行ってきます
神奈川県 市ノ瀬育海 自宅
携帯端末が、音とともに大きく振動した。
画面には『緊急招集』の文字。
高校の夏休みが終わっても緊急事態宣言のために学校に行くことが出来ず、落ち着かない日々を送っていた市ノ瀬育海は、やっと来たか、と気持ちが昂った。
すぐに速水からの呼び出し音が鳴った。
「はい、市ノ瀬でーす」
「お待たせ。30分後、軍の車が自宅に行きます。そこから統合軍本部に向かい、遠藤少尉の飛行機で独立部隊まで運んでもらいます」
「はい」
市ノ瀬はためらうことなくはっきりと返事をすると通信を切った。
急いで準備をする。
独立遊撃部隊本部の自室には、以前に生活していた時の衣服などがそのまま残っている。ここから持っていくのは簡単な身の回りのものだけでいいだろう。市ノ瀬は、化粧道具と携帯端末、そして大切なネックレスを小さなカバンに詰めた。
そして部屋を飛び出すと1階への階段を降りた。
キッチンで昼食の用意をしている母親の信子に声をかける。
「おかあさん、軍から呼ばれた。今から行ってくる」
信子は優しく笑いながら振り返った。
驚くかと思っていた育海の予想が外れた。
「おとうさんに合わずに勝手にいくけど、ごめんねって伝えて」
それでも信子は落ち着いた様子だった。
「あのね。育海には内緒だったけど、2日ほど前に野嶋さんから連絡があったの。お嬢さんの力をまたお貸しください、って。一応未成年ってことで親の了承をってことなんだけどね。おとうさんも、おかあさんも、そしておじいちゃんやおばあちゃんもみんな承諾したから、安心して行っておいで。でも、またちゃんと帰ってくるんだよ」
信子は微笑みながら涙を浮かべていた。
「そうだったんだ。ありがとう」
育海は、再びケルベロスが現れるようになってからこの日が来ることをずっと待っていた。しかし、いざその時を迎えて見ると、独立遊撃部隊での楽しかった思い出とともに、戦闘での押し潰されそうな恐怖も同時に蘇ってきた。
カバンを持つ手が少し震えた。それに気付いた信子がそっと自分の手を添えた。
「でも、大丈夫・・・」
育海は自分に言い聞かせるように言った。
「みんながいるから、絶対に大丈夫」
育海の手の震えは止まっていた。
安心したように信子は添えていた手を離した。
やがて迎えの車が到着した。
育海は、行ってきまーすと、まるで学校に行くかのように車に乗り込んだ。
長野県 軍関係者専用マンション
以前、父と暮らしていた軍関係者専用マンションで、水瀬慧は一人暮らしをしていた。
その一室のテーブルの上では、ケージに入ったハムスターが忙しなく回し車を動かしている。
その横でコントローラーを操る音がする。
水瀬はポテトチップスを食べながらテレビゲームの最中だった。
「やった。レベルが上がった。これで魔法攻撃が使える」
突然、携帯端末が震えた。
とうとう来たか・・・。水瀬は分かっていた。
端末を持つと、すぐに速水からの呼び出し音が鳴った。
「水瀬です」
「速水です。また力を貸して」
「了解です」
「10分ほどで、マンションの下に車が行くから、それで長野基地へ行って。そこで遠藤少尉が待ってる」
「はい」
使用可能となった魔法攻撃に後ろ髪を引かれながら、慌ててゲームをセーブした。
そして身の回りのものと一緒に買い置きしていた幾つかのお菓子をリュックに詰め込むと、端末を持ち『島村京子』と検索した先を呼び出した。
すぐに相手が出た。
「あ、京子さん。呼ばれたから行ってきます」
「そっか。もう慧ちゃんたちに頼らざるを得ないか」
島村京子は30代後半の女性で、統合軍NCBM部隊本部で事務の仕事をしており水瀬の隣に住んでいた。水瀬の父親が健在の時からの付き合いで、父親の死亡後も妹のように水瀬の面倒を見ていた。
「すぐに行かなきゃいけないので、豆太をお願いします」
「分かった。まかせて。その代わり、ちゃんと戻ってくるんだよ」
「はい」
端末の回線を切りポケットにしまうと、豆太のケージに顔を寄せた。
「留守番しててね」
そしてその隣にある父親の写真に向かって手を合わせた。
「行ってきます」
リュックを肩にかけ、急いで部屋を出る。そろそろ迎えの車が到着するはずだ。
ドアの鍵をかけ、その鍵を隣の島村と書かれたポストの中へ入れると、急ぎ足でエレベーターへと向かった。
愛知県 美波高校学生寮
緊急事態宣言により、普段は30人ほどいる寮の学生たちはほとんど実家へと戻っており、残っているのはわずか数人だった。
食堂に続く廊下を走る音がする。
廊下の先にはおばちゃんの姿があった。
おばちゃんの前で梅原賢太郎は足を止めた。
「行ってきます」
「ああ、帰ったら、またおいしいものをたくさん作るからね」
梅原はおばちゃんに頭を下げると裏口へと急いだ。ちらりと後ろを振り返ると、心配そうな表情でおばちゃんが手を振っていた。
裏口を出る。
そこにはすでに軍の車が待っていた。
乗り込むとすぐに車は発進した。
「東小牧基地へ向かいます。そこで他の隊員が待っています」
ドライバーは正面を見たまま梅原に告げた。
大通りに出るとバス停が見えた。
そうだ。初めて研究所に行った時は、一人でバスに乗ったのだった。何が起こるのかとても不安だった当時の気持ちが湧き上がった。
しかし、今回は違う。確かに不安はある。でも、みんなに会えることへの喜びが不安よりも遥かに大きかった。
幹線道から高速に入る。
追い越し車線をかなりのスピードで走る。
覆面パトカーでもいたら捕まるのではないかと心配になった。いや、ひょっとしたら、警察も手が出せない車なのかもしれない。そう考えたら、ちょっとワクワクした。
やがてインターを降り、しばらく走ると東小牧基地のゲートが見えた。
すぐにゲートが開き、梅原を乗せた車は止まることなく基地内に入った。
そのままいくつもの建物の外周を回るようにゲートの反対側へと進む。急に周囲が開けた。そこは広い滑走路だった。
車が止まった。車の進入はここまでのようだ。
「あちらで皆さんが待っていますよ」
ドライバーは滑走路の隅の駐機場を指差した。そこには見慣れた多用途支援機があった。
「ありがとうございました」
梅原はドライバーにお礼を言うと、車から飛び出した。
荷物を抱えて走る。
多用途支援機の横の扉が開いた。梅原に気付いたようだった。
中から市ノ瀬が出てきた。
「梅原くーん」
久しぶりに見る姿だった。
その後ろで水瀬も手を振っている。
またみんなと一緒だ・・・。
「遠藤さん出してください」
梅原が支援機に乗り込むとすぐに上田の声がした。
再開の感動を味わうことなく、梅原たち3人はシートに座らされた。
機体が滑走路に向けて動き出す。
「滋賀の基地に着くまでに今までの経過を説明しておくようにって言われてるから、早速始めますね」
ああ、そうだった。この慌ただしさの中にいたんだ。梅原は動き出した自分を感じていた。
上田は3人にタブレット端末を渡すと、自分も席につきすぐに端末を操作し始めた。
支援機はNCBM独立遊撃部隊本部に向けて離陸した。
上田のレクチャーは着陸直前まで続いた。
機体から降りると、そこは変わりない懐かしい場所だった。
しかし、そんな干渉に浸る間を与えられることなく、ブリーフィングルームに直行するために上田に続いた。
「だからさ、もっと早くあたしたちを呼んでくれればよかったのよ」
ブリーフィングルームへの廊下を歩きながら、市ノ瀬がなかなかお呼びがかからなかったことへの不満を言った。
「そんなこと言わない。上の人たちだって気を使っているんだよ。二人は来年受験でしょ」
先を歩く上田が市ノ瀬と梅原に振り返った。
「ああ、受験か・・・」
市ノ瀬は現実を見たように肩を落とした。
「でも、ケルベロスをやっつけないと受験どころではないですよ」
後ろを遠藤と一緒に歩く水瀬が言った。
「今度は時間制限があるんだよね」
梅原は上田からのレクチャーの中で、ケルベロスが硬くなっていることよりも時間が過ぎると消えてしまうことの方が気になっていた。
「そうだね。時間内に倒せなければ、さらに強化されて戻ってくるんだもんね」
そう言って市ノ瀬は、困ったもんだ、と呟いた。
「最初の頃と比べて、出てくる数が少なくなってるのも何か作戦なんですかね」
水瀬が横を歩く遠藤に聞いた。
「そうだな。変異の効果を確認するのに数はいらんだろうからな」
なるほど・・・、遠藤の言葉に梅原も市ノ瀬も歩きながら頷いた。
ブリーフィングルームのドアを上田がノックする。
「若者を連れてきました。入りまーす」
ドアを開ける。
そこには部隊長古川徹大尉、大森久実子、そして野嶋報瀬の顔があった。
声を掛け合いながらそれぞれ席につく。
「これで全員揃ったな」
古川は、皆の顔を見た。そして続けた。
「事態は切迫している。情報は全て共有済みのはずだ。これからの対応に関してみんなの率直な意見を聞きたい」
「差し当たっての問題は、奴らの硬さ増し増しと、1時間という時間制限」
最初に口を開いたのは報瀬だった。
「次に出てくるのはどれくらい硬いのかな」
「まさかあの山にいたちょーでかいやつよりも硬いなんてことないよね」
梅原の問いに市ノ瀬が思わず聞き返していた。自分たちの機体が2機とも、さらに輸送機までもが潰された記憶が蘇った。
「本部の計算だと、あれだけ硬くなるにはまだ5、6回は強化が必要だろうとのことだが、そうなったら、本当に手の打ちようがなくなるな」
「時間制限に加えて、挑戦するのに回数制限もあるのか」
古川の説明に報瀬がため息をついた。
「初期のケルベロスのように、死亡時の情報を他の個体に伝達していることも考慮する必要がある」
ああ、そうだった・・・。ケルベロスは倒された時の情報を他の個体に伝えて、行動をアップデートすることがあったのだ。今回も倒すことによって強化を与えてしまう可能性もある。
古川の補足にケルベロスの厄介な行動が思い出され、報瀬に続いて梅原も市ノ瀬もため息をついた。
「全てを早く倒すためには、こちらの攻撃力を上げるしかないですけど、何かもっと強い武器とかはないんですか?」
梅原が古川に聞いた。
「軍は、レールガンやレーザーなどが使えないか考えているようなのだが、やはり小型化がネックのようだ。簡単に取り回しができるくらいのサイズにならないと、とてもあのケルベロスの動きにはついていけない」
「だったら、今までの装備で攻撃の手数を増やすしかないですね」
そう言う梅原に、手数を増やす方法は思い浮かばなかった。
「ゲームで言うと物理攻撃が効かないってことだよね、なら、どうすればいいの?」
市ノ瀬は誰にでもなく言うと天井を見上げた。
「だったら、魔法攻撃」
水瀬が小さく手を上げて言った。ここに来る直前までやっていたゲームのことをまだ引きずっていた。
「ちょ、ちょっと待ってよ。ここでの記録を速水先輩に報告しなきゃいけないんだから、魔法攻撃はちょっと・・・」
水瀬が積極的に意見を言ってくれるのは嬉しかったが、上田は困った表情をみんなに向けた。
「いや、その発想はいいかもしれません」
大森が大きく手を上げ立ち上がった。
「あたし、魔法攻撃なんて出来ない」
市ノ瀬はそう言って梅原を見た。
梅原は、僕も出来ないと、大きく首を横に振ると報瀬を見た。
報瀬も小刻みに首を横に振った。
そして皆が大森を見た。大森は視線が集中したことに少々緊張しながら話を続けた。
「さすがに魔法を使うのは無理ですが、かつて戦争では、銃弾やミサイルを打ち込むだけでなく、化学的な物質や生物を使ったと聞きます。そう考えると、今までのようにただ物理的な攻撃ではなく、他の方法がまだあるはずです」
「属性攻撃か・・・」
「どいうこと?」
梅原は小さく呟いたつもりだったが、すぐに市ノ瀬が聞いてきた。
「つまり、物理属性が効かないなら、化学属性とか生物属性とかってことでしょ」
今度はみんなに聞こえるように言った。
「なるほど・・・」
市ノ瀬はよくわからないまま納得した様子を見せた。
「長らく禁止されている化学兵器や生物兵器に関してはよくわからんが、属性を変えるという発想は良いのではないだろうか。何か方法を限定するのではなく、とりあえず魔法攻撃として早急に報告してみてはどうだ。きっとこんな話はここからじゃないと出ないだろう」
「あ、はい・・・」
古川の真剣な表情に上田は頷くしかなかった。
上田は早急に速水に連絡するために自室に戻った。
本来なら報告書の提出になるが、魔法攻撃と伝えるだけなら直接連絡した方がいいと思い、携帯端末を手にした。
その発想はなかったわ・・・。
魔法攻撃の話が笑われると思っていた上田は、予想を反する速水の真剣な反応に戸惑った。
ありがとうの言葉が終わる前に速水の通信は切れた。
きっと、もうその先の考えが浮かんできているのだろう、と上田は思った。そして、みんなの意見を伝えることができたことに安堵した。




