56 回避と暴走(下)
「説明って何が?」
奏は後頭部をベンチの背もたれにぴったりと押し付けられる形になった。彼はゆっくりと生唾を飲み込んだ。「何のことだかさっぱり。俺はさっきからずっとゲームをしてただけだぞ。それより、もう帰ってもいいか?熱中症になりそうなんだが」
柊斗はそんな言葉には微塵も耳を貸さなかった。
ハーフパンツから覗く彼の膝が、奏の開いた両脚の間に割り込み、依然として奏をベンチに完全に押さえつける危険な体勢を保っていた。
「日向駆がトスを上げる時、約5センチ低くした。あんたが教えたんだろ?」
奏はしらばっくれて無邪気な顔を作った。「何言ってるんだ?俺が人にテニスを教えるなんて、あるわけないだろ」
柊斗はサングラスに隠された奏の両目をじっと見つめ、顔を近づけた。温かい息が奏の鼻先に当たる。
「俺の目が節穴だとでも?」柊斗は声を潜め、背筋が凍るような冷笑を浮かべた。「いい度胸してるな。俺の目の前で、あの雑魚どもにチート(外掛)を使わせるなんて」
奏の心臓が「ドクン」と跳ねた。
「チートじゃない」現行犯で捕まった以上、奏はいっそ抵抗を諦め、のらりくらりと屁理屈をこね始めた。「ゲームバランスの観点から言わせてもらえば、お前に一方的に惨殺されてる低レベルプレイヤーたちに、ほんのささやかな生存パッチを提供しただけだ。そうでもしないと、このソロプレイゲームはあまりにもクソゲーすぎるだろ」
「クソゲー、だと?」
柊斗はとんでもない冗談でも聞いたかのように、短く冷たい鼻で笑った。
彼は突然奏の襟首から手を離し、その手を滑らせて、奏のUVカットパーカーの大きなポケットに的確に手を突っ込んだ。
「おい!何す――!」
柏木奏は声を上げ、無意識にポケットを押さえようとした。
しかし柊斗の動きは電光石火だった。その長い指がポケットの中を的確に探り、まだ画面がロックされていない奏のスマホを直接抜き取った。
「没収だ」
柊斗は片手でスマホを高く掲げ、奏に奪い返す隙を全く与えなかった。彼は奏を見下ろし、
「ゲームバランスなんて知るか。俺が分かっているのは、あんたのその目も、その判断力も、俺だけのものだってことだ。このコートで、俺以外の奴を見ることも、他の奴にアドバイスすることも許さない」
彼は少し身をかがめ、キャップのつばの影が再び奏を覆った。その声には、歯軋りするような強烈な独占欲が滲んでいた。
「次また他の奴の『チート』になったところを捕まえたら……」
柊斗の指の腹が奏の青白い頬を無遠慮に撫で、うっかり付いた水滴を拭き取った。「今後、俺のフィジカルトレーニングの時は、あんたも一緒にやってもらうからな」
奏は気を失いそうになった。あまりの怒りで、だ。
一方その頃、彼らから数歩離れた場所で。
差し入れのドリンクを渡そうとして、柊斗に空気のように無視された西野は、まだその場に硬直して立っていた。
彼女の隣にいたショートヘアの女子は目を丸くし、卵が丸ごと入るほど口を開けていた。二人はただただ見つめることしかできなかった。誰に対しても氷のように冷たく、人を寄せ付けないあの千野柊斗が、今、全く距離感なく、UVカットパーカーを着た変な男子をベンチに追い詰めているのを。
それどころか、親しげで強引に相手のポケットを漁り、相手の頬をつねっているのだ!
「萌香……」結菜は吃りながら西野萌香の袖を引いた。自分の世界観が根底から覆されるような強い衝撃を受けていた。「あの人……一体誰なの?千野くん、どうして……どうしてあんなに優しくしてるの?」
西野萌香は血の気の引いた下唇を強く噛み、結露し始めたスポーツドリンクを見つめ、目元を少し赤くした。
「……行こう」彼女の声は少し震えていた。きびすを返し、まるで逃げるように、その息の詰まるような場所から足早に立ち去った。
二人の女子が慌ただしく立ち去る足音を聞きながら、奏は心の中でやれやれとため息をついた。
なぜこんなことになってしまったのか。
今にも溶けそうなアイスクリームのような自分は、物理的な高温の暴力に耐えなければならないだけでなく、このガキの恋愛フラグをへし折る罪まで背負わされるハメになってしまった。
「スマホ返せ」奏は顔を上げ、青白い手を伸ばした。その口調は相変わらずやる気のないのんびりしたものだった。「もうNPCにパッチは配布しないって約束する。あれは俺の生命維持装置なんだ」
柊斗は差し出されたその手を冷たい目で見下ろした。スマホを返すどころか、それを自分のハーフパンツのポケットに突っ込んだ。
「欲しいか?」
柊斗は体を起こし、白いキャップを目深に被った。「いいだろう。これからの練習、その目をかっ開いてよく見ておくんだな。俺の機嫌が直ったら、返してやることも考えてやる」
そう言い残すと、奏の怨念こもった死んだ魚のような目は無視して、彼はきびすを返し、大股でコートの中央へと戻っていった。
奏はその遠ざかる背中を見つめながら、一つの結論を下した。こいつは誘拐犯であるだけでなく、今は強盗も兼業している。
彼は背中の力を抜き、ベンチの背もたれに沿ってズルズルと滑り落ち、体を斜めにして、最終的には横向きに寝そべる体勢になった。
硬い木の板に肘を突き、手のひらで片頬を支える。唇を固く結び、その姿につられるように周囲の空気までどんよりと沈み込んだかのようだった。
もし今誰かがこの影のそばを通りかかったら、無意識に半周迂回していくことだろう。
この借りは必ず覚えておく。千野のおばさんが帰国したら、絶対にチクってやる!
奏は虚空を見つめ、心の中で言い訳のシナリオを練り始めた。
コート上では、短いホイッスルが熱波を切り裂いた。休憩終了。
コーチは作戦ボードを手に持ち、列の先頭に戻ってきた柊斗に一秒だけ視線を留めたが、何も言わなかった。
柊斗はあの黒と赤のラケットを左手に持ち替え、右手でポケットから別の誰かの体温が残る長方形の金属の塊を取り出し、足元のテニスバッグの奥深くに無造作に放り込んだ。ジッパーを閉める際、金属の歯が噛み合う細かな音が、騒がしいコート脇でやけに際立って聞こえた。
彼は振り返り、ベースラインへと戻った。向かいの練習相手は3年生の副キャプテンに代わっていた。
トス、スイング。
「パーン」
黄緑色の球体が相手コートの白線上に叩きつけられ、小さな白いチョークの粉を舞い上げる。副キャプテンがラケットを半分も振らないうちに、ボールはすでに後方のフェンスに食い込んでいた。
千野柊斗は落下点を見なかった。
彼はラケットを下ろした。胸の上下するリズムは、先ほどよりも半テンポ遅くなっていた。
汗が眉骨を伝って目に入ったが、彼はそれを拭おうともせず、ただ手の甲で無造作に顎のあたりを擦っただけだった。
その後、彼の視線はネットを越え、走り回る部員たちを通り抜け、狂いなく日よけテントの下へと戻っていった。
ベンチの上、あのシルバーグレーの影はまだ横向きに寝そべり、頭を支える姿勢を崩さず、黒いサングラスをコートに向けたまま微動だにしていなかった。まるで冷気を放つ石の塊のようだ。
柊斗は視線を戻し、舌先で上顎を押し当てた。右手で再びグリップを握り直し、指の腹でグリップテープを強く擦った。
「次」彼が口を開く。その声は少し沈んでいた。
その後の30分間、スイングの力はさらに重みを増した。ボールが空気を切り裂く低い唸り声が、運動場の上空に絶え間なく響き渡っていた。
コート脇にいた数人の控え部員は無意識に半歩下がり、ベースラインとの距離を取った。
日向駆は生唾を飲み込み、視線を柊斗とコート脇のベンチにいるあの銀色の影との間で2往復させた後、黙って口を固く結び、好奇心から出そうになった言葉を全て腹の中に飲み込んだ。
このタイミングで千野の逆鱗に触れようとする命知らずは、誰もいなかった。
太陽が少しずつ傾いて沈みかけ、暑さが和らいでいく。最後の長いホイッスルが鳴り響いた。
練習終了。柊斗はラケットをテニスバッグに突っ込み、片手で肩に担ぎ上げた。他の誰かと連れ立つこともなく、真っ直ぐに休憩エリアへと向かった。
ベンチの上では、奏が相変わらず横向きに寝ていたが、その呼吸はすでに長く均等なものに変わっていた。
UVカットパーカーの襟元がわずかに開き、透き通るような白い首筋が少しだけ覗いている。あの大きなサングラスは鼻先まで滑り落ち、今にも落ちそうになっていた。
柊斗はベンチの前に立ち止まった。その長身が、残された最後の夕日を遮り隠した。彼はうつむいてしばらく見つめていたが、声をかけて起こすことはしなかった。
彼は腰をかがめ、指先でサングラスのツルに触れると、そっと外して折りたたみ、自分のポケットにしまった。そしてテニスバッグを左肩に掛け直し、身をかがめると、片腕を奏の首の後ろに通し、もう片方の腕で膝の裏を抱え込んだ。
体が宙に浮いた瞬間、柏木奏は寝顔のまま微かに眉をひそめた。
彼は無意識に首を傾け、その頬は自然と、柊斗の汗が微かに滲む首元にすり寄った。
温かい呼吸が一定のリズムで少年の鎖骨に吹きかかる。まるでようやくちょうどいい保温マットを見つけた猫のように、奏は気持ちよさそうに顔を擦り付け、その後大人しく動かなくなった。
柊斗の動きが半秒だけ止まった。
彼は目を伏せ、奏の少し尖った唇と、無防備な寝顔に視線を釘付けにした。しばらくして、彼はゆっくりと腕を引き寄せ、腕の中の人物を少し上に抱え直すと、しっかりと立ち上がった。
「カランッ」
日向駆の手にあった水筒が地面に落ちた。残っていた半分の水がドクドクと流れ出し、ゴム製トラックの上に濃い水跡を描いていく。
しかし彼は拾うことなど完全に忘れ、ただただ目を丸くし、錆びついた杭のようにその場に釘付けになり、顎が胸に届きそうなほどポカンと口を開けていた。
彼だけではない。テニスコート全体、そしてフェンスの外の通路を含め、今この瞬間、奇妙な静寂に包まれていた。
何十双もの目が、ただ茫然と見つめていた。コートでは感情を持たない機械のようにプレーし、普段話しかけても冷酷なあの小魔王が、今は重い赤いテニスバッグを片肩に掛け、銀灰色のUVカットパーカーに包まれた男子を両腕で横抱きにし、大股で外へ歩いていくのを。
フェンスの外。
誰の手から落ちたのか、「千野柊斗必勝」と書かれた応援うちわがコンクリートの地面に落ち、乾いた音を立てた。
千野くんの「パーソナルスペース」を守ると誓っていたはずのファンクラブの女子たちは、今や一人残らず口を手で覆い、瞳孔を震わせていた。
千野柊斗は、周囲の驚愕し、石化し、さらには粉々に砕け散ったような視線を完全に無視していた。
彼は一面に広がる黄金色の夕日を踏みしめながら、コートのゲートを真っ直ぐに通り抜けた。
夕方の熱風がさっと吹き抜ける。
千野は足を止めることなく、空いている二本の指で自然とUVカットパーカーの縁を引っ掛け、滑り落ちていたフードを再び被せた。それが柏木奏の顔の大半を覆い隠し、四方八方から向けられる詮索の視線をすっぽりと遮断した。
砕け散った全員の視線の中、冷酷な少年は人を抱えたまま、コートの外に続く長い並木道を踏みしめ、一度も振り返ることなく遠ざかっていった。




