半数は定時に帰宅するので、夕闇が迫る時刻には静けさを取り戻していた。
「あー、ここにあったんだ」
市ノ瀬は格納庫の隅にあるロッカールームで、やっと見つけた自分の携帯端末を手にしていた。どこにおいたのかわからず、自室、ブリーフィングルーム、そして食堂を巡り、やっとこの場所で見つかったのだ。
端末をポケットに仕舞いロッカールームを出た市ノ瀬は、宿泊棟への近道のためにそのまま格納庫のコントロールルームへ続く階段を登った。すると、外の訓練場を見渡せるバルコニーに人がいることに気づいた。
「報瀬さん?」
市ノ瀬はバルコニーに近づいた。
「やっぱり、報瀬さんだ」
声に気付いた報瀬はすぐに振り向いた。
「市ノ瀬さん・・・」
「こんなところで、どうしたんですか?」
「ここ、風が気持ちいいから。市ノ瀬さんもおいでよ」
建物から飛び出るように作られたバルコニーは風が通り、陽の落ちた後は夕涼みにもってこいの場所だった。
市ノ瀬が報瀬の隣に行くと、涼しげな風が二人の髪の間を通り抜けた。
「ほんとだ。いい風」
市ノ瀬は手すりにつかまり、星が光り始めた空を見上げた。
「息苦しさが抜けてくようでしょ」
「え、息苦しさ?」
市ノ瀬にとって馴染みのない言葉に、思わず聞き返していた。
「ああ、あたしが勝手に感じてるだけだから、気にしないで」
報瀬はごまかすように背伸びをすると話題を変えた。
「ところで、梅原君とはうまくいってるの?」
突然梅原の名前が出たことに、市ノ瀬は顔を赤らめた。
その変化を報瀬は見逃さなかった。
「そっか、うまくいってるか。良かった」
「でも、遠距離だし、来年受験だし、会えるのはほんの少し」
「だよね。愛知と神奈川じゃ、高校生にとっては遠いよね。そうだ、遠藤さんに送ってもらうってのは? ひとっ飛び」
「いや、さすがにそれは・・・」
「常識的に無理か・・・」
報瀬は、あははと笑った。
「てか、そーいう報瀬さんはどうなんです? 大学では相当モテてるんじゃないですか?」
「は? そんなことのために大学に行ってるんじゃないもの」
「そーなんですか。もっと、こう、なんか、恋愛とかも含めて大学生活を楽しんでいるのかと思ったんですけど」
「いや、いや。楽しんでるよ・・・。でも、まぁ、恋愛は、ね」
そこで会話が途切れた。
シンとした空間に、どこからか虫の鳴き声が聞こえ出した。
相変わらず風は心地よい。
市ノ瀬は何かを考えている様子だった。そして考えとともに徐々に口を尖らせた。
「ひょっとして、報瀬さんはどこかで自分自身を抑え込んでません? 息苦しさって、それが原因なんじゃないですか?」
市ノ瀬の言葉を聞いて、報瀬は手すりを握る手を見つめた。
「・・・確かに抑えてるところはあるかな」
市ノ瀬が心配してくれるのは嬉しかった。しかし、報瀬はそれを大きな問題とは感じていなかった。それでも少し市ノ瀬の話に付き合ってみようと思った。
「あたしがこの姿になって初めてみんなと会うことになった時、すごく心配だったんだ。きっと得体の知れないものを目の前にして、今までの良かった関係がギクシャクするんじゃないかって。でも、実際は何も変わらなかった。今までと同じだった」
「なんですか、それ。だって、ずっと一緒にいたんですよ。まぁ、初めてコクピットの中で報瀬さんの声を聞いた時はちょっとびっくりしましたけど、それから、ずっとそばにいてくれたのは気付いていましたよ。あたし一人っ子なんで、おねえさんができたようで嬉しかったです。梅原君だって、水瀬さんだって一緒です」
報瀬は顔を上げると、ありがとうと言って市ノ瀬を見た。
「でもね。もしもあたしのことを好きなってくれる人がいたとしても、ホントのこと知ったらきっと引くよね」
そう言って報瀬は、あははと笑った。
市ノ瀬は不満そうな表情で言葉を探した。
きっと報瀬さんのことを理解した良いヒトが現れますよ・・・、そんなペラペラの意味のない言葉しか浮かばない自分に市ノ瀬は怒りすら覚えた。
「そっか、最初っから事情を知ってる人ならいいかもね。でも、ここのスタッフじゃ、年齢が合わないからなぁ。だったら・・・」
そこで報瀬は悪戯っぽく微笑みながら市ノ瀬を見た。
「まさか・・・」
梅原の顔を思い浮かべた市ノ瀬が泣き出しそうに顔を歪めた。
「あはは、冗談だって」
からかったことが成功したことに、報瀬は満足げに笑った。
「本当に心配なんです。報瀬さんキレイだし・・・」
市ノ瀬の本心だった。
「大丈夫だよ、梅原君は・・・」
報瀬はそれ以上その話題を続けることなく、笑顔のまま星空を見上げていた。
風がそよぐ。
「抑え込んでる息苦しさ・・・か」
報瀬が独り言のように言った。
「体は大丈夫なんですよね」
市ノ瀬は自分たちには分からないような体の変化があるのではないかと心配した。
「体も頭も全く問題なし」
報瀬は即答した。
「体の異常なら分かりやすいんだけどね」
報瀬は少し考えたのち。
「確かに自分を抑えてるっていうか、抑えられてる・・・、みたいな? でね、そんな時は必ず不思議な世界が目の前に広がるんだよね。そこの先に行ったらすっごくしあわせ、って感じるような場所。でも、行けないの。なんだろうね、これ。変だよね。あはは・・・」
市ノ瀬は報瀬の話すことに思い当たる感覚があった。
「あの、あたし、梅原君を好きになった時、なんか、こう、胸が締め付けられるような。そしてその先に進めば楽しい世界があるようで、でもなかなか先に進めなくて・・・」
市ノ瀬は頬を赤らめた顔を報瀬に向けた。
「報瀬さん、恋の病ってことも考えられませんか?」
市ノ瀬のあどけないその発想に、報瀬は口をぽかんと開けたまま固まった。
そしてそれを見た市ノ瀬は、何かおかしなことを言ってしまったのかと、今度は恥ずかしさで顔を赤らめた。
「市ノ瀬さんって、かわいいね」
報瀬は声を出して笑った。
「でも、もしそうなら、試しに梅原君とどこか遊びに行ってみようかな」
報瀬はそう言って市ノ瀬の顔を覗き込んだ。
「そ、それではっきりするなら、1回だけなら貸します。1回だけですよ」
泣き出しそうな、しかし報瀬を心配して真剣な表情の市ノ瀬に、報瀬の笑いは止まらなかった。




