54 ゲーマーの意気投合(下)
静寂。
コートの中だけでなく、フェンスの向こう側で天井を吹き飛ばす勢いで黄色い声を上げていた親衛隊の女子たちまでもが、まるで集団で沈黙の呪文をかけられたかのように、スローガンや応援うちわを掲げたまま、ショックで口をぽかんと開けていた。
「ポイント、取った……?」
日向駆は呆然とその場に立ち尽くし、ラケットを振り抜いた姿勢のまま、自分の両手を見下ろし、それから相手コートのベースラインの隅でピクリとも動かないテニスボールに視線を移した。まるで夢でも見ているかのように、自分の目を疑っていた。
コーチが大股で歩み寄り、背中を思い切り叩いて「バシッ」と甲高い音を響かせるまでは。
「ナイスボール!いいぞ!あのコースを変えるタイミング、見事だった!」コーチは出し惜しみすることなく大声で褒め称え、その目には大きな驚きと喜びが満ちていた。
日向駆は叩かれた反動で前によろけ、そこでようやくハッと我に返り、顔に狂喜の表情をパッと咲かせた。
一方、ネットの向こう側では、千野柊斗がゆっくりと体を起こしていた。彼は振り返り、コート外に静かに転がっている黄緑色のテニスボールに視線を落とすと、わずかに眉をひそめ、その瞳に珍しく本物の困惑の色を走らせた。
今の一瞬……
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日よけのテントの下で、奏はベンチにゆったりと寄りかかり、ご機嫌な様子で鼻歌を歌い始めた。
オホホホ、これぞオタクの復讐だ!
「言っただろ、どんなにステータスがおかしい化け物ボスだって、絶対にノーダメージでクリアする方法があるって」
柏木奏は心の中で、ゆっくりと先ほどの戦況を振り返っていた。
千野柊斗という「魔王」の最大の特徴は何か?
それは極限まで異常な動体視力と筋肉の反射神経だ。彼は一瞬にして、相手の姿勢からボールの軌道を予測することができる。
しかし、それこそが彼の最大の「バグ」でもある。——「標準的なフォーム」に対する予測に頼りすぎているため、相手が強制的に通常のリズムを崩した瞬間(例えばトスを5センチ低くする等)、千野ボスの視覚予測エンジンにはコンマ数秒の「計算エラー」が生じるのだ。
このコンマ数秒の計算誤差が、返球時の打点にわずかなズレを生じさせ、結果として質が落ち、角度の甘い「隙だらけのボール」を返してしまう。
そして、彼の重心が完全に戻りきらないうちに、極端な角度のバックハンドへの奇襲をかければ、完璧な弱点へのクリティカルヒット(会心の一撃)を叩き込めるというわけだ。
これが上級プレイヤーの戦術的素養ってやつだ。
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その頃コートでは、日向駆が興奮したチームメイトたちにすっかり取り囲まれていた。
「やるじゃねえか、お前!能ある鷹は爪を隠すってやつか!」
「さっきの打ち方、どうやって思いついたんだよ?お前があんな神がかったショット打てるなんて知らなかったぞ!」
日向駆は仲間たちに揺さぶられて目を回していたが、実は彼自身もワケがわかっていなかった。彼はただ自分の天然パーマを掻きむしり、へらへらと笑いながらお茶を濁すしかなかった。
「へへっ、まぐれだよ、まぐれ……下手な鉄砲も数撃ちゃ当たるってやつさ……」
輪の中心で祝福されている天然パーマを見ながら、奏はすこぶる気分が良かった。
今この瞬間、コートの反対側にいる柊斗が内心どれほど鬱屈し、苛立っているかさえ想像できた。高みに立ち、全員を地にひれ伏させることができると思い込んでいたボスが、一人のプレイヤーの奇襲を許してしまったのだ。
「これが俺を不当に拉致した罰だ」
奏は得意げに考えた。もしさっきの休憩の時、自分があと何人かに「ボス攻略ガイド」を配っていたら、この傲慢な魔王は今日、チーム全員からよってたかって経験値稼ぎの的にされていただろう。
その素晴らしい光景を思い浮かべて、ハハハ、と笑いがこみ上げる。
奏はたまらず、喉の奥で往年の8bitゲームのクリア勝利BGMを小さくハミングし始めた。午後ずっとこわばっていたつま先までもが、リズムに合わせてご機嫌に揺れた。
しかし、ハミングがサビの部分に差し掛かったその時。
彼はサングラスのレンズ越しに、何気なく前方を一瞥し——ちょうどコートの反対側からの眼差しとぶつかった。
奏の口元に浮かんでいた他人の不幸を喜ぶような笑みが、瞬時に凍りついた。
いつの間にか、柊斗の視線は祝福に沸くチームメイトたちを通り抜け、真っ直ぐに彼の上に注がれていたのだ。
少年は片手でラケットを下げていた。キャップのつばから覗くその細長い瞳に、先ほどの困惑はもう微塵も残っていなかった。
取って代わったのは、獲物をロックオンした猛禽類のような、鋭い眼光。
その危険度は、暗殺者が冷たい光を放つダガーを無言で取り出したのと何ら変わりない。
柊斗は目を細め、柏木奏を見つめながら、ゆっくりと口角を上げて笑みを浮かべた。
うん——バレた。
柏木奏の口ずさむクリアBGMがピタリと止まった。
彼はすぐに揺らしていたつま先を引っ込め、首を錆びついた歯車のようにぎこちなく、それでいて何事もなかったかのように横へ向けた。そして視線を空へと移した。なんて青い空なんだ。
見えない。俺が君を見ない限り、君は存在しないのと同じだ。
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「勝ち抜き戦」、つまりテニスコートで俗に言う「王様コート」のルールに従えば、挑戦者が得点した時点で、自動的に元々の王様と入れ替わることになる。
そこで、コート全体に未だ驚きの余韻が残る中、柊斗は無表情のままラケットを手にベースラインから下がった。
そして、まだへらへらと喜んでいた天然パーマの日向駆は、チームメイトたちに小突かれながら、本来「魔王」がいたハーフコートへと押し出された。
「へへっ、この日向駆様が王様になる日が来るとはな……」
日向駆はベースラインに立ち、興奮気味に手の甲で汗を拭うと、その場でステップを踏む余裕すら見せた。
しかし、彼が顔を上げ、反対側のサーブラインに立つ挑戦者の姿をはっきりと見た瞬間、その顔から笑顔が消え去った。
柊斗は休憩エリアなどに行っていなかった。
彼は真っ直ぐ、挑戦者のポジションへと歩み寄っていたのだ。
少年はキャップのつばを深く下げ、先ほどよりもさらに冷たく、暴虐的な空気を全身から放っていた。彼は片手でテニスボールを掴むと、余計なバウンド動作すら挟まず、そのままボールを高く放り投げた。
「ドパンッ――!」
頭上の空気がトラックに撥ね飛ばされたかのような恐ろしい爆音が、日向駆の対角線上で突如として炸裂した。
日向駆には、ボールの軌道すら見えなかった。
彼はただ、残像が鋭い突風を伴って、頬をかすめて吹き抜けていくのを感じただけだった。強烈な風圧で頬に痛みが走り、もみあげのくせ毛さえも1本切り裂かれた。
「ガシャンッ!」
テニスボールは日向駆の後ろの金網に激しく叩きつけられ、網目に深くめり込んだ。
日向駆はレシーブの構えのまま、一瞬にして風化した石像のように固まり、冷や汗が「ドッ」と背中を濡らした。
俺、今……危うくヘッドショットされるところだったのか?!
「次」
柊斗は冷たくその一言を吐き捨てた。声に抑揚は一切なかったが、骨の髄まで凍りつくような寒気が漂っていた。
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日よけのテントの下。
ずっと死んだふりをしようと企んでいた柏木奏は、サングラス越しにこの光景をはっきりと見ていた。彼は無言でベンチの奥へと体を縮こまらせ、心の中で絶望の嘆きを漏らした。
「ヤバい」
アクションゲームにおいて、ボスの隠された弱点を突き、HPゲージを削った時、通常は短い「ブレイク状態(気絶期)」に入る。
この時、まともな攻略パーティーであれば、あらゆるCC(状態異常)スキルと高火力必殺技をすべて叩き込み、ボスが目を覚まさないうちに一気にクリアを強行するべきなのだ。
「なのに今」柏木奏は向こうで黒いオーラを放っている暴君を見つめた。「通常攻撃しかできないこの低レベルプレイヤー共は、気絶期間中に集中砲火でボスを瞬殺するどころか、剣で一突きしただけで、完全に奴を怒らせて目を覚まさせてしまった」
コンボで削りきれなかったボスが目を覚ました後、何をしてくるか?
答えは明白だ——第二形態、HP赤ゲージの発狂モードへの突入である。
今、誰かがまたあいつの逆鱗に触れようものなら、間違いなく木っ端微塵に吹き飛ばされるだろう。




